若き日の啄木 雲は天才である

2月10日(月)晴れたり曇ったり、まだ雪が残っている

 神保町シアターで中川信夫(1905-1984)が1954年に新東宝で撮った『若き日の啄木 雲は天才である』を見た。中川は怪談映画の名手として知られるが、時代劇、喜劇、文芸映画など他のジャンルにおいても注目すべき作品を残している。この作品は文芸ものに属し、石川啄木が故郷渋民村での代用教員生活としての職を追われ、北海道で新聞記者として過ごした日々を描く伝記映画である(彼の小説『雲は天才である』を映画化したものではない)。

 新しい文学の創造を目指す啄木は中央の文壇にその作品がなかなか認められず、悶々とした日々を過ごしている。新体詩、短歌、小説とさまざまなジャンルの作品に取り組むがなかなか思うような作品が書けない。作品を書くとどうしても既成文壇のなかの人物を攻撃してしまい、それがあだになって没書されることになる。身過ぎのために就職しても周囲の人々と衝突することが多い。教師としては熱心のあまりに周囲の批判を浴びてしまうし、記者としてはたとえ身内であっても不正を見逃さない態度が孤立を招く。妻は彼の可能性を信じているが、彼女以外の家族の視線は複雑であり、ときに冷たい。彼の才能を信じる友人にすがって転々とする啄木だが、理解者に出会うこともあり、釧路では記者として出世の道が開けそうになる。しかし、記者としての成功は文学者としての可能性を閉ざすことになるかもしれない。

 地方の都市に埋もれるにはもったいないような芸術家としての可能性を感じさせる青年啄木に好意を寄せる女性たちもあらわれる。しかし彼には妻子がある。そういう芸術家をめぐる愛情のもつれという点ではジャック・ベッケルが画家モディリアニの生涯を描いた『モンパルナスの灯』をちょっと連想させるところがあるが、こちらの方がロケーションによって作られた部分が多いようである。この映画が製作された時代には、まだ明治時代の面影を残す風景があちこちに残っていたようで、啄木の生活の様子が違和感を感じることなく再現されているように思われる。東北の農村も、北海道の町も、蒸気機関車も汽船も啄木の時代の面影を宿しているようである。1950年代にはまだランプは近い過去の記憶であったし、火鉢はまだまだ現役であった。

 最後まで映画についての情熱を燃やし続けた中川はその一方で、詩を書き続け、若い頃に抱いた小説への夢を忘れない人物でもあった。彼の文学への夢が啄木への感情移入となってこの作品に結実しているように思われる。とはいうものの、この映画にとって不幸なことは、この作品がつくられた時代に比べて、現代では啄木の評価が少し下がってきているように思われることである。たぶん、現代人は豊かになった分、啄木の世界から遠ざかり、彼の作品の価値を忘れかけている。そしてそのことは、1950年代にはまだ残っていた明治の風景が、現在では探すのが困難になっていることと無縁ではない。もちろん、生活が便利になり豊かになるのはいいことには違いないが、啄木の世界をあらためて探索し直すことも意味のあることだろうと思った次第である。 
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