今野真二『かなづかいの歴史』

3月1日(土)小雨が降ったりやんだり、寒さが戻ってきた

 2月28日、今野真二『かなづかいの歴史』(中公新書)を読み終える。(したがって、2月に読んだ本は10冊、1月からの通算では20冊となった。実際のところ、読み終えた時点では既に3月1日になっていたのだが、眠る前に読んだ本は起きていた日に読んだものとみなすことにしている。) この著者の書いたものは既に何冊か読んでいるが、この書物が一番論争的であり、挑発的な内容に満ちているような気がする。

 「かなづかい」とは、文字通りかなの使い方であるが、本来表音文字である「かな」に使い方に際しての問題が生じるのは、実際には日本語の音韻とその表記の仕方に1対1の対応が成立しなくなっているからである。著者は実例を上げている:「現代日本語においては、『オ』の発音は1つしかない。『日本語をおしえる』の『を』と『お』とは同じ発音である。同じ発音であるが、その同じ発音に使うかなが、『お・を』の2種類ある。『オ』と発音するところに、『お・を』いずれの仮名を使うか。これが『かなづかい』である」(ⅱページ)。(ところが、書き言葉に引きずられて、会話場面で「を」を「ヲ」と発音する人が少なくない――ということには著者は触れていない。そういう個人的な発音の違いとか、方言の問題は避けて論じられているように思う。)

 この書物は次の各章から構成されている:
第1章 仮名の成立とかなづかい
第2章 平仮名で日本語を書く
第3章 片仮名で日本語を書く
第4章 中世から近世にかけてのかなづかい
第5章 明治期のかなづかい
第6章 「現代かなづかい」再評価
 仮名が発生したのは10世紀ごろと考えられている。このころに書かれた文献はほとんど残っていないが、935年頃に成立したと考えられる紀貫之の『土左日記』(土佐ではなく土左と書く理由は本文中で説明されている)の写本には「わらは」(童=子ども)という語が見える。これは現在では「わらわ」と読んでいるが、それは西暦1000年頃に「ハ行転呼音現象」と呼ばれる日本語の音韻にかかわる大きな変化が起きたためである。貫之の時代にはまだ「わらは」といっていたものが、それ以後は「わらわ」と読まれるようになった。また1000年頃に「オ・ヲ」、1100年頃に「イ・ヰ」、「エ・ヱ」も音韻上1つになった。
 音韻と仮名とが1対1の対応を保っていた時期におけるかなづかいを「古典かなづかい」と著者は呼んでいる(必ずしも学界における共通の理解ではないということらしい)。音韻の変化によってかなが余るようになったが、表音に合わせて仮名を使うのではなく、「かつて書いていたように仮名を使う」という原理が採用された。(英語でseeとseaは昔は別の発音をしていたのが、現在は同じように発音している。しかし昔のスペリングを残しているというのと共通する現象のように思われる。)

 12世紀に書かれた文献を調べてみると、「非表音的表記」≒「かつて書いていたように仮名を使う」という表記原理が支配的であるが、僅かばかり「古典かなづかい」と一致しない「表音的表記」が見られる。13世紀以降になって「発音するように書かないことが結構あるぞ」と分かってくると、「表音的表記」はさらに少なく、ごく稀になっていく。問題は、「表音的」ではないが、「古典かなづかい」とも違うかなづかいが出現することであるが、その中で「定家かなづかい」と呼ばれるものを見出しうるのか、それが本当に藤原定家と結びついているのかについての考察が展開されている。(あまりよく理解できなかったので、詳しいことは省略させていただく。) 14世紀後半ごろに行阿が著わした『仮名文字遣」という書物は、「定家仮名遣い」を示した書物とされているが、文献の用例をまとめたものと考えられ、文字社会の要求にこたえるものとして普及していった。他方、13~16世紀にかけての実用的な文書を検討すると、文学作品とは別の書かれ方を認めることができる。この時期を通じて、「古典かなづかい」と合致した書き方と、合致しない表音的な書き方を両極として、両者がさまざまな程度で混淆した書き方がなされていたというのが実態である。

 片仮名はもともと漢字と併用されることを前提として発生したものであり、和語を記すために使われることは少なかったので、仮名遣いは問題にならなかったが、平仮名世界との接触が増えるにつれて、仮名遣いが意識されるようになってきた。

 室町時代の末期になると「かなづかい書」が数多く書かれ、日本語の観察に基づいてかなづかいの原理を探ろうとする意識が認められる。しかし、漢字をある程度交える「漢字仮名交じり」の表記が一般化するにつれて、かなづかいへの意識そのものは後退したのではないかと著者は論じている。江戸時代に契沖が著わした『和字正濫鈔』は「定家仮名遣い」の誤りを正して歴史的かなづかいの規範を示した書物とされてきたが、むしろ彼の古典研究の成果として、かなづかいの根拠を示したものではないかと論じられている。

 明治以後、現代に至るまで学校教育の普及によってかなづかいは統一され、戦前においては歴史的かなづかいが戦後は「現代かなづかい」が行き渡ったと考えられがちであるが、実際に使われている表記には多様性があり、規範としてのかなづかいと現実とはまた別であることが指摘されているようである。著者はもっぱら言語政策としての仮名遣いの規範の策定に関心をもっているように見えるが、ITの普及によってかなづかいがどのように影響を受けるか、またカナモジカイに代表されるような表記の平易化を目指す運動や、さらに日本語のローマ字表記が内包する問題など、関連して取り上げるべき問題は多いのではないかと勝手に考えたりした。要約・紹介に見られるように、どうも内容を十分に理解しえたとは思えないのだが、自分なりに理解できたと思った部分だけでも一般的な理解に異論を唱える、論争的な内容が多いのではないかと思う。かなり多くの例文が引用されており、日本語の歴史に興味のある人、あるいは暇を持て余しているような人にはじっくり目を通してみると、暗号解読にも似た喜びを感じることができるのではなかろうか。日本語を歴史的に考え直す手掛かりとして、読みごたえのある書物である。 
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