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日記抄(3月11日~17日) その2

3月17日(火)晴れ

 3月11日から17日までのあいだに経験したこと、考えたことの続き。ならびにこれまでの記事の補遺・訂正等:

3月11日
 横浜駅西口のJOINUSの地下道にホワイト・デーの売店がならんでいた。バレンタイン・デーの時は出店が控えられていたが、もう我慢できないということだろうか。かなりのお客の列ができていた。

3月12日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』応用編:「すばらしきラテンアメリカ」はウルグアイのラプラタ川の岸辺にあるこの国で2番目に古い都市コロニア・デル・サクラメントの様子、特にスペインとポルトガルの両方の影響が残る旧市街の町の様子が紹介された。ウルグアイがスペインとポルトガルの間で争奪が繰り返された歴史があることを初めて知った。コロニア・デル・サクラメントのラプラタ川をはさんだ対岸はブエノスアイレスなのだそうだ。

3月13日
 『朝日』朝刊の「天声人語」で、大正7年(1918)の米騒動のために「高校野球」大会が中止になったことが取り上げられているが、この時代はまだ、中学校や実業学校のチームが参加する「中等学校野球」である。ついでにいえば、この時代には甲子園はまだできていなかった。「甲子」の年、すなわち大正13年(1924)にできたから甲子園というのである。甲陽学院の卒業生である知り合いに、大正時代に甲子園で優勝した学校かと言ったら、その頃はまだ甲子園はできていなかったと訂正されたことがある。甲陽学院の前身である甲陽中学が中等野球大会で優勝したのは、甲子園ができる前年の大正12(1923)年で、初出場での優勝であった。このときは2回戦で、愛媛県の強豪・松山商業に3‐2で逆転勝利して波に乗ったのであるが、その時の松山商業の投手が藤本定義だったというから古い話である。なお、愛媛県の代表が中等学校野球大会に初めて出場するはずだったのが、大正7年のことで、その時の代表校は今治中学(現在の今治西高校)であった。

 『朝日』朝刊の連載エッセー「オトナになった女子たちへ」の中で益田ミリさんが「先生にほめられなくても好き、というのが本当の好き」と書き、「それを知るのはずいぶん後になってからである」と続けているのが、共感できた。「下手の横好き」ということわざもあるし、「好きこそものの上手なれ」ということわざもある。どっちにしても、好きなものがあることは楽しい。

3月14日
 『朝日』朝刊の「天声人語」では琵琶湖で続けられてきた真珠の養殖について取り上げているが、「万葉の昔から淡水の湖に真珠が存在したことに驚く」という一文にはカチンときた。むかしの方が自然は破壊されず、水がきれいだったから、淡水貝が真珠を生み出す可能性は大きかったはずである。時がたつにつれて、文明が発展し、暮らしが楽になってきたことは否定できないが、そのために失ったものがあるという視点を持ち続けることも必要である。

3月15日
 紀元前44年のこの日、ユリウス・カエサル暗殺。Beware the ides of March.(3月15日を警戒せよ)というのはシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に由来する凶事の警告である。(実は私はカエサルと誕生日が同じなので、少し、気になるのである。)

 『朝日』朝刊の「社説 余滴」で高木智子記者が「『わからない』を思う」という文章を書き、自分が理解できない感情を抱いている人がいるということを自覚することの大事さを説いているが、まったくその通りだと思う。他人に共感し、寄り添うことは大事だが、それには限界があることも知る必要がある。知らないこと、わからないことがある、それでもその相手と共存していく覚悟を固めておかなければならないという自覚は人間にとって大切なことではないかと思うのである。

 同じく『朝日』の歌壇で永田和宏・佐々木幸綱の2人の撰者が「若き日の君のアルバムめくるよう三月書房の引き戸はありき」(西宮市・佐竹由利子)という歌を選んでいた。京都の三月書房が閉店すると佐々木さんが書いている。この店では、単行本よりも、他では手に入らない雑誌やパンフレットの類をよく買ったし、そのとき短歌の雑誌もよく見かけたことを思い出す。なお、当ブログで取り上げたカンパネッラの『太陽の都』は、三月書房のカバーがかけられているので、この書店で買ったはずである。

 京浜急行の6つの駅で新名称がスタートした。わたしに関係のあるところでは、仲木戸駅が京急・東神奈川駅になった。JRの東神奈川と、仲木戸は100メートルほどの距離にある(陸橋で結ばれている)ので、この改名は当然だと思う。なお、東急の東白楽駅も近いと言えば、近い。

 新谷尚紀『伊勢神宮と出雲大社』(講談社学術文庫)を読み終える。 

3月16日
 NHKラジオ『入門ビジネス英語』で
Because of its neutral taste, tofu has an amazing ability to work in almost all types of dishes. To demonstrate this, I'm making a three course meal consisting entirely or tofu recipes. (豆腐は癖がないので、ほぼどんなタイプの料理にでも使える、万能な食材です。それをお見せするために、豆腐を使った3品からなるコース料理(前菜・メイン・デザート)をつくります。)
という発言があった。すでに江戸時代に『豆腐百珍』という書物が出されていたことを思い出した。

 この日から、しばらく放送を休んでいた『NHK高校講座』の23:40~0:40の放送が再開された。

3月17日
 本日の各紙朝刊の漫画は作者の持ち味がよく出ていたように思う。『読売』の『コボちゃん』は、ウイルスが長引いているので、夏休みが短くなるかもしれないと思ったコボちゃんが、つまらない、つまらないと言いながら、夏休みの工作を作り上げてしまうというもの。計画性があって、まめに作業をこなすコボちゃんは、作者である植田まさしさんの性格が反映しているのではないかと思った。『東京』の『ねえ、ぴよちゃん』は、ぴよちゃんに呼ばれた猫の又吉が急いでやって来るのだが、じつは猫同士の喧嘩の最中で、喧嘩を中断された野良猫のボスのニャブーがいつまで待たせるんだと怒っている。弟分のアッシュが「劣勢のポーズのままで待たなくても」と、地面に横になっているボスにむかって言うというものである。相撲の水入りのように、中断されたときの態勢のままでいようとするニャブーの律義さがおかしい。どちらも作者の個性が出ているが、登場人物がニコニコした表情をしている『ねえ、ぴよちゃん』の方が朝刊の漫画らしいと思う。
 この2つに比べると、『朝日』の『ののちゃん』の卒業する6年生のタイムカプセルを埋めないで、使っていないロッカーに保存してはどうか――「そんなお墓があったね」というのは、面白いことは面白いが、朝刊には似つかわしくないような気がする。

 『東京』に青梅赤塚不二夫会館が今月末で閉館するという記事が出ていた。建物の老朽化によるもので、展示物はフジオ・プロダクションに返却するという。また、どこかで同じような試みがなされるかもしれないし、それを期待したいと思う。

 最近、池波正太郎の『食卓の情景』を読み返したが、面白かった。池波の書いたものでは、旅と食べ歩き、それに映画について触れたものが好きである。

 少し古い話になるが、2月29日の『NHK高校講座 政治経済』で、資本主義を唱えたのはアダム・スミスだと講師の先生が解説していたが、これはやや適切性を欠く言い方である。根井雅弘『英語原典で読む 経済学史」(白水社)に「『国富論』には「商業社会」という言葉は出てきますが、「資本主義」という言葉は見当たりません。実は、「資本主義」という言葉は、後に社会主義者たちが自分たちの批判する体制を表わす言葉として使い始めたものでした。」(31ページ)とある。この少し前に根井さんが書いているように、スミスは、当時勃興しつつあった資本主義的な生産体制を擁護し、それを当時の政府の重商主義的な政策から守ろうとして『国富論』を書いたのであって、彼が何もないところから資本主義的な生産体制を構想し、実現させたわけではない。そのあたりのところは、表現に気をつけないといけないと思ったのである。 
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