女優須磨子の恋

3月15日(土)晴れ

 シネマヴェーラ渋谷で「日本のオジサマ 山村聰の世界」の中の『河口』(1961、松竹)と『女優須磨子の恋』(1947、松竹)の2本を見た。山村は前者では喜劇的な演技を見せ、後者では悲劇の主人公の1人を演じている。

 『女優須磨子の恋』は長田秀雄の戯曲『女優須磨子』を原作として依田義賢が脚本を書き、溝口健二が監督した。原作者である長田はこの映画のなかにも登場する、生前の須磨子を知る1人であり、映画製作当時まだ存命であった。須磨子の死後、関東大震災や太平洋戦争による世相の変化はあったが、彼女の記憶はまだ生きていたころにつくられた映画だということが貴重である。また、俳優座と早稲田大学の演劇博物館が協力して日本の「新劇」の草創期の姿を再現しようとしていることも注目される。映画の中で、イプセンの『人形の家』をはじめとして、『復活』や『カルメン』などの須磨子の舞台が再現されているのも見どころの一つである(千田是也が指導しているとクレジットに記されていた)。

 映画は島村抱月が早稲田で近代劇の背後にある哲学を講じる場面から始まり、『人形の家』の上演と須磨子をみいだしてノラ役に抜擢する過程、抱月と須磨子の恋、2人が芸術座を起こし新しい演劇を目指しての苦闘、『復活』の興行的な成功、抱月の死とそれを追う形になった須磨子の自殺までを描いている。「新劇」が過去のものになってしまった今日の目から見ると、抱月と須磨子の新しい演劇の創造にかけた熱意をどう評価するかは、難しい問題であり、むしろ2人の世間に背を向けた、新しい愛の姿の方に目を向けて評価すべきであるのかもしれない。

 冒頭で抱月が語る、人生は苦しいものであるが、それと対決して生きていくことが重要であるという哲学は19世紀末に特徴的なものである。同時代の欧米で流行していた哲学・人生観を大学で学生たちに講じることと、それを自分の問題として人生のなかで取り組むことは別のことではあり得ないはずでり、抱月と須磨子の恋もその文脈でとらえられるべきであろう。演劇の世界の歴史を描いた戯曲を映画化するという試みの中で、溝口のワンシーンワンカットという得意の手法が効果を上げている。

 映画の中で抱月の妻を演じている毛利菊枝は俳優座ではなく、京都に本拠を置いていたくるみ座という劇団の主宰者であった。あまり得な役回りではない出演をしているのは、大先輩である松井須磨子への敬意の表れと考えられるが、そのくるみ座も今はない。京都大学在学中、下宿へ帰るために百万遍から東大路を北に歩いていくと、くるみ座の稽古場の近くを通ったことを思い出す。溝口健二は既に世を去っていたが、この映画の企画を担当している絲屋壽雄は近代映画協会のプロデューサーとして、依田義賢はシナリオ・ライターとしてまだ健在であった。依田が主宰していた詩の同人誌『骨』を書店で見かけて、買おうか買うまいか思案したことを思い出す。

 映画・演劇の世界の中での記憶の継承ということになると、松井須磨子を田中絹代が演じたこと、溝口をはじめとする多くの映画人や映画観客が田中絹代と同時代を共有したことを、その後続の世代に属するものとして尊重すべきであろう。そういえば、市川崑監督の『女優』で吉永小百合さんが田中絹代の半生を演じていた。あと何年かすると吉永さんの伝記映画もつくられる時が来るかもしれない。どんな記憶になるか知りたい気持ちもあるのだが、自分としては吉永さんと同時代を生きるだけで満足すべきなのであろう。
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