島田裕巳『なぜ八幡神社が日本で一番多いのか』(2)

12月7日(土)晴れ

 12月2日付の当ブログでその前半部分を紹介した島田裕巳『なぜ八幡神社が日本で一番多いのか』(幻冬舎新書)から、まだ取り上げていない後半の6章について論じてみたい。

 第6章「春日」は春日神社を取り上げているが、古代から重視されてきただけでなく、全国に分布した神社数でも11位に入るほどの存在でありながら、その祭神である春日神の実体ははっきりしない。なぜはっきりしないかというと、それは複数の神が合体したものだからであり、重視されてきたのは天皇の外戚として権力を握ってきた藤原氏の氏神であったことが大きい。

 奈良市にある春日大社の祭神は春日神とされる一方で、5柱の神々であるともされ、神社の社殿はそれに対応して建てられている。5柱の神のうちの3柱は藤原氏の祖神であり、残る2神は鹿島神宮、香取神宮から勧請された神々である。なぜこのようなことになったかをめぐっては今後の研究に俟つところが多い。春日大社は歴史的に興福寺と一体となって大和の国を支配してきたが、明治の廃仏毀釈で仏教色が一掃された。春日神に関連する神社として重要なものに、京都の吉田神社がある。以前にも書いたことがあるが、節分になると吉田神社の節分を思い出す。日頃は京都大学の陰に隠れている感じがある吉田神社がこのときばかりは主役となる。春日大社にももちろん出かけたことがある。

 第7章で取り上げられる「熊野」は浄土や観音信仰と結びついた西国33ヵ所の巡礼と融合しながら信仰されてきた。熊野詣が盛んになるのは、平安時代に浄土教信仰が流行してからのことである。熊野神社の神はさまざまに呼びならわされるが、熊野権現という呼び名がもっとも一般的である。既に述べたように、この信仰には神仏習合の要素が濃厚である。明治の神仏分離によってもこの性格はぬぐい去ることができなかった。

 熊野神を祀る熊野神社、あるいは十二所神社は全国におよそ3000社あるとされるが、地域的な偏りは少なく、ほぼ全国に分布している。このことは八幡、伊勢、稲荷の信仰と同様で、この信仰の重要性を物語るものである。熊野の信仰が全国に広まったのは、仏教と深く融合し、浄土教信仰や観音信仰と結びついたためであり、仏教色が強いことが特徴的である。この書物でも触れられている京都・東大路丸太町の熊野神社は大学とも学生時代の下宿とも近く、あらためて界隈を歩いてみたいと思った。

 第8章「祇園」で連想されるのは京都三大祭の一つである祇園祭である。葵祭が朝廷や貴族の祭であるのに対して、祇園祭は庶民の祭であり、三大祭のなかでは最も盛んである。それどころか大阪の天神祭、東京の神田祭(山王祭)とともに日本三大祭に数えられている。祇園の八坂神社という名称は明治以後のもので、それ以前は祇園社などと呼ばれていた。本来は雷神である天神を祀っていたと思われるが、その神が牛頭天王と習合することによって独自の発展を遂げてきた。また素戔鳴尊の信仰との結びつきも指摘されている(参考文献として挙げられている真弓常忠『祇園信仰』ではもっぱら素戔鳴尊や新羅との結びつきについて論じられていたと記憶する。なお、真弓さんは八坂神社の宮司を務められていた。)

 祇園祭は、夏の祭であるので帰省して京都にいなかったこともあるが、大学在学中、また卒業後何度かその開放的な気分を味わったことを思い出す。島田さんの記述によると、山車や囃子、踊りなどが出て華やかであるうえに、庶民の祭であることから全国に広がり、各地で祇園祭が営まれている。その伝播に際しては北前船の役割が大きかった。素戔鳴尊に関連する神社としては大宮氷川神社をはじめとする氷川神社があるが、これは別の系統の信仰と見るべきであるとのことである。

 第9章「諏訪」では長野県にある諏訪大社を中心とした諏訪信仰について論じられている。この神社の数は調査によって違うがきわめて多い。諏訪大社は伊勢神宮の式年遷宮と共通した性格が見られ、古代の信仰の姿をとどめていると考えられる御柱祭で知られる。その祭神は大国主命の子で国譲りに反対したが、天から下った神様に負けて諏訪の地に逃げ込んだ建御名方神であるとされてきた。しかし、土着の蛇体の神ではないかとする意見が有力である。他の神社の信仰と同様に神仏習合が見られたが、明治以後また変化を遂げてきた。

 諏訪神社が一番多いのは実は新潟県で、県内の神社のなかでも諏訪神社がもっとも多いそうである。新潟市内に住んでいたころに通りかかったどこかの諏訪神社で、夾竹桃の花に見とれたことを思い出す。島田さんは書いていないが、建御名方神の母は、現在の糸魚川のあたりの女神である奴奈川姫命であるから、新潟県とは縁が深いのである。これもこの本では触れられていないが、長崎の諏訪神社の祭である長崎くんちは近世以来のものだとはいっても盛大なものとして名高い。

 第10章「白山」では加賀の白山に関連した信仰が取り上げられている。この信仰の拠点である石川県の白山比め[口篇に羊]神社のそのまた中心である奥宮はかつてはむしろ寺院と考えられており、この奥宮を創建したのは奈良時代の伝説的な僧である泰澄とされている。仏教の影響、特に天台宗との結びつきから白山修験が形成された。白山神社と並んで神社数が多い日吉神社も天台宗との結びつきが強かった。しかし、戦国時代に荒廃した白山神社は、加賀の前田家によって再興されるが、真言宗に改宗させられる。明治の神仏分離以後、修験道は仏教の枠の中に収められるようになった。この章では、全国のその他の修験道系の神道についても触れている。

 第11章「住吉」は大阪市住吉区にある住吉大社を中心とする住吉信仰について触れている。白山信仰をはじめとする修験道系の神道が山の神様に関連する信仰であったのに対し、こちらは海の神様への信仰である。特に海上交通や漁業にかかわる神様として信仰を集めた。また、風光明美な土地にあることから、和歌の神様としても信仰を集めた。

 住吉大社はえびす信仰と結びついているほか、貴船神社と関連をもッている。さらにこの章では宗像神社、恵比寿信仰、金毘羅信仰などの海に関連する信仰についても概観している。

 以上紹介してきたことから明らかなように、この書物は(前回でも述べたが)神社と日本の神様についての網羅的・百科全書的な概説書である。天神信仰と関連してわらべ歌の「通りゃんせ」や、住吉信仰と関連して「一寸法師」に言及するなど、身近な話題が取り上げられており、細かい部分にも注目すべき記述がみられ、神社と神道について個別的な問題意識を発展させて行くのに役立つ。もちろん、この書物だけで神社とそれをめぐる信仰の全部が明らかにされているわけではないし、近世における神社と庶民の関係についてはもっと多くの紙面を割いてほしいと思ったのだが、出発点としては十分に意味のある書物といえよう。
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