ベツレヘムの星(3)

1月5日(土)曇り

 1802年のことである。物理学者のラプラスがナポレオンに自著『天体力学』を献呈した時に、それを読んだナポレオンが「貴下の書物は天体の運動について論じていながら、神について書かれていないのではないか」と尋ねたのに対し、ラプラスは「私にはもはや、そのような仮説(神の存在)は必要としなかったのです」と答えたという。ナポレオンはサンシールの陸軍士官学校を(成績はよくなかったらしいが)卒業したので、一応理科系で、ラプラスの本をある程度までは読みこなすことができたのであろう。ラプラスの答えは颯爽としていて、科学史、思想史に残るような意味をもっている。しかし、私が書きたいのは別のことである。
 この逸話を書きとめたのが、その場に居合わせた天王星の発見者であるウィリアム・ハーシェル(1738-1822)であったというから役者がそろっている。もともとドイツのハノーヴァーの選帝侯に仕えていて、その後イングランドに移り住んだ。その彼が、フランスの出来事に顔を出しているところがなかなか凄い。
 もう10年ほど前になるが、ロンドン近郊の都市であるスラウにある中等学校を訪問したところ、校長室に写真が飾ってあって、この写真はウィリアム・ハーシェルの息子のジョン・ハーシェル(1792-1871)が撮影した写真を複製したものであるという説明を受けた。彼はスラウの生まれで父親同様天文学者として活躍したが、その一方で写真術の開発者の一人でもあった。天文学者としては、オリオン座のアルファ星=ペテルギウスが変光星であることを発見し、写真のネガ・ポジという呼び方を提案し、青写真を発明したのだそうである。父親がもともと音楽家だったことは既に書いたはずであるが、息子の方もなかなか多才な人であった。この学校の生徒たちがどのくらいこの写真を見るか分からないが、見ることによって様々な方向に世界が広がるのではないかと思う。
 アラン・ブラッドリーの『サンタクロースは雪のなか』というミステリを読んでいたら、「バックショー荘はスラウの町かどか知らないけど」(115ページ)という台詞があり、この町には2度出かけている(架空の地名ではありません)ことを思い出し、さらにハーシェル父子について思い出した次第である。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR