南條竹則『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』

10月26日(土)雨が降っていたが、午後になってやむ

 著者はもともと英文学者であるが、その一方で中華料理をはじめとする美食の世界にも詳しく、酒豪でもあるらしい。その身辺で活躍している酒飲みたちの言動を素材としていくつかの小説も発表してきた。いくつかの領域で執筆活動を続けているというよりも、一つのことをしているだけのだが、その一つのことが多くの世界にまたがっているということかもしれない。そういう意味では吉田健一を連想させるところがある。この書物の中にも吉田健一の名が登場するから、著者自身がかなりの親近感を寄せているのかもしれない。

 この書物は、著者がさまざまな場所に書いたエッセーを集めたもので、食をめぐる奇怪な噂話を和漢洋の書籍からの引用と著者自身の経験を織り込みながら語っている。表題となっている「泥鰌地獄」は鍋に水を入れ、生きた泥鰌と豆腐を一緒に火をかける。水がだんだん熱くなると、泥鰌は苦しいので、冷たい豆腐の中に潜り込む。そのまま煮てしまうと出来る泥鰌入り豆腐を言う。これは作ろうとしてもできないというのが定説である。しかし、この料理をめぐる話題は尽きないのはなぜか・・・ということから日本と中国のさまざまな文献を参照し、自分自身が試みた実験まで紹介しながら結論を引き出す。『あくび猫』をはじめとする南條さんの小説にしばしば登場していたばあやさんが若い頃に林芙美子と田辺茂一と3人で新宿の屋台で飲んだことがあるという経験が紹介されているのが印象に残った。

 もう一つ表題になっている「龍虎鳳」も「幻の料理」であるが、食べられないわけではなさそうである。ただ、食べたいとは思わない人が多いと思うし、私も食べたくはない。なぜかというのは龍と虎と鳳が何を意味しているかを知ればわかってくる。

 物を泥に包んで焼くという料理法の東西比較を試みた「叫化鶏」、魚と羊を組み合わせた料理について述べる「魚と羊」、幽霊が出そうな時間に営業する屋台の話から北京の「鬼街」(ゆうれいまち)の屋台の話題に及ぶ「ゆうれい飯」、「唐墨」についての思い出をまとめた一編、国産アニメーション映画第1作『白蛇伝』の思い出から、そのヒロインの妹分が青魚の精であるという話を経て、青魚をめぐる料理に及ぶ「青魚」、魚の浮き袋の乾燥品である「魚吐」をめぐるエッセーがさらに収められている。それぞれ、南條さんの日中にわたる食の経験が緩急織り交ぜた語り口で展開される。

 「泥鰌ばなし」は主として南條さんの経験をもとに、日本の泥鰌をめぐるさまざまな逸話を紹介しているが、岡本かの子、尾崎紅葉、三島由紀夫、泉鏡花の作品が引用されているのがその読書量を物語っていて読者を圧倒する。吉田健一の長編小説『金沢』の中にも泥鰌のかば焼きの話が出てくるという。わたしもこの小説を読んだことはあるが、南條さんと同じで泥鰌のかば焼きのくだりは読み落としていた。今度また読み直してみよう。

 「チョウザメ」はこの魚が清朝と満州族にとって特別な意味をもっていたことを中心に、さまざまな料理を紹介しているが、幸田露伴からの引用が見られる。本の中で見つけて気になって仕方がない食べ物を探して西安まで出かけた顛末を描いた「甑糕」(ツォンガオと中国語読みがされている)では、お目当ての小吃の他、イスラム料理店の話やモスクを訪れた話など興味深く、「ここには生きた信仰の空気がある。私は嬉しいような、羨ましいような気持ちでモスクを出た」(190ページ)という著者の普段とは違った表情に接したりする。

 スープだけの宴席の経験を描く「洛陽水席」は体験記に近く、「上海万博食べ物日記」は完全に体験記であるが、万博会場の雰囲気を通じて、日本で感じるのとは別の世界の空気が窺われる。

 食べ物の本としてはあまり役に立たないが、食べ物を通した文化論、文学史の本として興味深く読むことができる。それでも、読み終えた後で食べてみたい、食べに行きたいと思う料理がいくつか出てくるのは著者の筆鋒の見事さを示すものであろう。言及されている作家の多くに耽美的、幻想的な作風が見られることも注目しておいてよい。
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