柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』(2)

2月21日(金)晴れ

 昨日に続き、柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』を取り上げる。

 第2章「山人」はこの書物の表題との関連で重要な内容を含むことが推測できるが、実際のところ第1章~第4章のなかでもっとも短い章となっている。

 柳田がその初期に、なぜ山人の問題を取り上げたかは、一般に文学的な興味からであると理解されてきた。彼の文学仲間である田山花袋や国木田独歩の目から見れば、柳田はロマン主義的な夢想を満たすために山人のことを書いたのであった。しかし、柳田はその回想記のなかで、飢饉を絶滅しなければならないという気持ちから農政学を勉強し、農商務省に入ったと述べている。さらに民俗学はそういう関心の延長だとも語っているのである。

 柳田は、自分の父が人生の途中から神官になったことをある講演のなかで語っている。平田派の神官であった父の影響のもとで柳田は「幽冥界」への関心を幼いころから育てていたと柄谷さんは推論している。このような関心と飢饉をなくそうという儒教的な「経世済民」の考えとは矛盾するものではないと柄谷さんは論じているが、もう少し説明が必要ではないかと思う。

 柳田は桂園派の歌人である松浦辰男に入門して和歌を勉強し、その一方で新体詩の詩人でもあった。彼は外来の新しい学問を学び、それを実践に生かして農村の生活を改善しようと企てながら、その一方で自分のなかの伝統的なもの、古いものを無視しようとはしなかったのである。

 柄谷さんは明治時代の終わりごろまでの官僚制には、農政学者としての柳田の政策提言を受け入れはしなくても、彼が自由の研究をし、その意見を発表することを認める空気があったと説く。柳田は早稲田大学で講義をしたり、各地で講演を行っていた。柳田の師匠格の森鴎外は東京美術学校や慶応で講義をしていた。それぞれ、講義分野について余人をもって代えがたい専門的識見を有していたからではあるが、このような自由があったということは評価すべきことである。

 富国強兵策をとった明治国家のもとで、農村は労働者を提供するだけでなく、失業した労働者を一時的に受け入れるため池であり、兵士を提供する母体でもある。それゆえ農村は収奪の対象であるとはいうものの、それが荒廃してしまっては資本と国家にとって危機を招くことになる。そこでさまざまな補助金を与える保護政策がとられることになるが、それは農村の自律的な改革や発展を目指すものではなかった。

 柳田の農業政策は農家が国家に依存せず、協同組合を通じて自助を達成することである。彼は外国におけるこのような試みを研究するだけでなく、同じような試みが日本や中国の過去にも存在したことを説いた。特に中国における自治的な相互扶助システムである社倉に注目した。また彼は日本に従来あった労働組織(ユイ)や金融組織(頼母子講)に新しい意味を与えようとしたのである。

 柳田が農商務省に入ったのは飢饉をなくすためであったが、彼がなくそうとしたのはたんに物質的な飢餓だけでなく、人と人との関係性の貧しさでもあった。彼の協同組合の構想はこのような側面も持っていたのである。柄谷さんは柳田の構想とおそらくは無関係に構想されている宇沢弘文の「社会的共通資本」の考え方の近縁性を指摘している。この点については自分なりに掘り下げてみるべきだと思うが、宮沢賢治の羅須地人協会の実践などはどういう位置づけになるのか、柳田の『遠野物語』と賢治のイーハトーヴォ童話が重なっているようないないような感じを持ち続けているだけに興味がある。あるいは藻谷浩介氏の「里山資本主義」なども視野に入れてもいいのかもしれない。

 柳田は農政学者・官僚として調査旅行をするなかで1908年に宮崎県の椎葉村という焼畑と(猪)狩猟で生活している村を見て衝撃を受ける。彼が「山人」について書きはじめるのはこの後のことである。彼が衝撃を受けたのは怪異譚のためではなく、山村の生活に理想的な「協同自助」を見出したことである。「柳田が椎葉村に見たのは、妖怪のようなものではなかった。また、たんに前代の生産形態でもなかった。彼がそこに見出したのは、平地とは異なる『土地に対する思想』、つまり、共同所有の観念である。さらに重要なのは、生産における『協同自助』である。それらは、彼らが焼畑と狩猟に従事するということ、つまり遊動的生活からくるものである」(69ページ)。

 椎葉村の人々は「山民」であって「山人」ではない。山民は先住者である山人を追って山中に定着した人々であるが、山人の生活を引き継いでいるところがあり、山民を通じて山人のあり方をうかがい知ることはできると柳田は考えていた。「山民が現存するのに対して、山人は見つからない。しかし、山人の『思想』は確実に存在する。山人は幻想ではない。それは『思想』として存在するのだ」(72ページ)。「思想」とは「協同自助」である。

 『遠野物語』の「序」で柳田は次のように言う。「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」。柄谷さんは松崎憲三さんの意見を引いて、戦慄させようとしているのは「怪異譚ではなく、山村に目撃した、別の社会、別の生き方なのだ」(73ページ)と論じる。第2章を通じて、柳田の「山人」論を柄谷さんがどのように理解しているかが分かってくる。

 では、このような「山人」への関心を出発点として柳田の農政学と「民俗学」はどのような展開を遂げたのであろうか。
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