語学放浪記(25)

3月12日(水)晴れ後曇り、気温が上がる。

 一時期、大学で英語を教えたことがある。既に何度か書いたように、小学校4年生の時から英語の授業を受けてきたから、他人より長く英語と付き合っているわけであるが、付き合い方がろくなものでなかったこともあって、他人よりも良くできるとはいえない。要するに英語の先生が不足していたので、少しは英語の本を読んでいそうな専門外の教師が手伝うことになったということである。

 その後、英語を教えなくてもよくなってから、英語を専門にしている先生にどうも力不足で済まなかったというようなことをいったところ、いや、いろいろな人がいろいろな英語を教えるのがいいと思うのですよと慰め?られた。この先生のいうことにも一理はあるのだが、英語のいろいろな授業を開設する場合には、先生の方で授業内容についての情報をできるだけ開示して、学生の方も選択の自由を行使できるようにする方がいいだろう。経済学の先生が英語の経済雑誌や経済紙の記事を読ませたり、推理小説が好きな先生がアガサ・クリスティーを読ませたり、音楽を聞かせたり、映画を見せたりというのはどうだろうか。やってみる価値はある。

 だが、「いろいろ」といってもそれこそいろいろな水準がある。わたしはというと、あまり高くなかったし、現在も似たようなものである。大学に勤めていたアメリカ人の先生と仲がよくなり、大学の食堂などでよく会って話をする機会があったのだが、だいたいは日本語で話していて、monopolyというのを日本語で何というのですかと聞かれて、「独占」でしょうなどと答えていた。あるとき、こちらがひどく疲れた顔で歩いていたときにその米国人教師に出会い、exhaustedという単語がとっさに出てこなかったのいで、ひどく情けない気分になって余計に疲れたことを思い出す。

 英語に限らないが、会話というのはある用件なり話題なりがあって成立するものである。したがってその用件や話題についての十分な知識や理解がないと会話はうまくいかない。飛行機の客室乗務員のような仕事の場合、話す相手は限定されないが、内容が限定される。国連本部で仕事をしている理髪師が多くの言語を操ることで有名だというが、もちろん自分の仕事に関連する会話に堪能だという話である。感心したのは、ある国際会議を手伝っていたときにある国の代表が途中で気分が悪くなったと言ってきたので、急いで医者に連れていった。地方の国立大学の助教授から開業したという話であったが、容体を聴いて適切に治療している様子だったので、医者という職業についてあらためて敬意をもった。何事にせよ、自分の専門領域で外国語に熟達することが大事である。

 専門領域の話はさておいても、趣味をめぐっても外国語で話すことができれば会話の話題が広がる。アメリカの研究者と話していて、私は『オズの魔法使い』を愛読しているのだが、笑うなよといったところ、あれは古典であるから、お前を笑ういわれはないといわれた。相手の文化のよい部分、誇りにしている部分を取り上げて話題にするのが常道であろうが、そうでない場合もある。1999年に英国とアイルランドでラグビーのワールド・カップが開かれたときにダブリンにいて、帰りのタクシーの中でアイルランドがアルゼンチンに負けた試合の話になり、ちょうどその試合をテレビで見ていたのでひどく話が弾んだことを思い出す。運転手にお前のようによく英語を話せる日本人は初めてだといわれたが、社交辞令が含まれていたかもしれない。タクシーの運転手といえば、ロンドン郊外で乗ったタクシーの運転手がシーク教徒であることがわかったので、自分はそういうタクシーにのるのは初めてだと言ったら、俺も日本人を乗せるのは初めてだといって話が弾んだこともある。この場合、相手の宗教を尊重する気持ちが通じたのであろう。

 よく言われることだが、欧米人には日本人と東アジアの他の国の人々の区別がつかないらしい(もっともこっちだって韓国や台湾の留学生を日本からの留学生と間違えることはあった)。それで、たまたま道でであった2人連れの女性に大学の公開講座で中国語を習っているのだが、実際に使えるのか試してみたいので、話してくれないかと言われて、実は日本人なので残念ながらご期待に添えないと断ったことがある。日本語を教えてくれと頼まれたことは一度もない。これは考えてもよいことである。
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