坊っちゃん

11月10日(日)曇り

 神保町シアターで「神保町、お茶の水、九段下―“本の街”ぶらり映画日和」の一環として上映されている丸山誠治監督の1953年作品『坊っちゃん』を見る。夏目漱石の作品で大衆的に人気を博したといわれるのは『坊っちゃん』、『虞美人草』、『三四郎』であり、それぞれ映画化されているが、その中でも『坊っちゃん』は何度も映画化されている。そうした映画化作品のなかで、池部良の坊ちゃん、岡田茉莉子のマドンナ、森繁久弥の赤シャツというこの作品は特に有名なものである。

 『坊っちゃん』は漱石の作品のなかでは人気があるが、映画化が難しいことも否定できない。その理由は2つあって、1つはこの作品が主人公の一人称の語りによって展開され、すべての事件と人物の評価が主人公の目を通して語られていることである。坊っちゃんの評価が客観的に見て正しいかどうかは、読者の判断にゆだねられている。第2は作品の時代設定である。漱石が松山の中学校で教えた年代と、この作品が発表された年代は異なっている、そのギャップを映画化がどのように解釈するかももう1つの問題である。

 この作品では第1の問題は、坊っちゃんの評価を全面的に肯定することで解決している。原作では坊っちゃんと彼が教えている生徒のあいだにはものの見方の対立があるが、この作品では彼に同調する生徒たちを描き出すことによってこの問題を回避している。校長をタヌキ、教頭を赤シャツと呼ぶのは原作では坊っちゃんだけの心のなかのことであるが、この映画では山嵐や生徒たちにもその呼び方が浸透している。

 第2の問題はきわめて楽天的なアナクロニズムで解決しようとされている。はじめの方で宿から人力車で赴任先の中学校に坊っちゃんが向かい、生徒たちと会話していると、向こうからマドンナがやってくる(原作にはそんな場面はない)。そこで生徒たちが松井須磨子の「カチューシャ」の替え歌を歌ってマドンナを囃す。あるいは坊っちゃんが下宿に戻ってきて電灯の明かりをともすが、そうすると映画の時代はかなり後のことになる。

 作品のなかでばあやの清に坊っちゃんが手紙を書く場面はあるが、その返事が届かないのは原作と違い、後半になると清の役割が減少してくる。その代わりにこれも原作にはそんなエピソードはないが、祭の夜に坊っちゃんとマドンナが会話を交わしたり、マドンナが坊っちゃんにかごに入った鈴虫をプレゼントするというのもこの映画の創作である。(原作に忠実ではないことは確かであるが、映画の流れの中で意味のある工夫となっている。) あるいは山嵐や裏なりの家庭の事情について詳しく描き出しているのも映画なりの工夫である。

 江戸っ子である池部良の坊っちゃんは適役。切符を買う時に、前にいた老人(私だって老人だが)が、池部良の坊っちゃんというのが適役だと思って見たいのだとモギリの青年に話しかけていたが、青年の方に話が通じるわけがないのが残念であった。もっと勉強して下さい。実は私は、池部良よりも岡田茉莉子のマドンナの方がお目当てで、単に美しいというだけでなく、女の勘定高さを可愛らしく表現するという点でも出色のできであった。東宝時代の彼女の代表作に数えてよかろうと思う。たぶん、吹き替えだと思うが、彼女が「庭の千草」を歌う場面があり、そういえば中川信夫監督の『夏目漱石の三四郎』でも美禰子を演じている八千草薫が「庭の千草」を歌う場面があったと思いだしたりした。小沢栄(太郎)の山嵐も面白いが、森繁の赤シャツの演技も目を奪うもので、特にうらなりの送別会の場面の余興などは、原作のイメージを損なうかもしれないが、見ておく価値はある。多々良純ののだいこもなかなか好演ではあるが、原作で最も活躍する場面であるうらなりの送別会で「日清談判」の踊りを踊らないのは残念。

 原作に忠実な映画化ではないが、原作に忠実になると話が暗くなるという側面があることも心得て映画を見るべきであろう。娯楽を求める観客向けの脚色であると、漱石のまじめな読者は認識する必要がある。11日(月)は14:15から、12日(火)は16:40から、13日(水)は14:15から、14日(木)は19:15から、15日(金)は12:00からとまだ上映されるので、ぜひ見に出かけてください。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR