ウィルキー・コリンズ『月長石』(28)

3月14日(金)曇り

 インドの寺院で月の神の像の額を飾っていた黄色いダイヤモンドは、イスラーム教徒の手にわたり、その後英国の軍人であるハーンカスル大佐の手で英国に運ばれた。彼がどのようにしてこの宝石を手に入れたかをめぐっては血なまぐさい噂があった。またこの神聖な宝石を取り戻そうとする3人のインド人たちの姿も英国にあらわれるようになった。

 大佐はその遺言で姪であるヴェリンダー家の令嬢レイチェルに宝石を遺贈した。レイチェルの母ヴェリンダー卿夫人は一族のなかでも大佐があちこちで起こした野蛮なふるまいをもっとも強く非難した1人であった。ダイヤモンドをめぐる不吉な噂と、大佐の人格を知る人々は宝石に触れることを避けようとするが、ヴェリンダー家の顧問弁護士であるブラッフは宝石の価値がヴェリンダー家の富を増すものであることを信じて、大佐の甥であるフランクリン・ブレークを説得して月長石をレイチェルの18歳の誕生記念の祝いに届けさせる。レイチェルには、彼女の従兄であるフランクリンと、もう1人の従兄で慈善事業家として知られるゴドフリーの2人が求婚中であった。金満家の息子で落ち着きのないフランクリンと、社会的な声望を集めるゴドフリーではあったが、レイチェルの心はなぜかフランクリンの方に傾いているようであった。

 ところが誕生祝いの翌朝、レイチェルの部屋から月長石が消えており、地元の警察の捜索、さらにはフランクリンがロンドンから呼び寄せたカッフ部長刑事の捜索にもかかわらず、月長石のゆくえは分からない。しかもこの事件をきっかけとしてレイチェルのフランクリンに対する態度が一変する。自分の努力が報われないまま、失意のフランクリンは大陸旅行へと旅立つ。一方、ロンドンに出たレイチェルはいったんゴドフリーと婚約するが、彼の求婚の動機に不審を感じたブラッフの助言を受け入れて破棄する。この間にヴェリンダー卿夫人が急死する。それ以前にゴドフリーはインド人の襲撃を受けており、彼と月長石を結び付ける噂が流れている。

 翌年、父親が死んで莫大な財産を相続することになったフランクリンは帰国して、レイチェルとの仲を取り戻すためにも事件の真相を突き止めなければならないと考える。ヴェリンダー邸のあるヨークシャーに向かった彼は、事件の後に消息を絶った(自殺した)邸の使用人で前科のあるロザンナ・スピアマンが何かを隠していたことを知り、それを探し出すが、見つけたのはカッフが事件を解くカギになるといっていたレイチェルの部屋の扉に塗られたペンキのついたナイトガウン、それも彼自身のものであった。ナイトガウンに添えられていたロザンナの遺書にはフランクリンが犯人であると信じた彼女がこのガウンを隠す努力をしたが、フランクリンに無関心な態度を示されたためにこの遺書を残すと書かれていた。

 自分自身が犯人であることを示すナイトガウンの発見とロザンナの遺言における証言はフランクリンにとっては不可解な成り行きであった。なによりも彼の手もとに宝石はないのである。ロンドンに戻った彼はブラッフと相談し、叔母であるメリデュー夫人のもとで暮らしているレイチェルにあって、宝石が紛失した夜に彼女が何を見たのか、これまで証言を拒否してきた彼女の口を開かせようとする。フランクリンはブラッフの手引きにより、彼の支度を訪問しているレイチェルに会おうとする。

 フランクリンはレイチェルに近づき、思わず彼女に接吻するが、レイチェルは彼を突き飛ばし、「卑怯な方ね!・・・卑劣な、情けない、薄情な卑怯者よ!」(中村訳、567ページ)という。原文では”You coward! ...You mean, miserable, heartless coward!"(Penguin Popular Classics, p.339). レイチェルはフランクリンが1年前の夜にしたことを弁解するためにやってきたのだろうが、やり方が卑劣であると非難する。フランクリンは自分が何をしたのを見たのかを尋ねようとする。それに対してレイチェルは答える。

 「あたくし、あなたの破廉恥な行為を秘密にしてあげているんですのよ。それを隠しているおかげで、ひどい目にあっていますのよ。ご自分がなにをしたかなどとおたずねになるなんて、そして侮辱をうけずにすむ権利は、あたくしにはないものでしょうか。あなたには感謝の気持ちというものが消えてなくなったのでしょうか? あなたも前には紳士でしたわ。前には母にとって親しい方、そして、あたくしにとっては、もっと親しい――」(568‐9ページ)

 冷静さを保とうと努力しながら、フランクリンはロザンナ・スピアマンがレイチェルにナイトガウンを見せたかを質問する。レイチェルにとってこの質問は全く不可解なものである。フランクリン自身が月長石を盗んでおいて、ロザンナに罪を着せるつもりかとくってかかる。フランクリンは自分が犯人だという彼女の発言にかっとなるが、レイチェルは「悪党! あたくしは、あなたがあのダイヤモンドを盗むところを、この目で見たのですよ!」(571ページ)という。この彼女の言葉でフランクリンは救いようもなく打ちのめされる。

 事件の起きた1年前に、レイチェルはフランクリンを見逃した。もし、わざわざ彼女を訪問するようなことをしなければ彼女は沈黙を守り通すつもりだったという。フランクリンはレイチェルの中にまだわずかに残っている彼への愛情にすがって、彼女を落ち着かせ、真相に近づこうとする。レイチェルはフランクリンがダイヤモンドを盗むのを見たという。しかしそれはフランクリンが全く知らないことであったのだという。1年前の夜に何が起きたかをあらためて思いだす努力への協力を求める。

 そのよ、レイチェルは12時を過ぎても眠れなかった。フランクリンのことを思って眠れなかったのだと思わず漏らす。午前1時ごろ、寝室を出て居間に本を取りに行こうとすると、ドアの下から光が見え、近づいてくる足音が聞こえたので、扉を開けるのをやめる。レイチェルはそれが不眠症で苦しんでいる母の足音ではないかと思ったという。ヴェリンダー卿夫人はその夜、ダイヤモンドを用心するようにと何度も口にしていた。レイチェルは自分が起きていることを知れば、あらためてダイヤモンドをどこにしまうかの話をもちかけようとするにちがいないと考えて、ろうそくの灯を消して寝たふりをすることにした。

 しかし、居間のドアが開いてあらわれたのは、フランクリンであった。レイチェルは思わず立ちすくんで彼を見つめていた。フランクリンはレイチェルの用箪笥をあけて月長石を右手に持ち、左手にろうそくをもってしばらく物思いにふけるようにじっと立っていた後に、ドアを開けたまま立ち去って行った。レイチェルは暗闇の中に取り残された。

 今回は、これまでのあらすじの部分を少し長く、逆に新たに展開する物語の部分を短く紹介することになった。事件の関係者の証言が重なっていくにつれて、それまでは語られていなかった事件の周辺のさまざまな出来事が明らかになっていく。それで、「これまでのあらすじ」の部分が、少しずつ変化してきているのが連載の妙味となっているというと自画自賛になってしまうかな。

 19世紀の半ばの貧富の差が激しかったイングランドの裕福な人々の世界(召使という形で貧しい人々も登場しはするが、本当の意味での貧民はロザンナだけである)、登場するのはよくいえば精力的、悪くいえば俗物的な人物ぞろいである。そうした俗物の1人、事務弁護士であるブラッフの常識は一方で事件を起こし、その一方で事件を解決に向かわせる。しかし、事件のもう一方の端には宝石を取り戻そうとする(宝石は本来インドの神のものである)インド人たちの姿が見え隠れする。常識だけで事件は解決するのだろうか。

 この作品で事件の解明に迫る探偵役は前半においてはカッフ部長刑事であるが、後半においてはフランクリンの存在が大きくなる。しかし、彼には同時に犯人ではないかという疑惑が付きまとい、ブラッフが疑惑の払しょくを手伝う。この物語でのフランクリンの活動をもって、後のシャーロック・ホームズやピーター卿のようなアマチュアの紳士探偵の元祖とする考えもあることも付け加えておこう。既に触れたことだが、カッフが紳士でないことが事件の捜索の困難を大きくしていた。『月長石』は何か1つの図式で割り切れない複雑な魅力をもっている。物語のなかのダイヤモンドと同様に、純粋ではないための魅力をもっている。
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