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ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(上)』(19)

3月28日(土)曇り、午前中、一時小雨

 ローマ白銀時代(14‐180)の詩人ルーカーヌス(39‐65)の『内乱――パルサリア――』は、作者が皇帝ネロの暗殺の陰謀に加わって自殺を命じられたために、未完に終わったが、紀元前1世紀にローマの支配権をめぐってポンペイウスとカエサルの間で戦われた内乱を描いた長編叙事詩である。
 紀元前60年にローマの3人の実力者、ポンペイウス、クラッスス、カエサルの間で結ばれた密約(第一次三頭政治)は混乱していたローマに安定をもたらしたが、紀元前53年にクラッススがパルティアとの戦いで敗死すると、残った2人の間の対立が激しくなる。ポンペイウスはローマの元老院と結び、ガリア総督であったカエサルの職務を解き、軍隊の解散とローマへの帰還を命じるが、カエサルはこれに応じず、軍を率いたままガリアとイタリアの境界であるルビコン川を渡り、合流してきた元老院の大立者クリオの教唆もあってローマ進軍を企てる。カエサル進撃の報を聞いたローマは大混乱に陥り、ポンペイウスをはじめ、多くの元老院議員が脱出していく。(第1巻)
 ローマを脱出したポンペイウスは反撃を試みるが、彼を支持する軍勢は各地でカエサル軍に敗れ、ついに、イタリア半島南東のブルンディシウム(ブルンディジ)からギリシアの西の地方に向けて脱出していく。(第2巻)
 ローマに入城したカエサルは自分の立場を正当化したうえで、国庫から軍資金を略奪し、イベリア半島のポンペイウス派の軍勢の掃討に出発する。一方、ギリシアに逃れたポンペイウスは東方諸国から大軍を集め、反撃を企てる。カエサルは遠征の途中、両派の和睦を求めるマッシリア(マルセイユ)の抵抗を受けるが、一部の軍隊を残したままイベリア半島に向かう。マッシリアは海戦の末にカエサル派に降伏する。(第3巻)
 イベリア半島に進んだカエサルは、アフラニウスとペトレイウスが指揮し、イレルダを拠点とするポンペイウス軍を最終的に山間に封じ込め、降伏させる。その一方、イッリュリア(アドリア海東岸地域)の海戦ではカエサル派のアントニウス(第二次三頭政治家の弟)がポンペイウス派に包囲されて敗れ、またシキリアからリビュエ(北アフリカ)に渡ったクリオは、ヌミディア王ユバの軍勢の策略にはまって敗死する。(第4巻)

 今回から第5巻に入る(岩波文庫版の上巻に収められた最後の巻である)。
 かくして運命は、禍福ない交ぜ、二人の将に交々(こもごも)
戦の痛手を負わせて、なお伯仲する両雄として
マケドニア人の地まで温存した。すでに季節は、ハイモスが
雪を敷き、アトラスの娘たちが凍てつくオリュンポスを戴く空から
降ろうとする真冬。暦年に新たな元号を与え、日月を導く先駆けの
ヤヌスを祀る門出となる日が近づいていた。
(第5巻、1-6行、225ページ) 時は紀元前49年の暮れ、二人の将=ポンペイウスとカエサルの両雄がテッサリアのパルサルス(パルサリア)で対決することになるのは、紀元前48年の8月のことである。オリンピックというと思いだされるオリュンポスの山はギリシアの最高峰(2917メートル)であり、その北側がマケドニアであるが、テッサリアはアレクサンドロス大王の父ピリッポスⅡ世の時代からマケドニアに服属していた。ルーカーヌスがパルサルスがマケドニアの土地だとしているのは、このためであろう。ハイモスはバルカン山脈のこと。ギリシア最北東部から黒海まで連なる山脈である。「アトラスの娘たち」はプレイアデスのこと。ここでは彼女たちが変身したとされるおうし座の散開星団=プレイアデス星団のことを言う。日本ではスバルというが、冬の星座である。ローマの暦では各年は1年任期で交代する執政官の名前で呼ばれた。ここで「元号」というのはそのことを踏まえたものである。ヤヌスは前と後ろに2つの顔をもつ神で、行く年、来る年を見つめる。1年最初の月の神(英語のJanuaryの語源)である。その神殿の門扉は、戦時には開かれ、平時には閉ざされた(大体、いつも開かれていた)。まもなく新しい年が始まるが、ローマの公職は原則任期1年で、1月1日に任期が切れる。したがって、新しい人事を決めなければならないのである。

 そこで、執政官2人は元老院議員たちをエペイロス(ギリシア西部)へと招集した(岩波文庫版の注によると、これが歴史的な事実であるかどうかは不明だそうである)。執政官2人とローマの元老院議員の多くがポンペイウスと行動をともにしている、とはいうもののここで新しい人事を行わないと、政権の正統性が疑わしくなると考えたのである。
 多数の元老院議員が集まり、この集まりがポンペイウス派の集まりというよりも、ポンペイウスが元老院と共和政派の一員であることを示していたが、一同の表情は暗かった。
 (同じころローマでは、執政官2人が不在という事態の中、独裁官となったカエサルが選挙会を開き、彼自身とプブリウス・セルウィニウスが(紀元前48年の)執政官に選ばれた。)

 執政官である(ルキウス・コルネリウス・)レントゥルスが立ち上がり、語りかけた。自分たちはローマを追われ、異郷をさまよっているが、「国政の枢機は我らに付き従い、最高指揮権は我らとともにあろう。」(第5巻、27行、227ページ)。ローマを占拠しているカエサルの政権には正統性はなく、彼らの軍勢はイッリュリアの海戦で敗れ、リビュエでクリオは戦死した。大義に基づく反撃のために、ポンペイウスを将帥に選出しようと彼は提案する。この提案は可決され、次に参集した諸国、諸王を賞賛する名誉決議が採択される。
 例えば、ギリシア人の植民都市であるマッシリアがカエサル軍と戦った武勇を賞賛され、その母市であるポキスには自由が与えられ、クリオを敗死させたヌミディア王ユバはリュビエの支配権を認められた。問題は、その次に登場する人物である。
…ああ、定めの何という無情。汝にも、
プトレマイオス、背信の民の王国にこの上なく似つかわしい者よ、
フォルトゥナの恥辱、神々の咎よ、汝にもその髪を絞める、ペッラの
王冠をかむることが許された。少年の彼は、民に向かって振るう狂暴な
刃を受け取った――望むらくはその刃が偏に民に向かっていたなら――。
かくして少年にラグスの王宮が授けられ、マグヌスの喉頸(のどくび)が
これに加わることになった。姉からは王権が、舅からは(婿殺しの)
非道の罪の機会が奪われたのだ。
(第5巻、57‐64行、229ページ) ここでプトレマイオスとよばれているのは、クレオパトラ(Ⅶ世)の弟のプトレマイオスXⅢ世である。ここで記されているのは一種の事後予言であるが、パルサリアの戦いで敗北したポンペイウス(マグヌス)はエジプトに逃れ、プトレマイオスを頼るが、彼に暗殺されてしまう。ペッラはマケドニアの古都でアレクサンドロス大王の誕生の地であるが、ここで「ペッラの王冠」はアエギュプトス(エジプト)の王冠を指している。「ラグスの王宮」のラグスはプトレマイオス王家の先祖の名であるが、「ラグスの王宮」はエジプトの王宮を指している。「姉」はクレオパトラ(Ⅶ世)で、(王家のしきたりにより)弟と姉弟婚をして王位にあったが、仲たがいをしていた。ここでルーカーヌスが書いていることがすべて史実に即しているとはいいがたいのであるが、彼はプトレマイオスがエジプト王になった後に、ポンペイウスを殺し、カエサルが自分の婿(娘の夫)であるポンペイウスを殺す機会が失われたことを憤っているのである。

・・・やがて集会は解かれ、
一群の元老院議員たちは兵戈を目指して散っていった。
(第5巻、64‐65行、229ページ) 彼らのだれも、自分の今後の運命はわからなかったが、それでも戦地に赴いていったのであるが、名門クラウディウス家の血を引くアッピウス(・クラウディウス・プルケル)は今後のなりゆきに対する不安から、将来の運命を知ろうとしていた。彼が知ることになる運命とは…それはまた次回に。
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