柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』(3)

2月22日(土)晴れ

 2月20日の当ブログでも書いたが、第3章「実験の史学」はこの書物のなかでもっとも長い。第2章で柳田が椎葉村の「山民」の生活から「協同自助」の思想を読みとったこと、それを日本の農村再生に生かそうとしたことについて触れた。第3章はこの点を踏まえて書きだされる:
「柳田国男にとって、農政学は協同組合に集約される。とすれば、彼が"山人"に注目したのは、農政学を離れることではなかった。民俗学と見える彼の著作は、平地人、つまり、稲作農民に、かつてありえたものを想起させ、それが不可能ではないと悟らせるために書かれた。彼が"山人"に見だしたのは、「協同自助」をもたらす基礎的条件としての遊動性であった(付論参照)」(80ページ)。

 狩猟採集民は平地から追われて山に逃げ、彼らを追い詰めた平地の農耕民からは、不気味な"山人"とみなされていた。このような先住異民族の問題は日本に限られたものではないことを柳田は承知していた。彼は山人をアイヌや台湾の先住民から発想したといわれる。おそらくその通りであるが、だからと言って彼の民俗学が植民地主義や帝国主義と結びついているというのは批判にならないと柄谷さんは説く。
 この点で思い出すのは、大学院時代に梅棹忠夫について伝聞したことである。ある講義で梅棹がレヴィ=ストロースの文化人類学はフランスの帝国主義や植民地支配と結びついていると述べたことについて、それを聴いた学生が梅棹だって彼の学問は日本の帝国主義と植民地支配に結びついているのではないかと感想を述べていた。結びついているというのは客観的な事実である。その結びつきがどのようなものであるかを分析することなしに、結びついているということだけで批判するのは間違いである。

 柳田は民俗学(フォークロア)と民族学(エスノロジー)が日本では混同されやすいが、民俗学は自分の同胞の文化を対象とし、民族学は未開種族の生活が対象となることを指摘する。しかし、あえて両者を分ける必要はないと考えている。西洋では両者を区別しているが、柳田にとってこの両者は厳密に区別できるものではなかった。

 「歴史的に、民俗学は民族学なしには存在しなかった。つまり、民俗学とは、外に見出した「未開社会」を、内の「同胞」に見出すものである。・・・/柳田は、民族学を始めた最初の段階で、山人を、抑圧された先住民の末裔と見た。その際、柳田がアイヌや台湾の先住民を参照したのは当然のことである。また、彼は古代日本史を念頭においていた」(82ページ)。だから柳田の学問を、民俗学、民族学、歴史学のどれかに分類してしまうわけにはいかないが、そのような区別に意味はないと柄谷さんは論じる。

 柳田は民俗学が民族学あるいは歴史学と切り離せないということをハイネの『流刑の神々』を読むことによって悟った。ヨーロッパでは一般に近代化によって伝統的な文化が消えゆくことを嘆き、伝統文化を掘り起こそうとするロマン主義的な憧れや民族意識の高まりによって民俗学的な関心が醸成されたが、ユダヤ系のハイネはこのような流れからは自由であった。柄谷さんはハイネを「ユダヤ系」とみているが、ユダヤ人のなかにもハイネやフェリックス・メンデルスゾーンのようにキリスト教に改宗した人々と、伝統的なユダヤ教の世界を守った人々がいることを念頭に置いた方がいいだろう。

 ハイネによれば、ヨーロッパの森の中にいる妖怪は、キリスト教が到来する前に信仰されていた神々であった。このような神々の頽落はそれを信じる人間たちの抑圧でもあった。もし、ヨーロッパで民俗学がキリスト教以前の固有信仰を探る試みだとすれば、そのような固有信仰を抱いた人々を大量に殺戮してきたという事実を認め、罪をあがなうことが求められるはずである。しかし、そういう意識は西洋の民俗学にも民族学(人類学)にもなく、人類学者が植民地主義の共犯者であることを認めるようになったのは20世紀半ばになってからのことである。その中で柳田は、「他民族を対象とする民族学と、自民族を対象とする民俗学を区別しなかった」(84ページ)。

 柳田は先住民を「征服」した平地人の後裔の一人として「かのタシタス[タキトゥス]が日耳曼(ジェルマン)人を描いたと同様なる用意を以て、彼等の過去に臨まんと欲する」(86ページ)と記す。20日付の当ブログで柳田は文人的な官僚であったというべきであるとの意見を記しておいたが、『ゲルマニア』の著者タキトゥスはローマ五賢帝時代の文人的な官僚の代表的な1人であった。もっともゲルマン人たちはローマ文化の影響を受け、キリスト教に改宗したかもしれないが、ローマ帝国を滅ぼしたのは結局彼らであって、柳田のいう「山人」と同一視はできないところがある。その意味ではヨーロッパの歴史についての柳田の理解には不十分な面があったといわざるをえまい。たとえ、大筋での理解が正しかったとしても・・・。

 だんだん、紹介のペースが鈍ってきた。4章からなる書物なので、4回で終わらせるつもりだったのが、もう少しかかりそうである。柳田は英仏独の書物は読んでいるし、北欧における民話研究の成果も利用しているが、アファなシェフからプロップに至るロシアの民俗学研究の成果には触れていない。柳田とプロップはほぼ同時代人であっただけにこのことは残念である。というのはプロップの『魔法昔話の起源』を読み進んでいるが、彼はフランスやドイツの民話とアフリカやシベリアの民話を区別せずに取り上げているからで、この点は今回紹介した部分で柄谷さんが指摘していることと併せて考えるべきではないかと思う。
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