黒田龍之助『ポケットに外国語を』(2)

11月30日(土)晴れ

 昨日に続いて、黒田龍之助『ポケットに外国語を』について。外国語と外国語学習についてさまざまな切り口から語るエッセー集。昨日取り上げた第1章は黒田さんの外国語との付き合いについて、第2章は外国語教育が当面する問題と学習へのヒントなどが記されていた。本日は第3章から最終第5章までを紹介する。

 第3章「言語学どうでしょう」では、言語と言語政策の問題、言語学の意義が語られている。第1章で黒田さんはできるだけ多くの言葉を勉強したいと書いている。勉強したいということは「できる」とは別のことである。「できる」と言ってもいろいろなレヴェルがある。コマの並べ方、動かし方がわかれば、「将棋ができる」ということはできる。逆に将棋の名人はたぶん、自分は将棋ができるとは言わないだろう。謙遜ではなく理想が高いのである。外国語を勉強しているからと言って、どの程度できるかはさまざまである。それでも勉強を通じて、いろいろな知識は多少バラバラではあっても身についている。しかし、その知識を寄せ集めても、言語について理解したとはいえない。言語学はさまざまな知識をまとめて体系化し、理解を深めていくための理論となるものである。

 世界には多くの言語があり、一つの国のなかでも多様な言語が話されていることが多い。ではどういう言語を選択し、教育していくか。現在の日本では英語が優先されているが、英語教育の実態を踏まえない奇妙な英語教育改革論が横行している。自分が英語は得意だといえないような人が、次世代には英語が使いこなせるようになることを期待して、英語を英語で教えるべきだと言ったりしている。外国語の教育では、その楽しさを伝えることが大事だが、このことについて文部科学省は何もできないことを肝に銘じるべきである。TOEFLを国公立大学の卒業要件にする(何点以上を合格とするのだ?)という提案がなされたというが、そういっているご本人は何点くらいとったのだろうか。

 これらの議論の延長で第4章「わたしが大学教師を辞めたワケ」が語られる。外国語を勉強するのは苦労もあるが楽しいといえる。しかしそれを教師として上から教えるとなると余計な苦労をしなければならない。大衆化した大学が競争と成果主義にどっぷりとつかっている中で、外国語の授業の困難は大きく、教師の自由な相違が生かされる余地は少ない。黒田さんは科目の縦割りの枠にとらわれず、いろいろな言語を教えてみた意図考えているようであるが、それは既存の大学のなかでは無理である。対等な立場で言語についておしゃべりするような気持ちで本を書く方がよい。

 第5章「ことばへの異常な愛情」は黒田さんの半世紀である。小学校6年生のときに英語をラジオ講座ではじめ、中学校3年のときからロシア語の講座を聴きはじめた。「外国語学習について、英語とロシア語の次に勉強したのはフランス語だった。高校生の頃、林田遼右先生のラジオ・フランス語講座がカッコよくて、非常に憧れた。フランス語以上に、先生に憧れていたのである」(267ページ)。実は私も聴いていて、林田さんの番組は好きだった。もっともその割にフランス語は上達していない。その後、ドイツ語、セルビア語、チェコ語、ポーランド語、ウクライナ語、ベラルーシ語を勉強したという。本人は不ぞろいだというが、それなりの系統性が感じられる。

 その後は教える立場を兼ねて外国語と付き合うことになった。国立大学の理工学部で教えたので新しい経験をすることになる。「理系の学生たちは何というか、とにかく違う。教師が『ねえねええわかるでしょ』といえば、文系の学生なら『うん分かります』といってくれる。ところが理系では『いいえ、わかりません。もう一度はじめからお願いします!』となる。文系的な甘えは許されない」(270ページ)。学生との交流はそれなりに順調ではあったが、ロシア語だけを教えることに限界を感じはじめ、言語学を教えるようになったが、ある私立大学の理工学部で英語を教えないかという誘いがあり、それに乗って職場を変える。さらにその大学の理工学部だけでなく、文学部にも出向して教えることになる。

 ロシア語が専門なのだが、その他の言語にも興味がある。それで多の言語の専門家との交流が増えてきた。NHKの語学講座の講師仲間との交流もある。その中には明治大学の清岡智比古さんの名前もある。清岡さんの『エキゾチック・パリ案内』について昨年の12月14日付の当ブログで紹介したところ、ご本人から丁寧なコメントを頂いた。こちらからもご挨拶申し上げるべきところ、怠ってしまったことを反省しているところである。

 閑話休題、外国語は簡単ではない。容易に習得できるものではないのに、各種の試験で高得点をあげるというような成果が求められる。大学は資格取得機関化している。「語学は時間がかかるから、プロセスが大切である。習得の過程を省略してはいけない。何かを飛び越えて早く進むことはできない。単語を暗記したり、練習問題を解いたりとか、そういうことをするほかにも、本を読んだり、映画を観たり、現地へ出かけたりして、成長していくことを目指さなければ嘘だ」(283-4ページ)。

 ということは、この書物もまた多言語への旅の過程の所産ということであろう。黒田さんとは違う種類の言語に興味があるし、言語についての情熱も努力も釣鐘と提灯くらいの違いがあるが、一読者として自分なりに語学と付き合っていこうと自分の周囲を見回したところである。
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