幕末太陽傳

1月7日(月)

幕末太陽傳


 神保町シアターで「日活映画 100年の青春」から『幕末太陽傳』、引き続き『狂った果実』を見る。本日は『幕末太陽傳』について取り上げてみよう。

 時は1862(文久2)年、所は東海道第一の宿場である品川。時間的にも空間的にも境界に位置する設定のなかで、高杉晋作や久坂玄瑞らのイギリス公使館の焼き打ちという歴史的な事件と落語の『居残り佐平次』や『品川心中』の世界が交錯する。最後は落語の『お見立て』でしつこく墓のありかを訪ねる杢兵衛大尽から逃れて、墓地の向こうの海岸伝いに佐平次が走リ去る。佐平次はアメリカにわたって居残りをするというが、実現するだろうか。

 落語では器用でふてぶてしく脳天気な人物に描かれているが、この映画の佐平次はそれに加えて盛んに咳をする。胸の病気らしい。だが、自分で薬を調合したりしていつまでも生き続けようとする。ラスト・シーンにもその意気込みが表れている。難病に苦しみながらもダンディーに映画作りを続けた川島雄三の姿が部分的にせよ投影されていると見るべきではなかろうか。

 佐平次が居残りをする遊郭の相模屋には、ばくち好きの大工長兵衛の娘のおひさが借金の身代わりに女中奉公をしている。彼女は女郎になるよりも、幼馴染でこの店の道楽息子である徳三郎と駆け落ちをして結婚することを選び、佐平次に助力を頼む。その礼金十両は十年かかって払うという。佐平次の言うように、十年先のことは分からない。

 高杉晋作が同志たちのために居残りをしているという設定をどう評価するにせよ、高杉も久坂もこの後、長くは生きていなかったという歴史をわれわれは知っている。川島の意図は、明治維新やそのための志士の活動を賛美することではなかったように見える。もちろん、世の中のはかなさを嘆くという感傷も持ち合わせてはいない。それでは架空の人物である庶民の方はどうだろうか。志士たちが遊郭の払いを済ませ、焼き討ちに成功するのは実は佐平次の才覚あってこそである。その佐平次がおひさの懇願には心を許す。しかし、おひさが十両を払い終えるまでに世の中は変わり、貨幣制度は変わってしまったはずである。

 気になるのは徳三郎がおひさの足相を知ろうとすること。手相ならぬ足相へのこだわりは川島の『人も歩けば』にも見られた(他の作品にも見られるかもしれない)。確かではない世の中で、誰しも確かな手がかり足がかりを求めようとするだろうが、佐平次のように自分の腕を信じるべきなのではないか。

 高杉や久坂の命が短かっただけでなく、この映画の製作後10年を待たずに川島もこの世を去った。しかし、いつまでも生き続けると走り去って行った佐平次同様に、川島の映画魂は生きて走り続けているように思われる。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR