南川高志『ローマ五賢帝 「輝ける世紀」の虚像と実像』

1月13日(月)晴れ

 1月11日、南川高志『ローマ五賢帝 「輝ける世紀」の虚像と実像』(講談社学術文庫)を読み終える。

 「ローマ五賢帝」とは、紀元96年にローマ帝国の皇帝となったネルウァに始まり、その後帝位を継承したトラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウスの5人の皇帝をいう。「五賢帝」という言い方は、日本独自のものらしいが、紀元2世紀とほぼ重なりあうこの5人の皇帝の治世の時代はローマ帝国がもっとも繁栄した時代であり、「人類がもっとも幸福であった時代」とまで言われる。

 このような評価は啓蒙時代の英国の歴史家ギボンの『ローマ帝国衰亡史』によって与えられ、その後多くの人々によって承認されてきたものである。ギボンは180年にマルクス=アウレリウスが死去して、その実子であるコンモドゥスが即位、暴政を行ったことにより、ローマ帝国の衰退がはじまったことを強調している(ずいぶん昔に、『ローマ帝国衰亡史』を読んだことを思い出した)。

 しかし、このような評価はあくまでも後世のものであって、同時代の人々、特にローマの一般庶民はそのように感じていなかったと著者はいう。前任者のトラヤヌスが築いた帝国最大の版図を維持し、巧みに統治しただけでなく、自身機知に満ちた人物でもあったハドリアヌスは「暴君」として悪評が高かったと指摘している。しかしそのような評価の中身も問題ではある。このように、「五賢帝」の時代は虚像と実像の両側面をもった時代であった。この書物は、そのような皇帝たちの虚像と実像とをトラヤヌス、ハドリアヌス、マルクス=アウレリウスの3人の皇帝に焦点を当てながら描き出そうとしている(たしかに「五賢帝」のなかでもこの3人が知名度が高い)。

 トラヤヌスは今日のスペインに相当する地域の出身であり、その意味で新しい「ローマ人」であったが、新旧の平衡を心がけた人材登用を行い、帝国の安定と強化を実現した。特に彼が『皇帝の自由』と「ブルトゥス的自由」の融和を実現したという指摘や、彼の時代の主要な人間像である「教養を備えた貴族」、「文人政治家」をめぐる考察などは興味深い。

 ハドリアヌスはユルスナールの小説の主人公として知られるように複雑で気まぐれな人物であったようであるが、その生涯は起伏の連続であった。五賢帝の3番目というからさぞ安定した治世であったと思われがちだが、まったくそうではない。しかし彼が晩年に準備した後継者たちによって帝国の安定が維持されたことは確かである。「光と陰の両面を持ち合わせたこの皇帝の生涯は、ローマ皇帝権の本質がいかなるものであったのか、私たちに改めて深く考えさせてくれるのである」(176ページ)との締めくくりに著者のこの皇帝への思い入れを感じてしまう。

 マルクス=アウレリウスは彼の残した『自省録』によって知られる哲学者皇帝である。彼の治世は「五賢帝時代という平和と安定の最盛期というイメージとはほど遠い、危機と戦乱の時代であった」(209ページ)。彼はこの危機を新しい人材の登用によって乗り切ろうとした。このような統治者、政治家としての彼の一面に加えて、著者は彼の人間的な側面についても印象に残る記述をしている:「とにかく彼は真面目な人であった。闘技場で民衆に娯楽の見せ物を提供しているときも、彼自身はロイヤル・ボックスで文書を読んだり署名したりする仕事をしていた。そのためしばしば民衆に冷笑されたのである。ローマの民衆は、自分たちとともに見せものを楽しみ、一体となってくれるネロのような皇帝を歓迎した」(226ページ)。その一方で「多事困難な時期にこのような性格の人物が皇帝となって大帝国の責任を一身に負わなければならなくなったことは、ローマ人にとっては幸いであったかもしれないが、当の本人にとっては悲劇以外の何ものでもなかった」(同上)。

 著者はプロソポグラフィーと呼ばれる歴史上の個々人の伝記的資料の集成をもとにその時代の政治や社会の在り方を研究する方法を用いて、五賢帝時代における社会の指導層の変化をたどり、それをもとにこの時代の権力のあり方の光と陰とを描き出そうとしている(著者自身も認めているように、陰の部分のほうが強調されている)。表面だけ見ていると、皇帝が後継者を養子の形で決めることにより、政権の安定が保たれているように見えるが、それが実態とはかけ離れたものであると著者は論じている。むしろ帝国各地に広がった元老院議員たちの家族の間に広く婚姻関係が結ばれ、それによって生じる親族の意識が重要な役割を果たしていたという。「賢帝たちが安定した社会の階層構造の上に立ち、その最高位の元老院議員階層を広範囲にわたり支持基盤としつつ、彼らと不可分の関係を保つことによって帝国を統治できた。これこそが、最盛期ローマ帝国の内政安定の秘密といえよう」(231ページ)。

 しかしながら、帝国の拡大と外部との衝突は有能な軍人の必要を増し、身分制度の頂点にある元老院に新しい人材を送り込むことが求められた。そのことが階層構造の変化を生みだし、次第に帝国の基盤を掘り崩スことになったという。それは皇帝個人の資質を超えた大きな社会の変化であった。

 この書物のなかでも紹介されているように、五賢帝時代にはタキトゥスや小プリニウスのような元老院議員でもあり文人でもあった人々が活躍した。著者は触れていないが、タキトゥスの『ゲルマーニア』や『同時代史』にはタキトゥスが自分の時代と社会に抱いていた危機感が読みとれるのであり、そのことからも五賢帝時代をただ単に幸福な時代と賛美するのは軽率であるように思われる。

 今日の目で客観的に見たローマの歴史と、ローマ人自身が書き記した自分たちの歴史の両方からわれわれは多くのことを学ぶことができるし、また学ぶべきであると思う。その場合、自分を社会のどのような場所に位置付けて読み解いていくかが重要ではないか。出来るだけ気楽に人生を送りたいとは思うが、社会に対して無責任であってはならない。パンとサーカスを野次馬的に求めたローマの民衆を反面教師として、より賢い生き方を探るべきではないかと考える次第である。
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