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ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(上)』(16)

3月7日(土)曇り

 紀元前50年の11月、ローマのガリア総督であったカエサルは、ガリアとイタリアの境界を流れるルビコン川を軍隊を率いて渡り、ローマを支配していたポンペイウスと元老院との戦い、内乱の開始の意志を示した。カエサル進軍の風説に混乱したローマから、ポンペイウスや元老院議員の大半が逃亡、人々は来たるべき内乱の予感に恐れおののくのであった。(第1巻)
 ローマを離れたポンペイウスは、カプア(現在のカンパニア州に位置する)に拠点を構えてカエサル軍を迎撃しようとするが、各地でポンペイウス軍は敗北、カプアから退却してたどりついたブルンディシウム(現在のブリンディジ、イタリア半島の東南部プリア州)も支えきれず、ギリシアのエペイロス(西の部分)を目指して逃げてゆく。(第2巻)
 ローマに進軍したカエサルは、サトゥルヌス神殿の予備金庫を開けて、国庫を略奪する。ギリシアに逃れたポンペイウスは東方の各地から軍勢を集めて反撃の準備をする。ローマを離れたカエサルは、スペインのポンペイウス派の軍隊の討伐に向かうが、途中で両派の停戦を主張して籠城するマッシリア(現在のマルセイユ)の抵抗に出会い、軍の一部を残して、スペインに向かう。カエサル軍は陸では苦戦したが、海戦でマッシリア軍に勝利し、マッシリアは降伏する。(第3巻)
 スペインに転進したカエサルは、アフラニウスとペトレイウスが指揮し、拠点イレルダ(現在のレリダ)を守るポンペイウス軍と対峙する。カエサルの陣営は洪水で壊滅するが、態勢を立て直すと、ポンペイウス軍は形勢不利と見て、内陸への逃走を図る。追撃するカエサル軍が至近の距離に陣を構えた時、両軍の兵らは互いに旧知の間柄であったことを認め、勝手に停戦して交歓しあう。(以上、第4巻の前回紹介部分)

 両軍の兵士は、敵も味方もまじりあい、食事の卓を囲み、神を祀り、夜遅くまで昔話に興じた。
 しかし、ポンペイウス派の指揮官であるペトレイウスは、兵士たちが自分の指揮に従わず、戦いをやめたことを喜ばなかった。一時の停戦は破られた。
ペトレイウスは、一党の手に武器を持たせて罪深い戦闘へと駆り立て、
手勢を従えて、丸腰の敵兵を陣から追い立て、結ばれた抱擁を
剣で引き裂き、大量の血を流して停戦を打ち壊したからである。
(第4巻、207‐209行、183ページ)
 ペトレイウスは、さらに兵士たちに向かい、
・・・我らは生き延びようとしてこの内乱を
戦っているのではない。平和の美名のもと、我らが
隷属へと引かれ行こうとしているのが分からぬか。
(第4巻、220‐222行、183‐184ページ)と、独裁者の地位を目指すカエサルの手から、共和政を守るべきことを説く。この演説が奏功して、兵士たちは再び残虐な戦いへと進むことになる。

 ところが、このようにして再開された戦闘はカエサル軍の圧勝に終わる。
 このあたりの経緯については、ルーカーヌスを読んだだけではよくわからないが、イベリア半島の各部族の支持を得るために、カエサル軍とポンペイウス軍の双方が工作を続けた挙句、カエサル軍を支持する部族の方が多くなったことが、カエサルの『内乱記』(国原吉之助訳、講談社学術文庫)には記されている。ルーカーヌスは、両軍の兵士がお互いが身近な存在であることに気づいて停戦したのだと書いているが、カエサルによれば、カエサル軍が兵力において勝ってきただけでなく、ポンペイウス軍の食料や水の調達の手段を奪ったことにより、ポンペイウス軍の相当部分がカエサル軍に投降したことが記されている。

 ポンペイウス軍は再び逃走しなければならず、その軍勢をカエサルは山中にとじこめ、水源地を確保して、ポンペイウス軍が水に欠乏するよう計略をめぐらした。ポンペイウス軍は必死になってカエサル軍に戦闘を挑むが、カエサル軍は正面から戦おうとせずに、ポンペイウス軍の疲れを待つ。水と食料の欠乏に苦しむポンペイウス軍の兵士たちは、地面を掘り返して水を求めるが、それもむなしい試みに終わる。
 こうしてしだいしだいに追いつめられるなかで、アフラニウスは降伏を決意する。
 ついに、指揮官たちは屈し、敗北した。アフラニウスは、
武力での抵抗を断念し、和睦を乞うことを皆に提案した上で、
歎願者として、半死の軍勢を率いて敵陣に赴き、
勝利者の足の前に佇んだ。
(第4巻、331‐334行、191ページ) 『内乱記』の方がこのあたりの経緯は詳しく記しているが、カエサル軍は戦闘よりも、ポンペイウス軍の水・食料・糧秣の補給を断つことによって次第に敵を追い詰めていったのである。

 アフラニウスの降伏の言葉を聞いたカエサルは、意外にも彼の願いを受け入れ、兵の徴用も、軍の懲罰も行わず、アフラニウスとペトレイウスの命も助けた。正式に和睦が結ばれるや否や、今や自由の身となったポンペイウス軍の兵士たちは、カエサル軍の歩哨の消えた川辺に走って行って、川の水を心行くまで(中には慌てて飲んで、むせぶものもいたが)飲むのであった。「命は/一掬の清水で蘇るのだ。」(第4巻、376‐377行、194ページ)
 ああ、不幸なるかな、戦いを行う者は――。そのあと、兵士らは、
武器を勝利者に引き渡し、胸から鎧をはずして、心安らかに、
罪を犯す虞(おそれ)もなく、憂いから解き放たれて、おのがじし、
故郷の都へと散っていった。
(第4巻、378‐381行、194ページ)
幸いなるかな、世界が崩壊して揺らぐとき、己の置かれた境遇が、いかに
平安なものかを知りえたものは。疲れた彼を、戦闘が駆り出すこともない。
喇叭の合図が安眠を破ることもない。
(第4巻、390‐392行、195ページ)
 ここでポンペイウス派の軍隊の兵士たちを、そのまま故郷に帰らせたことで、カエサルの声望は一気に上がることになる。彼らにとってポンペイウスはもはや、かつての将であり、カエサルこそ、自分たちの生活を元に戻してくれた恩人である。
 ただし、大将2人、アフラニウスとペトレイウスはこれからもカエサルに刃向かい続ける。その結末までは、まだまだ時間がかかりそうである。

 この『内乱――パルサリア――』という叙事詩は、紀元前1世紀の中ごろに起きたローマの内乱を題材としているが、ギリシアのホメーロスとか、同じローマのウェルギリウスの叙事詩と比べて、戦争を正当化せず、その残虐さとか、平和の尊さとかを強く訴えているところが特徴となるのではないか。叙事詩の一方の主人公であるカエサルが出馬した戦いを描いているにもかかわらず、戦いそのものは詳しく描写せず、むしろ兵士たちの平和への想いを強調している今回は、そういう特色がよく出た個所ではないかと思う。当事者であり、軍人であるカエサル自身の記録『内乱記』と読み比べてみると、そのことが余計はっきりするのである。マッシリアに続いて、イベリア半島でも勝利を収めたカエサルであったが、運命は必ずしも彼に微笑み続けていたわけではない。詩人は、その視線を、カエサル派の軍隊が敗れた2つの戦いへと向ける。その詳細は、また次回以降に。

 昨夜は居眠りのため、皆様のブログのうち訪問できなかったものが少なくありませんでした。お詫びします。 
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