宇治拾遺物語(8)

12月26日(木)曇り、時々雨

 NHKカルチャーラジオ「文学の時間」『むかしがたりの楽しみ 宇治拾遺物語を繙く』第13回「孔子様はダメな人?」を聴く。講師は白百合女子大学の伊藤玉美教授である。10月から続いてきたこのシリーズも今回で終わるということで、最後と最後から2番目の説話を取り上げた。ともに中国の昔話が語られている。

 最後から2番目、196話「後の千金の事」は、荘子が貧しさのために食べるものがなく、隣の人のところに今日の食料を分けてくれと頼みに出かけると、隣の人はあと5日したら、大金が入るのでそれまで待ってくれという。そこで荘子は昨日道を歩いていると車輪で出来たくぼみの中にいる鮒を見かけた。鮒は自分が河の神の使いで江湖に出かけようとして間違ってこんなところに落ちてしまった、のどが渇いているので水をくれという。荘子は2,3日後に江湖に行くのでそれまで待ってほしいと答えたが、鮒はそれまで待てない。いっぱいでいいから水をくれといった。今の自分はその鮒と同じだといったという。この逸話から「後の千金」という言い回しが生まれた。

 最後の説話、197話「盗跖、孔子と問答の事」では孔子が大盗賊の盗跖と問答をして散々にやりこめられる。悪いことをすると必ず報いがあるという孔子に対し、盗跖は実例を上げてそれが根拠のない主張だとやり返す。高氏自身の一番弟子である顔回は窮死したし、忠実に仕えた子路は非業の死を遂げた。論駁されて孔子はふるえながら逃げかえり、世の人は「孔子(くじ)倒れす」といったという。

 孔子は『宇治拾遺物語』に3度登場するが、他の2回においても隠者らしい老人、さらに子どもにやっつけられている。このように孔子は賢人ぶりを発揮するというよりも、他人の賢さにやりこめられる姿ばかり描かれている。これは『宇治拾遺物語』独自のものかというと、そうではなく、同じような説話は『今昔物語集』にも収められている。しかし『今昔』のほうは孔子を賢人として敬うという姿勢が一応示されているところが違う。『宇治拾遺物語』の作者には、正論や理想主義が、必ずしも貫かれえないこの世の不条理が認識されていて、それがこのような説話を締めくくりにもってくるという構想を生みだしているのではないかという。

 賢人と考えられている人が、そうではない人に一本取られるという話は、『宇治拾遺物語』のなかでは孔子の他に、藤原頼長の説話としても語られている。一本取られた――というのは一種の笑い草なのだが、それが成り立つのは取られた人の権威が認められているからである。普段は評価する側の人が、評価される側に回る面白さが話の核心をなしている。(逆転の面白さは洋の東西を問わずに人々に一種の解放感を与えてきた。) 

 伊東教授は『宇治拾遺物語』の説話の既視感を強調して講義を終えていたが、その既視感はこの説話集が同時代の人々の生活経験やその中での噂話を巧みにとらえていたことによるのであろう。そして他の説話集や、説話集以外のジャンルの文献のなかにもそのような源流をもつ説話が収められていて、それらを読み比べることでますます既視感が強くなっていくということではなかろうか。一方で中世の説話集、他方で現在まで伝承されている民話を読みくらべて、あらためて昔話の可能性について考えてみようと思った。
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