語学放浪記(15)

10月3日(木)曇り後晴れ、暑さが戻った

 大学の学部時代から大学院時代にかけて少しずつ手を出していた言語がスペイン語とラテン語である。当時の日本の大学ではスペイン語はあまり重視されておらず、教養部(当時)で開設されていた語学の授業は英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語だけであった。この他にラテン語、ギリシア語、イタリア語、オランダ語などの授業が文学部で開設されていた。

 その一方でNHKのテレビ、ラジオの外国語講座ではドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語とともにスペイン語が開設されていたのはやはり実用的な需要が大きかったのであろう。韓国語(おそらくは政治的な配慮から「ハングル」という名称になった)、イタリア語、ポルトガル語、アラビア語の時間が開設されるようになったのはもっと後になってからである。中国語については北京放送、ロシア語についてはモスクワ放送にそれぞれの学習のための時間が設けられていた。

 大学の授業で語学を学ぶだけでなく、大学の外の機関で語学を学ぶ、あるいはテレビ、ラジオでの講座を利用する、その他の自習教材を利用するというふうにいくつかの学習手段を組み合わせて学ぶことが望ましいにもかかわらず、あまり組織的に学習手段を組み合わせて外国語を学ばなかったことについては悔いが残る。

 スペイン語については就職する前後からラジオの放送を聴きはじめた。自分の研究の都合からいうと英語をもっと勉強しなければならず、就職した学校の都合でドイツ語を教えることになったから、ドイツ語を勉強しなければならず、それだけで十分に時間を取らなければならないのだが、どうも落ち着かなかった。

 ラテン語のことわざでDum docent discunt. (彼らは教える間、学んでいる)というのがあって、セネカの言葉だそうであるが、いろいろな意味にとれる。勉強しながら教えることが効果的なのだ、とも言えるし、教育者は教育をしながら学ぶことができるとも受け取れる。周囲としてはわたしがドイツ語ができないのは承知の上で、教えながら少しずつでも力をつけてほしいと思っていたのだろうが、実力もやる気もなさすぎるというのが内情であった。せっかくだからとドイツ語の専門書を買って読みはじめても、全く歯が立たない状態が続いて、ドイツ語を実際の役に立てることはあきらめざるをえなかったのだから、教師としてドイツ語を教えることには忸怩たる思いが付きまとっていた。悔しさをばねにして頑張るのはそれなりのやる気がある場合であって、もともとやる気がない場合にはばねが作用しない。いずれにせよ、どうもドイツ語には身が入らず、その分が他の言語に向かい、周囲の期待からは大きく背くという結果になった。

 それでスペイン語については、最初の職場を去ってからもずっと勉強し続けたが、一向に実力の向上は見られなかった。ラジオの番組を聴くだけのことをくり返しても、上達は難しいと気付いたのはかなり後になってからのことである。実用に役立てるというよりも『ドン・キホーテ』を読んでやろうというかなり遠大な目標があり、それが縁だいすぎることに焦りを感じをしたりもしていた。

 ラテン語の方は『わたしの読書法』で加藤周一が戦争中電車の中で読んでいたと書いていた『マクミラン・ショーター・ラテン・コース』の第1巻を大学院の博士課程のころだったと思うが京都の丸善で買ってきてかなり熱心に独習した。その後、一時的に勉強したり、またやめたりを繰り返した。こちらは確たる目標は設定されていなかったのである。
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