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ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(上)』(18)

3月21日(日)晴れ

 ローマ白銀時代の詩人ルーカーヌス(39‐65)の未完に終わったこの叙事詩は、紀元前1世紀の中ごろ、ローマ共和政末期における内乱を題材としている。
 紀元前60年にポンペイウス、クラッスス、カエサルの3者の間で成立した第一次三頭政治は、混乱の続いたローマに安定をもたらしたが、紀元前53年にクラッススがパルティアで敗死してその一角が崩れると、残った2人の間の対立が激しくなった。詩人は過去の英雄ポンペイウスを「樫の古木」、昇竜の勢いのカエサルを「雷電」に譬えている。
 紀元前59年、ローマのポンペイウスは元老院と結び、カエサルのガリア総督の職を解き、軍隊を解散することを命じたが、カエサルは軍を率いたままガリアとイタリアの境界であるルビコン川を渡り、護民官の職を解かれてローマを追放されたクリオの教唆もあって、ローマへと進軍することを決心する。カエサル襲来の噂にローマは混乱に陥り、ポンペイウスをはじめ、ローマの高官たちの多くが脱出していく。(第1巻)
 ポンペイウスは反撃を試みるが、彼の軍隊は各地でカエサル派の軍隊に敗れ、最後に残ったブルンディシウム(現在のブルンディジ)も支えきれず、ギリシゃの西の方へと船で逃れていく。(第2巻)
 カエサルはローマに入城するが、彼を支持するものはわずかである。この後の戦いに備えて彼はサトゥルヌス神殿の予備金庫の中の財貨を略奪する。ポンペイウスは東方の各地から大軍を集めて反撃を準備する。カエサルはローマを発って、イベリア半島のポンペイウス派を掃討するために西進するが、ギリシャ人たちの植民地であるマッシリア(現在のマルセイユ)がポンペイウスとの講和を主張してそれを阻もうとする。カエサルは一部の兵を残してイベリア半島へと向かい、残った兵は陸では苦戦したものの、海戦でマッシリアを攻略する。(第3巻)
 イベリア半島に進軍したカエサルは、アフラニウスとペトレイウスが率いるポンペイウス派の軍隊を破るが、イッリュリアのクリクタ島ではアントニウス(後の三頭政治家の弟)がポンペイウス派に包囲され、脱出に失敗して敗れる。(第4巻のこれまで)

 ところで、この戦にまさるとも劣らず熾烈だったのは、その後、
リビュエの野で燃え上がった戦である。
(第4巻、574‐575行、207ページ) リビュエは「現在のリビアを中心とするアフリカ北西部地方、アエギュプトゥス(エジプト)を含む東北アフリカの総称として用いられる」(「地名・部族名等一覧」43ページ)と注記されている。リビアがアフリカ北西部にあるといっていいかどうかは疑問であるが、これからの戦闘が展開されるのは、現在のチュニジアの辺りなので、北西部と言ってよい。

 カエサルに内乱をそそのかしたクリオは、その後シキリア(シチリア)の総督であった小カトーを追い払って、この島に軍隊を駐屯させていた(カエサル『内乱記』41‐42ページ参照。ルーカーヌスは小カトーをストア的聖人として理想化して描いているが、政敵であったカエサルは、厳しい評価をしている。とにかく両者とも自分に都合の悪いことは触れていないので注意を要する)。
 クリオはシキリアの西端にある港町リリュバエウム(現在のリリベオLilibeoのことだろうと思われる。シチリア州トラパニ県マルサーラの一部になっているが、ポエニ戦争の時は重要な役割を演じた古代都市らしい)を出発し、アフリカ大陸北岸の(かつてローマと地中海の覇権を争った)カルタゴの遺跡と、その西にあるクリペアの間に上陸した。『内乱記』によるとカエサルはクリオに4軍団を与えたが、クリオは敵の力を見くびって2個軍団と騎兵500騎だけで渡ったという。カエサルはクリオの上陸地をアンクィッラリアと記している。

 海岸の近くにある高台とその周辺は「アンタイオスの領地」とよばれていたが、それは古代ギリシャの英雄ヘラクレスが、この地に住んでいた狂暴な怪人アンタイオスと戦い、苦戦の末やっと退治したという神話に基づく命名である。アンタイオスは大地の女神の子どもであったので、その体が大地に触れるたびに力をとり戻すことを見抜いたヘラクレスはアンタイオスの体を持ち上げたままその命を絶ったといわれる。
 また、海岸近くの高台は第二次ポエニ戦争(紀元前218‐201)の際に、シキリアから渡ってきたスキピオ(プブリウス・コルネリウス・~・アフリカヌス)が陣営を構えた場所であり、その遺跡がまだ残っているという。「ローマが初めて勝利を収め、占拠した野がここなのだ」。(第4巻、651行、212ページ)

 この前例が、自分の場合にも当てはまると思って、浅はかにもクリオはこの高台に陣地を張った。しかし、彼に対抗するプブリウス・アッティウス・ウァルスは大軍を擁し、しかもヌミディア王で、北アフリカでもっとも勢力をもっていたユバⅠ世の軍勢が家政として加わり、他にもアフリカの部族の支援を受けていた。
 ユバはローマの元老院からヌミディア王としてリビュエの支配権を与えられていたのだが、クリオはカエサルと結託してその王位と支配権を奪おうとした過去のいきさつがあり、ユバはクリオに対し敵意を燃やしていた。
 またクリオにしてみると、彼の率いている軍勢は、もともとコルフィニウムでカエサル軍に降伏した(第2巻)軍で、戦局によって有利な方に寝返ろうという危うい兵たちからなっていたことが、心配の種であった。
 しかし、緒戦では、クリオの軍勢はウァルスを破り、敗走させた。

 だが、ウァルスが戦闘で敗れ、撃破、掃滅されたとの悲報を耳にするや、
ユバは、戦の誉れが自分の軍勢のために取っておかれたと喜び、
急遽、密かに隊伍を率いて進軍したが、厳に緘口令を敷き、
自分の進軍が飛語となって広まらぬよう、極秘裏に事を運んだ。
(第4巻、705‐708行、216ページ) 彼は王に次ぐ地位にあるサップラを先発させ、自分たちの軍勢を実際よりも少なく見せかけたうえで、大軍を窪地の谷間に温存し、毒蛇をマングースが退治するやり方をまねて、クリオの軍勢を罠にかけようとした。
 クリオは「リュビエの陥穽に気をつけろ、奸策で常に血ぬられた/ポエニ戦役の例を忘れなという、再三再四受けた忠言を/徒にして」(第4巻、725‐727行、217ページ)朝早くから高台の崖の上を進軍した。

 サップラの率いる軍勢が事前の取り決め通り後退するのを、退却と判断したクリオは軍勢を平原へと向かわせるが、それまで隠れていたヌミディアの騎兵たちに包囲される。呆然自失として戦意を失ったクリオの軍勢は、ユバ王の軍勢のなすがままになる。包囲の輪はしだいに狭まり、最後の時を知ったクリオは、自刃して、その死骸を戦死者の中に交える。
 詩人は、クリオがカエサルに内乱をそそのかしたことを糾弾し、内乱の結末を見ずに非業の死を遂げたことを当然の報いだとするが、その一方で、彼の変節前の功績についても言及する:
ローマが生んだ市民で、これほどの俊才は他に類を見ず、正道を
辿っている時の彼ほどに法が多を負う市民は他に類がなかった。
(第4巻、810‐811行、223ページ)
 しかし、莫大な負債を抱えて窮地にあったところをカエサルから提供された金銭で救われ、閥族派からカエサル派に寝返った。彼の変心がローマの運命を大きく変えることになったと詩人は言う。スッラ、マリウス、キンナ、カエサル、彼らはローマを買ったのだが、クリオはローマを売ったのだと歌って、詩人は第4巻を終える。
 クリオがユバ王の軍勢に敗北する場面は、『内乱記』にも描かれているが、カエサルは軍人であるだけに戦闘の過程の描写はまさっているように思われる。ルーカーヌスの描写ではクリオが戦死したのか、自刃したのか分かりにくいが、カエサルは戦死したと記している。同じ出来事でも、描き方が微妙に違っている部分があり、関心のある方は、両者を読み比べてください。

 ポンペイウスはイタリア半島を追われ、またイベリア半島でも自派の敗戦を経験し、カエサルはイッリュリアとリビュエでの敗戦を経験し、それぞれに犠牲を出したが、主力を温存したまま、決戦の機会をうかがっている。第5巻ではまだ両雄の対決の場面は到来しないが、パルサリアの戦いに向けて、刻々と時間は過ぎていく。

 昨晩は居眠りをしてしまい、皆様のブログを訪問することができませんでした。失礼の段をお詫びいたします。
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