黒田龍之助『ポケットに外国語を』

11月29日(金)晴れ、寒さが一段と厳しくなってきた。

 黒田龍之助『ポケットに外国語を』(ちくま文庫)を読み終える。黒田さんは専攻言語にとらわれないという意味での「フリーランス」語学教師として、執筆と講演を中心に活動されてきて、多くの著書があり、そのまた多くをこれまで読んできた。この『ポケットに外国語を』は2007年7月に講談社から刊行されたエッセー集『ポケットいっぱいの外国語』を増補改題したものであるという。『ポケットいっぱいの外国語』も読んだはずなのだが、わたしの記憶が弱ってきたのか、書き改めた部分が多いのか、新鮮な気分で読むことができたのは予想外の幸運であった。

 外国語というが、特に日本の学校教育の現場では英語の一人勝ち状態が続いており、それはある程度やむを得ないことではあるが、世界には数千の(誰にもその正確な数は分からない)言語がある中でその中の僅かの言語しか知ろうとしないのはもったいないことである。ここに収められているのはその中のできるだけ多くに好奇心を燃やしながら立ち向かおうとしているだけでなく、そのチャレンジ精神を他人のも伝えようという意図に基づくさまざまなエッセーである。
 「わたしが付き合った外国語は、果たして多いのか少ないのか。よくは分からないのだが、ポケットの中の外国語はこれからも増やしていきたい。
 だって、外国語はいっぱいあるほうが、断然いいからである」(97ページ)。

 黒田さんの友人でポルトガル語を専門とする(フェルナンド・ペソアの詩を知ってこの言語にますますのめりこんだというのが共感を呼ぶ)管啓次郎さんの言葉によると「道は長い、外国語はそもそも絶望的にわからない、進歩は遅い。でも生きてる限り学びつづけることはできるし、自分の進度は誰に聞く必要もごまかす必要もなく、自分で判断できる。しかも、それがつねに生きた人々との回路になってくれる」(218ページ)。

 第1章「鏡の国の外国語」は黒田さんが主として勉強し、教えてきたロシア語を中心に、リトアニア語、ウクライナ語、スウェーデン語、フランス語、ベラルーシ語、タジク語などに取り組んだ経験が語られる。言語と文化の結びつきがさまざまな具体例を通して語られている。須賀敦子『ミラノ霧の風景』が、イタリアについての先入観を打ち破ってくれたという個所を読んで、須賀の著書をあらためて読み直したくなった。また英語が「国際共通語」であるが故に地域文化抜きで教えられようとすることの得失を論じた部分が特に興味深い。大学の先生には学生の学力低下を話題にしたがる人が多いという話から始まって、学生の間違いにもいろいろあるという意見には耳を傾けるべきものがある。

 第2章「レトロな語学も悪くない」は外国語教育が抱えるさまざまな問題を論じたエッセーを集めている。学校(大学を含む)での外国語教育に過大な期待をかけるべきではない、授業に出席するだけでなく、自分でも努力を重ねてほしいという意見は正当なものである。伝統的な外国語の教え方は批判されがちだが、その長所を見出し、維持していくことも必要であるともいう。外国語学習者の経験をつづった書物から長澤信子『台所から北京が見える』を取り上げ、その著者との交流について書いた文章が特に印象に残る。辞書の選び方についての助言も役に立つはずである。

 文庫版で300ページほどのそれほどかさばらない書物であるが、この本を読んで著者の意見をそのまま伝えたいこと、自分なりの意見を書き添えたいことはまだ色々あるので、第3章~第5章については明日書き記すことにしたいと思う。(つづく)
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