壊された5つのカメラ パレスチナ・ビリンの叫び

9月28日(土)晴れ

 9月26日、横浜シネマ・ジャック&ベティでドキュメンタリー映画『壊された5つのカメラ パレスチナ・ビリンの叫び』(Five Broken Cameras)を観た。アメリカのサンダンス映画祭をはじめ、各地の映画祭で受賞した作品である。

 パレスチナのビリン村に住むイマ―ド・ブルナートは四男のジブリールの誕生を機にカメラを手に入れ、彼の成長を追いかけようとするが、村でただ1台のカメラであることから村の行事の撮影を頼まれたりして、記録者の役割を担わされてしまう。彼はもともとオリーヴの栽培を中心に農業を営んでいたのだが、彼らののうちにイスラエルの入植地を拡大する計画が進められ、それに対して抗議する親族にもカメラを向ける。しかし、カメラはイスラエル兵が放った催涙弾によって破壊される。

 イスラエル人の知り合いがカメラを譲ってくれたので、イマードは撮影を続ける。が、入植地反対闘争を撮影中にまたもカメラが破壊される。村人が次々に逮捕され、イマードも逮捕される。入植地を守るという分離壁は延長され、他の村でも抗議行動が展開される。イマードの運転する自動車が壁にぶつかり、彼は重傷を負う。

 複雑で困難な状況の下、映画の撮影と編集も複雑で困難な過程を経たものであることは画面そのものが雄弁に物語っている。というのは、イスラエルの兵士の背後からでなければ撮影できない画面が少なからず含まれているからである。重傷を負ったイマードはテルアヴィヴのイスラエル側の病院で治療を受けることによって九死に一生を得る。敵味方がはっきりと区別されるようでいて、事態はそれほど単純に割り切れるものではなさそうである。そのことを含めて、この作品はパレスチナの人々の生活のありのままの姿を描き出していると受け止めてよかろう。

 5台のカメラが壊され、6台目のカメラで撮影中に今度はイマードの方が被弾したという。それでイマードとガイ・ダビディの共同監督作品として完成させられたとのことである。もともと個人的な目的で購入されたカメラが集団の記録の手段になっていく過程が興味深く、またそのカメラが壊されて画面が乱れたり、突如中断されたりするのを観て映像が何を伝え、語るものであるのか、この映画のもつ、あるいはもっていたかもしれないさまざまな可能性について考えさせられた。

 カメラと映像の役割というと、ジョナス・メカスは移住地での孤独な生活の中で私的にカメラを動かして、他の人々との連帯を求めたことを思いだすが、この作品では親族や地域の人々の中で生活しているイマードがごく自然に他の人々と連帯してカメラを回し続けている。そしてその映像が他の村の人々に勇気を与えている場面も挿入されている。映像がどのようにして人々を結びつけ、また時として敵対させるものであるかというのがこの映画が投げかける問いである。
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