保立正久『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学](2)

10月20日(日)雨

 昨日に続いて保立正久さんの『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学](講談社学術文庫)を取り上げる。前回は「神話」について論じた第1部を取り上げたが、今回は「説話」について論じている第2部について紹介していこうと思う。第2部「中世説話の世界」は4つの章から構成されている。この書物は歴史学の側から書かれた書物であって、説話(説話文学全般ではなくて、説話集やその他の書物の中で語られている個々の説話)は史料として用いられていることは、前回にも述べたとおりである。

 第4章「内裏清涼殿と宮廷説話」は平安京内裏殿舎のうち、天皇の日常の居所である清涼殿の殿上間(てんじょうのま)に置かれた椅子(殿上の御倚子=てんじょうのおんいし)と、そのそばに開かれている「小蔀(こじとみ)」という窓について、これらにまつわる説話を分析することにより、宮廷と天皇の日常の政務と生活を探ろうという試みである。保立さんは説話文学の淵源として「宮廷説話」と呼ぶべきものがあったとも論じていて、これは興味のある諸説である。

 殿上間は清涼殿に付属した「事務室兼社交場」(170ページ)であり、御倚子は儀式などの折に天皇が座るためのものである。しかし、殿上間やそこでの会議に天皇がしばしば顔を出すということはありえない。部屋にいすが置かれているという事実が、この部屋に出入りする貴族たちに天皇の存在を感じさせていたであろうと論じられている。

 感じていただけではない。現実に清涼殿は天皇の居所であり、殿上間と上戸を隔てたすぐ向こうに天皇の生活空間があった。上戸には天皇が殿上間を覗く窓―小蔀が設けられていた。実際に天皇が小蔀を通して殿上間の貴族たちの様子を覗いた例が説話として書きとめられている。例えば一条天皇が藤原実方と藤原行成の口論と、その際の行成の落ち着いた様子を見て、実方を陸奥の守に左遷し、行成を蔵人頭に抜擢した(この話にはまだ続きがあるが・・・)ことは『古事談』や『十訓抄』に見えるそうである。

 第5章「説話『芋粥』と荘園制支配――贈与と客人歓待」は芥川龍之介の翻案小説で有名になった『今昔物語集』の中の「芋粥」の説話を取り上げている。この説話は一般には都市下級貴族の貧窮と対比して地方の「武士領主」の勃興を語ったものと理解されているが、むしろこの説話集に多く見られる都市住人の致富説話ではないか、永年まじめにその仕事に励み、五位に叙せられた者には思いがけない致富の道が開かれてくるという夢物語ではないかと論じている。

 第6章「虎・鬼ヶ島と日本海海域史」は、第5章で取り上げた「芋粥」の説話の中で五位の侍を招いて歓待した藤原利仁の本拠である越前敦賀に視座を置き、そこからユーラシア大陸や韓半島の諸国と日本との関係を考えようとしている。特に中世の絵巻物に描かれている「虎皮」に着目し、それが一方で中世的な武勇の象徴であり、他方では征伐の対象としての異国の象徴となっていたと論じている。

 第7章「領主本宅と煙出・釜殿」は中世の絵画資料に描かれた領主の住宅から上がっている煙に着目し、それが竈と囲炉裏の火の煙であろうと論じ、さらに寝殿造りの建物における釜殿の役割と、それが地方の豪族の邸宅にも設けられていたこと、釜殿が邸の中で重要な場所と認識されていたこと、竈の神をめぐる信仰、煙が地上と天上を連絡するものと考えられていたことなどが指摘されている。

 中世といいながら、実はここで取り上げられている説話のかなりの部分が古代の出来事である。藤原利仁は平安初期の武人であり、その説話が中世にまとめられた書物の中に収められているという関係になる。これは第1章の多くの論稿と共通する特色であるように思われる。また各章がある程度の関連はあるものの、それぞれの独立した論旨をもっているというところが説話集の雰囲気に似ている。当たり前のことながら、「説話」を題目に掲げてはいても議論の進め方は歴史学者らしいものである。
 
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR