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日記抄(3月11日~17日) その1

3月17日(火)晴れ、昼頃から雲が多くなってきた。

 3月11日から本日までのあいだに経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:

3月11日
 東日本大震災から9年がたったが、『朝日』朝刊の「天声人語」は、この震災で卒業式を終えたばかりの若者たちの中から少なからぬ犠牲者を出した福島県立新地高校が少子化のために近くの高校に統合されるかもしれないことを取り上げ、学校の存続を訴える昨年12月の投書を紹介していた。そのなかで、「拍車のかかる少子化により、明治時代から続く学校史が幕を閉じる日が来るかもしれない」という個所が気になって調べてみた。明治時代から6‐3‐3の学校制度(最近は6‐6も増えてきた)が続いていると思っている人は少ないとは思うのだが、やはり気になったのである。その結果、こんな詩を書くことになった:

 邑に不学の戸なく

学ぶのは
よりよく生きるため
よりよくの意味を探り当て
生きるための知恵と手だてとを身に付けるため

必ず邑に不学の戸なく
家に不学の人なからしめん――と
明治政府は宣言した
そして各地に小学校が建てられ
中学校や高等女学校や実業学校や
もっと上の学校も作られて
新時代の学びの場が
少しずつ、少しずつ、ひろがっていった

明治の末にできた実業補習学校が
大正には農業補習学校となり
昭和には青年学校となり
戦後の学制改革で高等学校になった
学校は形を変えながら、若者たちを受け入れ
彼らはよりよく生きるために
ここから巣立っていった

平成になるころから
生涯学習の時代だと
よりよく生きるためには
学び続けることが必要だといわれた
中学校も高等学校も大学も
卒業すればそれで終わりではない
就職しても働きながら学ぶことはある
生きているかぎり、よりよく生きることを求め
学ぶのだといわれるようになった

だが大震災は 卒業生の命を奪い
学ぶ機会も可能性も奪った
それでも学校は残り
敷地には 彼らを悼んで
記念樹が植えられた
彼らの志をつなぎ
学びをつなげていくために

地方の人々が減り、若者が減り、生徒が減り
学校は他の学校と統合するという
もしこの土地から 学ぶ若者たちの姿が消えたら
明治から伝えられた学びのつながりは
どこへと結び目を求めていくのだろうか
令和とはそんな時代なのか
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