ほとりの朔子

1月28日(火)晴れ

 渋谷のシアター・イメージ・フォーラムで深田晃司監督の映画『ほとりの朔子』を見る。

 この作品の鍵になるのは「ほとり」という言葉で、主人公である朔子が大人と子どものほとりにいるという意味がさまざまに語られることになるが、物語の舞台が海岸に設定されていること、海岸とその海にそそぎこむ川が時に美しく、時にありのままに描かれているのが特徴的である。

 大学受験に失敗した朔子は、血のつながらない叔母・海希江(みきえ)の誘いで、旅行でオランダに出かけるというもう一人の伯母・水帆の家で、夏の終わりの2週間を過ごすことになった。彼女の祖父母が離婚・再婚した際に彼女の母が姉妹になったという複雑な関係ではあるが、インドネシアの文化を研究し、その関係でオランダにも出かけた海希江を朔子は尊敬している。朔子は水帆と海希江の両方のむかしからのなじみである兎吉(うきち)やその娘で近くの女子大学に通う辰子、そして兎吉の甥で高校生の孝史と知り合う。朔子は不登校の高校生である孝史との距離を縮めるが、海希江には過去に兎吉との関係があっただけでなく、大学の教師で西洋美術史の研究家である西田との不倫も続けているらしい。その西田に辰子が興味を持つ。

 兎吉は地元では評判の悪いチンピラであり、現在はビジネスホテルに偽装したラブホテルの支配人をしている。福島から避難してきた孝史はこのホテルで働いているが、それは法律に違反している。伯父に一方で感謝しながら、このホテルで行われている多くの法令違反に我慢がならない。朔子は孝史をランチに誘うが、彼に急接近中の同級生・知佳から連絡が入る。浮足立つ孝史の表情を見て、朔子の心が揺れる。孝史は思いがけない体験に引き込まれ、苦しむことになる。

 叔母と二人で海辺の町へやってきた朔子は、一人で帰っていく。そこに彼女の成長を感じ取ることができるだろう。受験一筋で来た朔子は、まったく別の世界に生きている同年代の孝史や、少し(どのくらいの少しかが問題)人生については先輩の辰子と出会うことで新しい経験をする。どうも予定していた受験勉強はできなかったようであるが(本人のやる気がもう一つというところもありそうである)、何やら将来の計画も立てたようであるが、それは秘密であるという。叔母の海希江が自分の行動について秘密だというのをまねているようでもある。海希江は西田に対して恋愛は恋愛、仕事は仕事、両者をごっちゃにはできないという。理想と現実をどこでおりあわせるか。彼女には彼女のおりあわせ方があり、それを他人の都合であいまいに変更はできないということらしい。

 映像も登場人物も時に美しく、時にあまりに現実的である。それが「ほとり」の表現なのであろう。海希江が翻訳しているインドネシアの小説のなかに9・30の虐殺事件というのが出てきて、これはわたしにとっては同時代の出来事であるが、朔子にとってはもちろんのこと、海希江にとっても過去の出来事であろうと思って複雑な気分になった。同時代の出来事に対して、十分な認識を持つことができなかった年長の世代と、情報化のなかでさまざまなことを知ることができる年少の世代という問題も掘り下げてみてよかったことかもしれない。これはこれで完結した映画であるが、続編がつくられてもよいという気がしないでもない。
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