オルレアン公(フランス)とヨーク公(イングランド)

11月9日(土)

 11月7日のNHKラジオまいにちフランス語の時間(応用編)ではディドロの『ラモーの甥』(Le neveu de Rameau)の冒頭部分を取り上げていた。作者自身とそっくりの語り手「私」がパレ=ロワイヤル(Palais-Royal)を散策する場面である。「天気が良かろうが、悪かろうが、夕方5時頃パレ=ロワイヤルを散歩するのが私の習慣だ」。

 パレ=ロワイヤルはもともとルイ13世の宰相リシュリューの城館であったが、オルレアン公の手にわたり、ディドロがこの小説を書いた後の1780年代に当時のオルレアン公フィリップ・エガリテ(平等公)によってその一部が商人たちに貸しだされる。その結果、さながら今日のショッピング・センターのような賑わいを見せ、警察が立ち入れないうえに、フィリップが享楽的な生活を好んだことから娼婦たちがたむろする場所となった。また多くの政治的反抗分子が集まる場所ともなっていった。1789年7月12日、革命派のジャーナリストであったカミーユ・デムーランがこの場所で「武器を取れ!」と演説、その2日後のバスティーユ牢獄襲撃の引き金となる。

 オルレアン公は王太子に次ぐ王子に与えられる爵位で、イングランドのヨーク公、スコットランドのオルバニー公に相当する。もしその王子が王位を継げば、そのまま国王がこの爵位をあわせもち、王子に直系男子がいなければ爵位は消滅する。それぞれ、何度も創設され、消滅してきた。

 フランスではルイ14世の弟がオルレアン公になって以来、その子孫が爵位を継承した。ルイ14世がヴェルサイユに王宮を移した後も、オルレアン公はパリに留まり、民衆の人気を博した。代々、虎視眈々とフランスの王座を狙っていたのである。フィリップは野心が裏目に出て命を落とすが、その息子のルイ=フィリップは1830年にフランス国王となり、短い期間ではあったが、オルレアン家による統治が実現した。

 司馬遼太郎が中学生のころに、英語の時間、「何故、ニューヨーク(新しいヨーク)というのですか」と質問して、教師につまらない質問をするなと叱られ、その教師を軽蔑するようになったという逸話があるが、1664年にイングランド軍が、当時オランダの植民地であった北アメリカのニュー・アムステルダムを攻略し、当時のイングランド王ジェームズ2世(ヨーク・オルバニー公)にちなんでこの地をニューヨークと改名したというのがこの市の地名の由来である。そういえば、ニューヨーク州にはオルバニーという都市もある。

 フランスのオルレアン公家と違ってイングランドのヨーク公家は長く続いた例がない代わりに、国王になった例が少なくない。一番最近では、現在のエリザベス2世女王の父親であり、映画『英国王のスピーチ』の主人公ジョージ6世はヨーク公から国王になった。その孫である現在のヨーク公(アンドルー王子)には直系の男子がいないので、彼が死ねばまたヨーク公家は消滅するはずである。

 あまり自分とは縁のない王侯貴族の話を書き散らしてしまった。パレ=ロワイヤルというと、オードリー・へプバーンが主演した映画『シャレード』の終わり近くの場面を思い出す。そのあたりが分相応な連想であったかもしれない。
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