神野志隆光『古事記とはなにか 天皇の世界の物語』

2月8日(土)雪

 ロシアのソチで冬季オリンピックが開幕。晴天のもとで開会式と競技が行われているのに対して、こちらは雪に見舞われている。

 2月7日、神野志隆光『古事記とはなにか 天皇の世界の物語』を読み終える。1995年に『古事記』として日本放送出版協会から発行された書物を文庫化したものである。著者による長年の研究を一般の読者にわかるようにまとめたというのだが、1月4日に購入してから1カ月以上の時間をかけて読み終えることになった。簡単にまとめると、『古事記』はどのような事情のもとでどのような意図をもって書かれたかについて問うた書物であり、その問いに答えて、この書物は「天皇の世界の物語」であると論じている。では、「天皇の世界の物語」とはどういうことなのか?

 『古事記』をどのように読むか、日本文学史上もっとも古い作品であるから、この書物をめぐって多くの研究が積み重ねられてきた。そのような研究のなかで有力なのは、「たとえば、神話の場合、元来の共同体的社会において生きた神話がもとにあり、それが政治的に体系化され、さらに高度に政治化体系化されて『古事記』となった」(3ページ)とするような発展段階的な理解であるが、著者はこの見解に対して批判の目を向ける。もともとまとまった形の神話があって、それが『古事記』に利用されたのではなくて、ある全体を目指して『古事記』が書き進められるなかで個々の物語が意味をもつようになったというのである。

 書物は
序章『古事記』の成り立ち
第1編 世界の物語としての神話
 第1章 『古事記』神話への視点
 第2章 世界の成り立ちの物語
 第3章 世界の生成――「修理固成」の物語
第2編 天皇の正当性の論理
 第1章 正統性を保障するアマテラス
 第2章 古代神話の多元性と『古事記』
第3編 天皇の物語
 第1章 大八島国の秩序化と朝鮮半島に及ぶ「天下」
 第2章 めでたく満ち足りた「天下」
 第3章 悲劇の主人公たち
という構成をとっている。今回は第1編の第1章までを取り上げることにしたい。

 「序章『古事記』の成り立ち」では『古事記』の成立をめぐる問題が論じられている。『古事記』の成立の事情については、その時代の正史である『続日本紀』には何も記載がなく、『古事記』の序文が語っているのみである。この序文について、著者はこれが太安万侶によって書かれたことは信頼してよいと論じる。しかし、その内容については疑う余地があるという。太安万侶は『古事記』の編纂に天武天皇が直接に関わり、かつそれが決定的な重みをもつものであったという。しかし『古事記』が書かれた時代には、天武天皇を神格化する時代精神があったと著者は論じる。この時代精神のなかにあった安万侶が天武天皇の決定的な関与を書き記しているからといって、それをそのまま受け入れるわけにはいかないという。

 もう1つ著者が強調するのは、太安万侶が『古事記』を書くことは、それが文章体としての『古事記』をはじめて成り立たせる営みだったということである。訓を主体とし、日本語として読まれ、理解されることを意図して書かれた文章が、安万侶を通じてはじめて実現されたということである。「今の『古事記』の内実は、安万侶の創ったもの(文字表現)においてはじめてできた」(25ページ)と著者は考えている。

 『古事記』成立の背景として著者が重視するのはこの時代までの中国とのかかわりである。倭の国家としての形成は中国王朝を中心とする東アジア世界のなかで進行したものであり、倭の支配者たちは中国王朝に朝貢して王に任じられるという冊封を国内における自己の権威づけのために利用していたのが、倭の五王時代になると朝鮮半島における倭国の地位を強化することが目的となる。しかし冊封関係は7世紀以降の隋や唐に対しては認められなくなる。中国に対し対等の立場を取ろうとし、中国の「天下」の一部として自国を位置づけるのではなくて、自分たちが独自の「天下」を形成しているのだという態度をとるようになる。『古事記』『日本書紀』は東アジアの独立した小帝国としての国家形成と一体のものであり、天皇が支配するそのような世界を内的に支えるものとして書かれたのであると著者はいう。天皇の世界としての『日本』の完成は、制度の輸入だけでなく、制度とともに自分たちの世界を内側から支えるアイデンティティーの確立が必要である。そしてそれは文字のレベルで求められるものである。「日本語文であり、したがって訓読されるべき『古事記』と、・・・中国語文(漢文)である『日本書紀』が並立することは、文字のありよう・・・と対応する」(44ページ)。

 第1編第1章では「『古事記』神話への視点」として、『古事記』のなかの神話的な部分を見ていくが、ここで既に述べたように発展段階論的な神話把握の方法が批判される。著者が強調するのは、『古事記』『日本書紀』をそれぞれ別個な作品として把握することである。

 例えば『古事記』の神話は「人間のはじめ」については語っていない。著者は追求されるべきであるのは「『古事記』が人間のはじめについてふれることなく、地上の、世界としての成り立ちを語ることの意味であ」(57ページ)るという。『古事記』はあくまで天皇の世界の根源として、天皇につながるものとしての神の世界を語るものなのであると論じる。さらに黄泉国の話が一般的に死者や詩をめぐる神話として見られるべきではないという議論を展開する。そして『古事記』はあくまで天皇につながる神の世界の物語として読みとおすべきだということを力説してこの章を終えている。

 これまでの議論は方法論的なものが多いが、津田左右吉による文献批判、三品彰英による要素的な比較などの従来からの研究を批判しながら著者は独自の議論を展開しており、読み応えがある。これから、何回かに分けて残りの部分を紹介していきたいと考えている。 
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