ロバート・ファン・ヒューリック『五色の雲』

3月10日(月)晴れ

 3月8日、ロバート・ファン・ヒューリック『五色の雲』(ハヤカワ・ミステリ)を読み終える。ヒューリックはオランダの東洋学者で、日本大使を務めたこともある外交官でもあった。彼は中国の唐時代に実在した能吏で則天武后(武則天)の時代に宰相まで務め、彼女の暴走にブレーキをかけた人物である狄仁傑(630-700)を主人公として活躍させる推理小説を何篇も残している。主人公ディー判事=狄仁傑は実在の人物だが、物語は虚構で、中国の歴史文化に通じ他ヒューリックがその想像力の翼を自由に羽ばたかせて、独自の世界へと読者を誘っている。その中で長編小説の方が多く翻訳されてきたが、これは短編集。8編の作品を収める。長編小説と同じく和爾桃子さんによる翻訳である。

 「五色の雲」(Five Auspicious Clouds)はディーの最初の任地、朝鮮半島に近い平来(架空の地名である)での出来事である。この港町で造船業を政府の保護監督下に置くというディーの提案が船主たちとの協議の末成立する。ところが規則の起草に手を貸した侯という引退した法律の専門家の年若い夫人が首を吊って死んだという知らせが届く。ディーが現場に駆け付けると、検死官は不審な点があるという。死体の近くに香印(香時計)の灰の粉が残っていて、死亡時刻を推定できそうである。香印のふたの切り抜き模様は幸運を呼ぶとされる五色の雲である。調べが進むと、夫人は結婚前に方という同年輩の画家から絵の手ほどきを受けていて、結婚後もあって親しく話をしていたという。ディーは方を取り調べる。彼は芸術家らしいモラルの箍を越えた人物のように思われる…。

 「赤い紐」(The Red Tape Murder)も平来で起きた事件。この地に駐屯する帝国軍の孟大佐が砦の副司令官だった蘇大佐を殺した犯人として逮捕される。軍の内部での殺人事件はディーが口を出す問題ではないが、彼の副官である馬栄と喬泰は孟大佐と酒席で意気投合した仲で、彼が犯人であることが信じられないという。軍から彼のもとに届けられた書類がそろっていないので頭を悩ませているディーであるが、部下たちの要請を受けて軍の司令官のもとに事件について問い合わせに出かける・・・。証拠は孟大佐に不利であるが・・・。Red Tapeには「無味乾燥な役所仕事」という意味もあることを知っておいた方がよさそうだ。

 「鶯鶯の恋人」(He Came with the Rain)も平来が舞台。市の外れの沼地に建っている古い望楼に鶯鶯と呼ばれる耳と口の不自由な娘が住んでいて、その住まいにめった切りにされた死体が転がっていたという。軍警察が逮捕した(越権である)容疑者は娘と平素から付き合いのあった若い漁師である。殺されたのは隠居状態の金もちの質屋で釣りが趣味だというが、小鳥も可愛がっていた。被害者の生活ぶりには表向きとは違う顔が見え隠れする。娘が文字にして示すことは「雨の精」などとこの土地の民間信仰にかかわる奇妙な内容ばかりである・・・。翻訳者が書いているように、「鶯鶯」といえば、元曲『西廂記』のヒロインを思いだすはずだが、この短編のヒロインは「ヒューリック流のひねりと皮肉」(222ページ)が施されている。

 「青蛙」(The Murder on the Lotus Pond)は都にほど近い湖畔の古い町漢源で起きた事件である。歌妓や芸妓が姸を競う柳街のすぐ裏で、つましい持ち家にひっそりと隠棲していた老詩人が殺された。蓮池に浮かぶあずまやで、心静かに月を愛でているさなかに降りかかった凶行である。目撃者はいない――はずだった。老詩人は若い芸妓を身受けして再婚生活を送っていた。若い妻にはろくでなしの弟が付きまとっているという。ディー判事はその一方で県境で起きた金塊の強奪事件の手がかりがつかめないのにいら立っている。「『泥中の蓮』のたとえどおり、汚泥にあってもなよやかに凛とした姿が、苦境にめげない美しい女人をほうふつとさせる」(223ページ)と和爾さんは注記しているのが、事件を読み解くカギになるかもしれない。

 「化生燈」(The Two Beggars)は蒲陽が舞台。正月の行事の締めくくり、ランタン祭としても知られる元宵節(1月15日)、家族だんらんを楽しむつもりだったディー判事のもとに、物乞いの年寄りが側溝に落ちて死んだという知らせが届く。そのままにしておこうと思ったのだが、被害者と思しき幽霊があらわれ、思い直して死体を調べると、他殺らしい。犯人は被害者を物乞いに見せかけて死体を捨てたのである。おりしも林親方の家塾の教師が行方不明になっているという。彼には華やかな過去があったが、何かの理由で零落したらしい。ディー判事はあることに思いついて、思いがけない方向に捜査の手を伸ばす。彼の悪友の羅知事が何かの形で絡んでいる・・・事件かもしれない・・・。

 「すり替え」(The Wrong Sword)も蒲陽で起きた事件。ディー判事の出張中、馬栄と喬泰が留守居役をしている。旅芸人の一座の芸の最中に少年が死亡する。知らないうちに芸のために使う剣がすり替えられていたのである。2人は事件の真相に迫ろうと苦労して捜査を進める・・・うちにディー判事が帰還して事件を一気に解決する。

 「西沙の柩」(The Coffins of the Emperor)は西域の辺境、蘭坊で起きた事件。国境近くに30万の兵を展開している突厥軍を迎え撃とうとして20万の兵を率いている元帥からディー判事に呼び出しがかかる。軍の内部に敵に内通しているものがいるという申し立てがあった。西域での狩猟中に死亡した皇帝の長子の柩の中に兵器が隠されているという。柩に直接手を触れずに、兵器が隠されているかどうかを突き止める方法があるだろうか。一方、ディーはたまたま知り合った妓女の恋人の軍人が同僚の妻を殺害したかどで処刑されようとしていることを知る。彼は2つの事件をうまく解決できるだろうか・・・。

 「小宝」(Murder on New Year's Eve)も蘭坊で起きた事件。大晦日、路上で小さな子どもが、家で事件が起きて、母親がいないと騒いでいる。夫婦喧嘩が血なまぐさい事件に発展したらしい。ディー判事は事件の究明に乗り出すが、日ごろに似ずその推理は誤った方向に向かう。しかし・・・。「小宝」は騒いでいた子どもの名前。事件の解決にも彼が大きな役割を果たす。

 ということで8編のすべてについて、紹介を試みた。それぞれの作品の面白さを伝えられたかどうか、紹介に濃淡があらわれているのは、わたしの好みの反映ということだろうか。2005年に刊行された書物であるが、大きな書店で見つけることはできるし、図書館でお読みになっても、古本屋で探されても結構である。ヒューリックというヨーロッパの人間の目をフィルターとして描き出された古い(唐代ということにこだわる必要はない)中国の雰囲気を楽しむのもいいし、もちろん、その推理について楽しむのもいい。たとえば「青蛙」は普通は騒ぎ立てないかえるが騒ぎ立てたという証言が事件を解くカギになっている。吠えるはずの犬が吠えなかったのはなぜかというのがカギになる推理小説の古典を思いだすはずである。短編ということで食事を楽しむ場面が少なくなっているのが少々残念ではある。
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