映画女優

8月27日(火)晴れ

 所用で千代田区役所に出かける。その後、渋谷に戻って『上京物語』を見ようかとも思ったのだが、神保町シアターで市川崑監督、吉永小百合主演の『映画女優』を見ることにする。その後、檜画廊で「早川修 詩画?展 『やわらかなたましい』」を見る。早川さんの独特の発想と画風はもっと多くの人に見ていただきたいと思うが、ここでは吉永小百合さんが田中絹代を演じた『映画女優』について取り上げることにしたい。

 『映画女優』は神保町シアターの「銀幕の森光子」特集の中での上映で、この作品で森光子は吉永小百合さんが演じている田中絹代の母親役である。昭和の初め、映画監督の清光宏に見いだされて京都から松竹鎌田撮影所の大部屋女優として絹代が上京してきてから、昭和26年に溝内健二監督の『西鶴一代女』に出演するまでの半生が描かれている。原作は新藤兼人の小説『小説・田中絹代』で、新藤には他に映画『ある映画監督の生涯』がある。主人公をはじめ、多くの登場人物が実名である一方で、溝内健二=溝口健二、城都四郎=城戸四郎、五生平之助=五所平之助といったかなり見え透いた仮名の登場人物も少なくない。

 田中絹代は昭和史に加えて、サイレント映画の時代からトーキーへの転換、さらには白黒映画からカラー映画への変換の時代を生きた。この映画が描いている時代の後にはスクリーン・サイズの変化にも遭遇したのである。この作品には田中絹代の映画人生を通じての大正末から昭和26年までの映画の歴史が描かれ、田中を吉永小百合が演じていることによって、市川監督のこの時代の映画の歩みに対する評価も表現されている。実際にライブラリー・ショットが多用されたり、旧作の登場人物が同じ場面を吉永さんと再現したりすることで市川監督の日本(と世界)の映画史に対する愛着を感じ取ることができる。三國一郎と吉永さん自身の2種類のナレーションが流れるのも、この映画の内蔵する二重構造を示すものであろう。

 この映画のラスト・シーンに設定されている1951(昭和26)年からこの映画が撮影された1987(昭和62)年までは相当の年月がたっている。この時点で田中絹代も溝口健二も故人になっている。だから、今日われわれがこの作品を見るときは、この映画に示された市川監督の映画史に対する愛着を超えて、さらに広い視野からこの作品を見直すことができるのである。1951年から1987年のあいだに、カラー映画はさらに映画の主流になり、それに画面のワイド化が加わった。1987年以後、3D化やデジタル化が映画に新しい変化が生まれている。田中絹代が映画の変化に対応してきたように、吉永さんもそういう変化に対応して女優人生を生きてきているのである。

 田中絹代が初めて溝内(溝口)の『浪花の女』に出演した際の彼の脚本と演出に対して感じた違和感の描写など、市川監督は溝口の映画づくりの技法に興味を示しているように見える。脚本家の依田義賢の名前が出てくるが、映画の中で大きな扱いをされていなかったのは残念である。技法にこだわる市川監督の姿勢は、もっと早い時期の彼女が五生(五所)監督の作品の試写会を見ている場面で、映画青年たちがクローズアップについて論じている姿がクローズアップで描かれているようなところによくあらわれている。

 昨年、川島雄三監督の『暖簾』を見た際にも感じたことであるが、昭和の戦前と戦後を一貫した過程として描くのは1つの見解ではあるが、かなり難しい作業である。戦中と戦後の占領時代の田中と溝口のあゆみが両者の会話を通じてしか描かれていないので、余計にこのことを感じる。むしろ2部作にした方がよかったのかもしれない。

 文句を言いながらも、楽しんでみることができたのはひとえに市川監督の映画に対する愛着が感じられたからであろう。吉永さんが演じる田中絹代が丁寧な言葉づかいをしたり、ざっくばらんな話し方をするのが面白かった。常田富士男が演じる絹代の伯父源太郎、石坂浩二の城都(城戸)はよかったと思うが、菅原文太が溝内を演じているのはミス・キャストであろう。溝内の姪の役で沢口靖子が出演しているのは観客へのサーヴィスのつもりであろうか。
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