語学放浪記(20)

11月15日(金)曇り、一時雨

 小学校から勉強を始めた英語と、大学から勉強を始めたドイツ語、中国語、ロシア語、ラテン語、大学院入学後本格的に勉強するようになったフランス語、社会人になってから勉強を始めたスペイン語などについて書いてきた。勉強したということは、それを習得したということではない。長く勉強したからと言って他の人よりも優れた能力を身につけるとは限らない。それでも、わたしについて言えば、英語の能力は他の言語よりはましである。だからと言って、早期に始めればそれだけ効果があるとも言い切れない。他の言語に振り向けた努力を英語に集中させればよかったと思うこともあるが、いろいろ勉強したおかげでわかったこともある。物事は一面的に割り切れない。

 大学院時代にある学校でドイツ語を教えるという話が持ち上がり、面接に出かけてみると、向こうの校長が君は高校時代にドイツ語を勉強したそうだがといったので、推薦した先生が嘘をついていたのか、早とちりでこちらの経歴を誤解していることがわかった。ドイツ人の先生がいる高校に在学していたのは本当のことだが、時たま英会話を習っただけなので慌てて訂正した。今、考えてみると、ドイツ語が第二次世界大戦後の国際社会でその地位を低下させていることはドイツ人自身がもっともよく知っていたはずである。それでも、推薦者は自分の顔を立てるために、この学生はドイツ語ができると強調し続けたのだが、結局、文部省によるドイツ語の教師の審査に落ちたので、おかげで経歴詐称にならなかったというのはどうも笑えない話である。(まさか、私が大学の教養部のときにドイツ語の単位を落として留年したという経歴を文部省が知っていた訳ではあるまいが・・・)

 わたしが高校時代にドイツ語を勉強したというのは仲人口の作り話だったが、かりに勉強していたとしても、他の同輩よりもドイツ語がよくできるようになっていたかは疑問である。予備知識があれば初期の段階では他の学生よりも優位に立つ可能性は小さくないが、そのために安心してしまって勉強を怠ることもありうるし、高校時代に勉強していても、そのときの成績不振がトラウマになっている可能性もある。もちろん、私の友人で高校時代にドイツ語を勉強していて、他の学科はともかくドイツ語だけに興味があって、結局高校は中退したのだけれども、検定で入学した大学でドイツ語を勉強し続けて、その後ドイツ哲学についての著書を独学で書いたのがいる。学校という環境要因に加えて、学習者自身の努力が重要な役割を演じることはいうまでもない。

 わたしの場合は経験しなかったことであるが、高校で英語以外の外国語を教えるのは悪いことではない。ただ、その場合、生徒の興味を大事にすることが必要で、やりたくもない言語を押しつけられたり、それが進級の要件になるのではたまったものではない。その一方で教師の能力も考えるべきであろう。わたしにまでドイツ語の教師の話があったのは供給の不足があったのだろうが、それならば教えなければいいのである。

 千里の道は一歩よりはじまるというが、一歩は70センチあまり、千里は4000キロほどである。外国語の勉強では入門段階における動機付けの問題と、習得してからの活用の問題に関心が向かいがちであるが、一歩と千里のあいだには多くの道のりがある。ある言語を勉強しているというのは、一歩を踏み出してはみたものの、前途遼遠という場合が多い。その距離感というのは実際にあるいてみないとわからないし、歩いていない人が勝手に判断すべきではないのである。

 これで「語学放浪記」は20回になるので、しばらく休んでまた出直すつもりである。これまでのところの語学学習はいわば畳の上の水練であった。再開後は、実際に外国に出かけたり、国際会議に出席したりした時の経験を中心に書いていくことにしたい。
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