語学放浪記(11)

8月24日(土)曇り、夕方になって雨

 1967年の4月、どうやら3回生に進級した。2つ履修しなければならなかったドイツ語中級の授業のうち、落としたのではないかと思った厳しい先生の授業の単位がぎりぎりの60点で出ていたのには心底ほっとした。3年かけて仮進級ではかっこ悪すぎると思っていた。当時は、現在に比べて進級の基準が厳しかったのである。

 進級しても語学熱は残っていて、前回書いたように理学部のロシア語中級の授業を覗きに出かけたり、文学部で開講されているラテン語とイタリア語の授業を聴きに出かけたりした。ラテン語の先生が水野有庸先生であったことについては既に何度も書いた。これまでその思い出を書いてきた中国語の尾崎先生、ロシア語の山口先生、小野先生はどちらかというと学生にはやさしく接し、よい点数をつけて、そのやる気を引き出そうというタイプの先生であった。落第学生には好都合であったが、その半面で、自信過剰にさせる欠点もあったと思う。水野先生の教え方はこれとは違っていた。

 水野先生は非常勤講師で他の大学に籍があったのだが、京都大学でラテン語を教えることに情熱を燃やされていたようである。西洋古典語・古典文学を講座として開設している大学はほとんどなく、大学のカリキュラムの中に組み込んでいる例も少なかった。それで西洋古典語・古典文学の研究家の多くが英語やその他の外国語の教師として生計を立てざるをえなかったのである。それで水野先生も本務の大学ではラテン語以外の先生をされていたのではないかと推測している。とにかく、水野先生の張り切り方は尋常ではなかった。

 受講者に対して、何を専攻しているかを尋ねるアンケートを配布される。さらにかなりの量のプリントが配布された。どんなプリントであったか、全く記憶がない。だいたいラテン語の教科書というのはどれも同じようなもので、名詞の第一変化から始まるはずなのであるが、そういう勉強をしたという記憶もないのである。もっと熱心に、かつ私よりも後の方までラテン語の勉強をしたという方にどんな授業であったかについて詳しく教えていただきたいものである。私が記憶しているのは、とにかく先生がプリントの内容を説明する授業を進められ、授業が終わるはずの時間になっても一向にやめようとされなかったということである。当時の京都大学の授業時間は1時間50分で、15時10分にはじまり、17時に終わる予定なのだが、17時が過ぎても先生は授業を続けられている。それで早めに退出させていただいたり、友人に資料の確保を頼んで授業を休んだりしているうちに敷居が高くなって、足が遠のいてしまった。

 ラテン語を学習する動機はいろいろあり、西洋古典語・古典文学を専攻しようとする人や、言語学を専攻しようとする人だけでなく、他の語学の参考にしようとする人、西洋史を勉強しようとする人、哲学専攻の人、ローマ法を勉強しようという人、単なる教養という人、いろいろである。動植物の学名はラテン語で命名されるし、理科系の人でもラテン語に興味を持つ人がいて不思議ではない。それらのすべてに対応した授業を行うのは至難の業であり、そうなると自分なりの優先順位を設けて履修者を選び分けていく必要があるだろう。水野先生の授業は冷やかし組をふるいにかけていくという意味では効果的なものであり、私は見事にふるい落とされたわけである。ただ先生の個性は強い印象を残した。

 ラテン語については高校時代に岩波新書の『私の読書法』を読んだ際に、その中で加藤周一さんが戦時中、電車の中でマクミラン・ショーター・ラテン・コースを読み、降りたら読まないことを習慣づけていたと書いていたのが記憶に残っている。加藤周一さんは医者の勉強をしていたはずだから、ラテン語が全く役に立たないということはなかっただろうが、そういう職業的な理由よりも、時流への抵抗としてヨーロッパの文明の根源に迫るような勉強を少しでもしてみたいという気持ちがあったのではなかろうか。さらに同じようなことを花田清輝が書いていて、ラテン語の教科書を電車の中で読んでいて、気が付いたら電車が車庫に入っていたと回想している。マクミラン・ショータ―・ラテン・コースという書名が印象に残り、大学院の博士課程に上がってからだっただろうか、この本の1冊目を買ってきて、途中まで読んだりした。理由は分からないが、とにかく、ラテン語には何かがあると思っていたふしがある。

 何のために語学を勉強するのかについて、あるいは自分の学習計画の中で語学をどのように位置づけるかについてあまり体系的に考えることなく、ただいろいろと手を広げることに没頭していたような記憶がある。だから放浪記なのである。
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