練習曲

1月2日(木)晴れ

 間もなく引越しの予定のため、正月返上で作業を続けているが、風邪で体調が悪いうえに、荷物を片づけていると思いがけない発見があったりして荷作りが間に合うかどうか微妙なところである。

 そういう発見の1つがもう60年以上の前の私の卒園式のときのプログラムであった。捨ててもいいような汚い紙きれだが、昨年死んだ私の母が長年大事にとっておいたものなので、保存することにした。このとき、バイエル55番を独奏したことになっている。ピアノを弾いた園児は私一人であった。そんなことは全く記憶に残っていなかったので、あらためて自分の過去を再発見することとなった。

 昨年見た映画『そして父になる』で一流の会社に勤めている方の父親が、自分の息子が競争心がないことに不満をもっている。だから、病院で取り違えがあったことを知って、つい、そうだったのかと頷いてしまうという場面があったと記憶する。

 この子どもがピアノを習っていて、発表会に臨むのだが、うまくは弾けない。弾いているのはバイエル55番よりは難しい曲だろうと思うのだが、同じ年齢くらいの女の子がもっと難しい曲を弾きこなしているのを見て、父親は不満に思う。小学校の低学年のレヴェルで競争心はまだ育っていないし、それを無理強いすることは教育上よくないのだが、父親はそれを理解しているようには思えない。教育「熱心」な親がはまりやすい罠である。

 この父親には、実の母親と離婚して新しい女性と結婚している父親がいて、疎遠になっていたのが、久々に再会する。近くの家で子どもがいつまでも同じ曲を練習している。父親の父親がいう。「いつまでたっても『やさしいこころ』ばかり弾いている」。こういうセリフが言えるのは、ある程度音楽の知識があると考えてよく、父親はそのまた父親に音楽を強制されていたとも推測できる。「やさしいこころ」は、ブルグミュラーの練習曲集にある曲であるのは、多くの方がご存知だろう。ピアノの発表会で、何度かブルグミュラーの練習曲を弾いた記憶のある人間にとって、『そして父になる』は分かりやすい映画であった。

 攻撃的な競争心は祖父から父親に受け継がれている。しかし、その子どもということになると別の遺伝的な要素が加わるかもしれないのである。たとえ病院での子どもの取り違えがなくても、親の期待通りの子どもが育つとは限らない。子どもには無限とはいえないまでも多くの可能性がある。ピアノを習っているすべての子どもが音楽家を目指しているわけではないだろう。それでは何のために。子どもの可能性とは何か。親はどのように可能性と向き合えば良いのか。『そして父になる』はピアノを習った人の多くが知っている練習曲を多用することで、親子の問題を身近に考えさせる手がかりを与える映画となっていたと思う。 
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