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ジェイン・オースティン『高慢と偏見』(33)

3月1日(日)晴れ

 「もしエリザベスが自分の家族の姿だけを見て人生観を育んでいたなら、夫婦の幸せや家庭の慰めについてとても楽観的な考え方はできなかったであろう」(大島訳、402ページ)
Had Elizabeth's opinion been all drawn from her own family, she could not have formed a very pleasing picture of conjuugal felicity or domestic comfort. (Penguin Classics, p.228)
と、第2巻第19章(42章:第2巻の最終章である)は書き出されている。
 この個所を読むと、なぜかトルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭部分が思い出される。
「すべての幸福な家庭は互いによく似ているが、不幸な家庭というものはそれぞれにおいて不幸である。」(英訳ではAll happy families resemble each another, each unhappy family is unhappy in its own way. ) トルストイはたぶん、オースティンを読んでいるし、いろいろと影響を受けたに違いない。

 エリザベスの父であるベネット氏は、(何度も書いてきたように、社会的な階級としては彼よりも低いが)美人で愛嬌のあるガードナー嬢と結婚した。ガードナー嬢すなわち、エリザベスたち5人姉妹の母親のベネット夫人である。結婚してみると、彼女はベネット氏に相応しい知性も、教養も持ち合わせず、性格的にも狭量であることが分かった。
 相手の美貌だけに眼がくらんで、知性や教養のつり合いを考えずに結婚した男性のいらだちは、『分別と多感』のパーマー氏においても見られるが、『高慢と偏見』では、そのような不釣合いな結婚を子どもの世代の結婚問題の背景として描いていて、物語としての奥行きの深さを感じさせる。社会階級的な見方からもう少し書いておくと、事務弁護士であったガードナー氏の娘であるベネット夫人とその姉の(夫が事務弁護士をしている)フィリップス夫人は無知な俗物として描かれているが、弟でありロンドンで実業に携わっているガードナー氏は立派な分別と思慮ある性格の持ち主として描かれていて、オースティンが中流階級全般を蔑視あるいは敵視していたわけではないことが分かる〔その意味では『分別と多感』のジェニングズ夫人の描き方などがいちばん真に迫っている〕。オースティンは自分の時代が産業革命の時代であり、中流階級の人々が自分の力で社会的な実力を向上させていることを肌で感じていたのである。

 結婚生活に満足できないために、他に快楽を求める男性もいる〔前記パーマー氏の場合は、快楽ではなく、国会議員になって権勢慾を満たすことが生きがいになっているようである〕が、ベネット氏はそういう人間ではなく、書物好きの読書家で田舎の暮らしのなかに人生の慰めを見出していた。「妻のおかげで味わえる楽しみは、せいぜいその無知と愚かさを面白がらせてもらうことだけであった」(大島訳、402ページ)。
 そういう父親の母親に対する態度が、夫の妻に対する態度としては適切なものではないことはエリザベスにもわかっていた。それだけでなく、父親が自分の娘たちの前で、母親を揶揄ったりするのを見て胸を痛めていた〔エリザベスは胸を痛めたが、他の姉妹がどう感じたかは、記されていない〕。それでも、父親が自分を理解してくれていることに免じて(エリザベスは母親とはあまりうまくいっていなかった)、大目に見ていたのである。
 「それにしても、不釣合いな結婚から生まれた子供達にはどうしても不利益が伴うことを今ほど沁じみと実感したことはなかったし、せっかくの才能も向けるべき方向を誤ると不幸に繋がることも今ほど痛切に感じたことはなかった。父の才能は正しい方向に向けられていれば、妻の心を豊かにすることは無理だとしても、せめて娘達の品位だけはここまで落さずに済んだかもしれないのだ」(403ページ)。

 エリザベスは、メリトンに駐在していた義勇軍の連隊がブライトンに移動しても、そのおかげでウィッカムと会うことが無くなったのを喜んだくらいで、他に何か感じることはなかった。ところが、母親とキティーは士官たちがいなくなったために退屈になったとしじゅう不平を言うので、そのために気分を暗くすることになった。キティーの不機嫌は時間が解決するだろうと考えて安心していたのだが、ブライトンに出かけたリディアの方はそれ以上に心配であった。
 その一方で彼女は、ロンドンのガードナー叔父・叔母とともにイングランド北部・湖水地方に出かける予定になっているのを心待ちにして、気分を和ませていた。姉のジェインと同行できないのは残念であったが、完全無欠な幸福を望んでも、何か失望が伴うものだと自分に言い聞かせたのである。
 ブライトンに出かけたリディアは、手紙はまめに出すと言い残していたのだが、実際には長く待たせるわりに、短い手紙しかよこさなかった。母親あての手紙には日常のとりとめのない出来事が断片的に記されているだけであり、キティーあての手紙はそれよりも量が多かったが、やたら下線を引いて、ここは2人以外の誰にも知られてはならない秘密だと断り書きがしてあったので、リディアの消息は分からないことだらけであった。

 「リディアがいなくなって2,3週間が過ぎたころから、健康と上機嫌と快活の気がロングボーンにも甦り始めた。すべてにそれまでよりも浮きうきとした気配が感じられて来た。冬をロンドンで過していた家族も次つぎと戻って来て、華やかな夏の装いが目立つようになり、本格的な夏の社交が始まった」(405ページ)。ベネット夫人もキティーも依然として不平は残っていたが、落ち着きを取り戻しはじめていた。
 はっきり書かれていないが、物語は6月に入っている。日本のように梅雨があるわけではなく、緯度が高い(したがって気温はあまり高くない)イングランドの土地柄、6月は過ごしやすい季節と言えるかもしれない。そういえばもう40年以上昔、金沢は梅雨時がいいんですよと言った元同僚がいたが、金沢大学に勤めている先輩に聞いたところ、誰ですか、そんなことをいう人はという答えが返ってきたのを記憶している。人によってそういう季節の受け止め方は多様なのである。
 さて、いよいよエリザベスは叔父夫婦とともに湖水地方に出かけることになる…かと思うと、予定が変更になり、彼女を当惑・狼狽させる。湖水地方(the Lake District)はイングランド北西部Cumbria州南部を中心とする美しい湖水と山岳とからなる観光地である。オースティンの時代≂18世紀の終りから19世紀の初めにかけて、ワーズワース、コールリッジ、サウジーの3人の詩人がこの地方に居を構え、「湖水詩人」として知られた――ということよりも、ピーター・ラビットの舞台という方がなじみのある方が多いかもしれない。1999年にリヴァプールに半年近く滞在したことがあって、そのときに、どうせなら湖水地方に出かけたらどうかと勧められたが、行かずじまいであったことを後悔している。
 脱線と寄り道が多くなってしまったが、第2巻第19章はあともう1回かけて紹介する。
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