日記抄(2月26日~3月4日)

3月4日(火)晴れ後曇り、夜になって雨

 2月26日から3月4日にかけて経験したこと、考えたこと、思い出したことなど・・・:
2月26日(水)
 日本テレビの『PON!』だったろうか、フランスの女優であるマリオン・コティアールの話題になり、彼女が第80回のアカデミー主演女優賞をとったが、これはフランス人の女優としては49年ぶりのことであったという話になり、その49年前は誰だったかという質問に誰も答えられなかった。『年上の女』のシモーヌ・シニョレである。ネットで調べればすぐにわかることなので、TVにでる以上きちんと調べておいた方がいいと思う。

2月27日(木)
 NHKラジオの「まいにちフランス語」応用編で京都の南座の話題が取り上げられた。初めて知ることが多かった。というよりも、南座の前を通ったことは何度もあるけれども、中を覗いたことはないのである。

2月28日(金)
 新宿バルト9でテオ・アンゲロプロス監督の『エレニの帰郷』を見た。この映画については既に書いたが、本編とは異質な予告編の上映が多すぎたことを書きくわえておきたい。

3月1日(土)
 ちょうど50年前のこの日、受験のため京都に向かった。列車にのりこむときに、多くの同期生が見送ってくれたことを思い出す。それより前、慶応義塾大学の経済学部の試験の日に、日吉の駅前で同期生を激励したこともあった。世の中、お互いさまである。

 1954年のこの日、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験のために第五福竜丸の乗組員の方々をはじめとして、海域に住んでいたり、居合わせたりした多くの人々が被ばくした。この時代の核実験の影響は何らかの形で我々に及んでいる。それがどのような形で現れるか、今のところ予知はできない。

 1919年のこの日、第一次世界大戦後の民族自決の流れにのって、日本の植民地統治下にあった朝鮮の人々が独立を叫んだ。現在の韓国では「三一節」として記念されている。この時期に朝鮮半島で少女時代を過ごした今は亡き伯母の思い出話で、「暴徒」とか「夜間」とかいう言葉の意味が分からず、ボートや薬缶のお化けが暴れているのかと思っていたという。どうもよくわからないのは、伯母はこの時期既に高等女学校に在学していたので、そんな幼稚なことは考えなかったはずだったということである。あるいはもっと早い時期に韓国の人々による独立を求める動きがあったのかもしれない。真相を確かめるべくもなく、伯母が他界したこと、話を聞くことを怠っていたことが悔やまれる。俳人であった彼女と2人で足利学校に出かけようなどと約束していたのである。

3月2日
 J2開幕。本来ならば、三ツ沢球技場まで横浜FCの開幕試合を観戦に出かけるところだが、東京都内に仮住まい中で、行き帰りに時間がかかるので見合わせることにした。後で知ったところでは愛媛FCに対し0―0で引き分け。退場者を出して相手が1人少ない状態での引き分けはどうかと思う。FC岐阜に移籍した難波選手、高地選手がそれぞれゴールを記録していると聞くと、余計に残念。

3月3日
 NHKまいにちフランス語の時間で、北アフリカの家庭料理でフランスでも食べられるようになったクスクスの話題が取り上げられた。北アフリカでも西の方、マグレブ地方の料理である。『アラビアン・ナイト』でマグレブ地方には特別な意味が与えられているそうである。そして、ロンドンのマグレブ書店の主人の顔を思い出す。

3月4日
 NHKまいにちイタリア語で
 Un tempo si vedevano molte piu lucciole.(昔は蛍がもっとたくさん見られていました)という文が出てきた。蛍に対応する外国語として知ったのはlucciolaが初めてである(luccioleは複数形)。番組パートナーのヴァレンティーナ・ポンピーリさんによると、イタリアに比べて日本の蛍の光は緑がかっているそうだ。イタリアと比べようにも、日本の蛍をじっくりと見たことがないのがどうも残念である。 
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