ロバート・ファン・ヒューリック『南海の金鈴』

10月9日(水)晴れ後曇り、強い南風。

 10月8日、ロバート・ファン・ヒューリック『南海の金鈴』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ―、2009)を読み終える。映画鑑賞と研究会の合間を縫っての読書であったが、集中して読みとおすことができた。

 地方の知事としての実績を重ねたディー判事(狄仁傑)は、検察と裁判をつかさどる中央官庁である大理寺の最高責任者である卿(けい)に昇進し、都でその職務に励んでいたが、ある任務を帯びて南方の広州に急行する。つき従うのは副官2人、今や近衛大佐に昇進した喬泰と大理寺秘書官長となった陶侃、運命のいたずらで山賊といかさま師に身を落としていた2人であったが、ディーのおかげで現在の地位を得た。とはいうものの、都での生活が窮屈に思われることもある。喬泰の相棒であった馬英は身を固めて都でぬくぬくと暮らしている。ディーに初めから忠実に仕えてきた洪警部が、都への栄転を前に凶刃に倒れたのは主従にとっての悲しい思い出である。

 喬泰と陶侃が珠江に臨む広州の港を眺めている物語の最初の場面には大勢の大食(タージー=アラビア人)が登場して物語の雰囲気の異国情緒を増す。この2人のことだから、そのあとで地元の飲み屋に入っていくのはお決まりのパターンである。店も客もどうも気に入らないが、酒はうまい。客の中に1人だけ話が合う人物がいる。剣の心得があるという貿易船の船長で、倪と名乗る。喬泰は翌日、彼の家を訪問することを約束する。町の様子を探るために、2人は別の道を通って都督府に向かうことにする。

 喬泰は殺人事件に遭遇し、陶侃は暴行されそうになった目の不自由な鸞麗という娘を助け、娘の家で虫籠の中の最上級の蟋蟀(こおろぎ)=金鈴の音色を聞く。

 都督府で2人を迎えたディーは今回の用務について語る。皇帝の病気が進み、朝廷は派閥争いで揺れている。その中で各派閥の均衡を保っているのはまだ若いが有能な劉御史大夫である。その彼が海路による安南(現在のヴェトナム北部)遠征に備えた予備視察のために広州を訪れ、都に戻って復命した後、再度今度は微行して広州を訪れたという。その足取りは全く分からない。彼のいない朝廷は均衡を保つことができないかもしれない。そこであらためてディーが派遣された次第である。喬泰が出逢った殺人事件の被害者は劉御史大夫の配下であった蘇進士である。御史大夫は何かのっぴきのならない事件に遭遇し、得体のしれない組織と戦っていたように思われる。(御史大夫は官吏の不法・不正を取り締まる要職と注記されている。)

 都督府で一行はこの地方の都督である翁健、広州の長官である鮑寛、富豪の梁福、豪商の姚泰開らと対面する。姚はこの地の大食人たちのかしらであるマンスールと懇意にしており、当夜も彼の邸での宴会に招かれているという。ディーは喬泰を姚に同行させる。マンスールの邸で喬泰はズームルッドという妖艶な踊り子にであう。

 これまでの作品の舞台は架空の都市であったが、今回は実在の広州が舞台であり、作品中に登場する名所旧蹟も実在するという。この作品を書き上げた翌年の1967年にヒューリックは世を去ったという意味で、判事ディー・シリーズの最後の作品であり、ディーが中央官庁の高官に出世をして、これまでのように事件の捜査にはかかわらないことを決心したという意味でも、シリーズを締めくくる作品となっている。歴史上実在の人物であるディーが虚構の世界から、歴史の世界に戻ろうとしているということであろうか。既に述べたところからも推測できると思うが、題名となっているコオロギの愛好趣味に加えて、異国趣味、エロティシズム、美食趣味と東洋学者であり、外交官であったヒューリックの趣味人ぶりがいかんなく発揮された作品である。

 この作品がシリーズの他の作品よりも早く翻訳されたのは、映画化の噂が伝わってきたからだと訳者(和璽桃子)あとがきにあるが、実際の映画は、この作品よりもさらに後の(『南海の金鈴』ではまだ皇后であった則天武后が君臨する時代)の出来事という設定のなかでのディーの活躍を描くものとなった。翻訳は全体として読みやすく、作品中のトリヴィアについての注記も行き届いている。欲を言えば『千夜一夜物語』の翻訳として大場正史訳と前嶋信次訳をあげているところ、もう少しその理由を説明してほしかった。実は、小生、『千夜一夜物語』には少々うるさいのである。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR