神野志隆光『古事記とはなにか 天皇の世界の物語』(2)

2月9日(日)晴れ

 首都圏は45年ぶりの大雪だそうである。ソチの冬季オリンピックでは日本選手が健闘。しかし外国選手も健闘している。みんな全力で競技しているので、こちらの思惑通りにすべてが運ぶわけではない。とにかく応援しよう。

 昨日に続いて神野志隆光『古事記とはなにか 天皇の世界の物語』を取り上げる。第1編第2章「世界の成り立ちの物語」に進んでいよいよ『古事記』の本文が分析されはじめる。「『古事記』の神話的世界は、世界の成り立ちを語ることから始まる。その語りはじめをどのように読むかに『古事記』の理解がかかっている」(68ページ)と著者は記す。冒頭部分はほとんど神の名を列挙するだけのようなものであるが、これが『古事記』の世界を語ることの始まりなのである。

 本居宣長は『古事記伝』においてこの冒頭部分を天と地の成り立ちを語るものであると宇宙論(コスモロジー)的に解釈した。この見解には見るべきものがあるとしながらも、著者は別の読み方を提案する。冒頭の「天地初発之時、於高天原」についてアメノミナカヌシ~イザナミに至る神々の全体が「高天原」になったと受け取るべきであると著者は説く。天地となって世界が動き始めた。その初めに、天の世界に神々があらわれたというのが冒頭の部分の語るところであるという。高天原は既にあるものであり、そこに神々があらわれたことが語られているというのである。したがって、「はじめに高天原があり、『国」は『ただよ』っている、その高天原に神々があらわれて『国」を世界として成り立たせていく――これが『古事記』の語る世界のはじまりなのである。高天原という天の世界を基点とする世界像であり、それを見定めることが、『古事記』の読み出しとしての核心だと考える」(82ページ)と著者は論じている。これに対して『日本書紀』は渾沌から陰陽分かれて天地となったという陰陽論の世界像を展開している。『古事記』とは全く別の世界像が示されているのである。

 天と地が動き始めた時、天の世界=高天原に神々があらわれた。『古事記』冒頭部分はほとんど神々の名前の列挙に終わっているが、神々はその名前によって何を語っているのか。冒頭に登場する神々は「独神隠身」とされる神々と、そうでない神々に大きく分けられる。「独神隠神」のうち最初のアメノミナカミヌシは天の世界の中心をつかさどる神であり、次のタカミムスヒ、カミムスヒについてみるとムスヒ(生成の霊力)の神であり、生成の霊力の次に生成の場としてトコタチが出現する。まずアメノトコタチ、続いて「国」への働きをもつ神々生成の場としてクニノトコタチがあらわれ、その後さらに男女神としての体を備えたイザナキ・イザナミが出現する。ムスヒの神は冒頭部分だけでなく、その後の神話の展開でも登場し、神々に指示を与えている。『古事記』ではムスヒの働きが重視されているのに対し、『日本書紀』では天の世界は絶対的ではなく、命令を与える天神はいない。イザナキ・イザナミは、自発的に共同して国生みを始める。「ムスヒの導くところで、『国』にかかわるという性格を負うて高天原にあらわれたイザナキ・イザナミと(『古事記』)、陰陽の作用のなかで、陰陽神として『天地の中』にあらわれたイザナキ・イザナミと(『日本書紀』)であり、二神によって地上世界の成り立ちを語る神話的物語は、根本的に、世界像的に異なるのである」(101ページ)と著者は2つの書物の世界像を区別する。

 第3章「世界の生成――「修理固成」の物語」では、「イザナキ・イザナミの物語」、「黄泉国の話」、「大国主神による国作りの完成」の3つの考察により地上世界が生成される過程をたどっている。イザナキ・イザナミは天つ神の命を受けて『ただよへる」だけの地上を世界にしようとする。著者は「修理固成」の字義の考察から、天つ神には既にあるべき地上の姿が構想されていて、イザナキ・イザナミはその実現のために派遣されたのであると論じている。国作りの過程でイザナミが死んでしまうために、国作りは未完成の状態に終わる。

 未完成のままの国作りを続行させるためにイザナキはイザナミを追って黄泉に出かける。黄泉は地下の世界であるという理解が一般的であるが、著者は黄泉も葦原中国も地上世界であると論じる。それだけでなく、黄泉国とのかかわりで葦原中国という呼び方が出現したことに注目する。「他の世界とのかかわりをもって、世界としての性格が明確にあらわし出されたのだということができよう」(120ページ)。

 イザナキ・イザナミによって完成されなかった国作りを完成させたのは大国主神である。『古事記』における大国主神の物語は3つの部分に分けられる。
(1)オホアナムヂから「大国主」へと成長する物語
(2)ヤチホコノ神の歌謡物語
(3)オホクニヌシの国作りの物語
 はじめにオホアナムヂと呼ばれて登場する若い神が試練を経て国作りをになうべき「大国主」となる。この過程でカミムスヒが関与している点に著者は注目している。高天原のカミムスヒの力が葦原中国に働き続けているのである。根之堅州国のスサノヲを訪問し、自分の祖先であるその神の巨大な力を呼び込んだオホアナムヂは大国主となり、国作りの完成を果たしうる偉大な神となった。オホクニヌシはヤチホコノ神と呼ばれ、ヌナカハヒメおよびスセリビメと歌を詠み交わす。古代においては「色好み」であることが徳と考えられていたのであり、多彩な恋愛関係を破たんなく展開できることがオホクニヌシの偉大さの証明となる。

 大国主は八十神を逐って「始めて国を作」ったのに続き、スクナビコナと協力して「国を作り堅め」、さらに御諸山の神とともに「相作り成」した。大国主が完成させたのは葦原中国という世界であり、それは天皇の世界の神話的根源となるものであった。

 こうして完成された葦原中国を誰が支配することになるのか、第2編ではその支配の正当性をめぐる問題が論じられることになる。これでこの書物のだいたい3分の1を読んだことになるが、『古事記』という書物が単なる説話の寄せ集めではなく、しっかりとした意図をもって構成された書物であり、それぞれの部分に全体を支える意味があることがよくわかった。
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