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細川重男『執権』(10)

2月28日(金)晴れのち曇り

 鎌倉幕府の歴史は、(主として東国の)武士たちが自分たちの政権を築き、維持しようとした悪戦苦闘の歴史であり、著者によれば「ムダな流血の連続」(14ページ)であった。この書物は、その苦闘の中心的存在であった北条氏代々の得宗がどのように生き、戦い、何を残したかを、承久の乱に勝利した北条義時、元寇を退けた北条時宗という2人の得宗・執権に焦点をあてて見ている。
 第1章「北条氏という家」では、鎌倉幕府成立以前の北条氏が伊豆の小土豪に過ぎなかったことが述べられている。
 第2章「江間小四郎義時の軌跡――伝説が意味するもの」では、北条時政の嫡男ではなかった義時が、鎌倉幕府の権力争いの中で次第にその地位を上昇させ、最後は承久の乱に勝利するまでの過程がたどられるが、「義時は災難に直面するたびに、自身と周囲の人々を守るために戦い、結果的に勝利し続けただけに過ぎないのではないか」(104ページ)とまとめられる。ところが、その彼が武内宿禰の生まれ変わりであるという奇妙な伝説が生まれ、それが北条氏の鎌倉幕府支配の理論的な根拠として機能したことが論じられている。
 第3章「相模太郎時宗の自画像――内戦が意味するもの」では、時宗には時輔という兄がいたにもかかわらず、母親の身分から嫡子とされたこと、蒙古との戦いに備えて自己の権力を確立するために兄・時輔や傍系の名越一族を滅ぼす(勢力を削減する)ために内戦――二月騒動を起こしたらしいことが記されている。

第4章 辺境の独裁者――4人目の源氏将軍が意味するもの
  鎌倉将軍の系譜
 源氏将軍・摂家将軍・親王将軍
 今回から第4章に入る。第4章は、鎌倉幕府における将軍という存在について考えるところから始められている。
 「江戸幕府は徳川家康の征夷大将軍任官から大政奉還まで264年。将軍は徳川氏、15代。室町幕府は『建武式目』発布から足利義昭の京都追放まで237年、将軍は足利氏、やはり15代。これに対し、鎌倉幕府は頼朝の鎌倉入りから数えても153年、将軍は9代。」(149ページ)
 江戸幕府には鎌倉幕府・室町幕府・織田政権・豊臣政権、室町幕府には鎌倉幕府〔と、細川さんは書いていないが建武政権〕という先例があったが、鎌倉幕府は武士政権としての先例がない(強いて言えば、奥州藤原氏の平泉政権と平清盛の六波羅政権)中で試行錯誤を繰り返しての153年だったから、よく頑張った方だろうと細川さんは言う。 

 ところが、室町・江戸両幕府と鎌倉幕府とを較べると、大きく違う点がある。それは鎌倉幕府の将軍職が、1つの家系の世襲職とならなかったことである。なぜこのようなことになったのか。
 鎌倉将軍は源氏将軍3代・摂家将軍2代・親王将軍4代に分けられる。源氏将軍は源頼朝と、その息子の頼家・実朝の2世代3人である。摂家将軍とは頼朝の妹の曽孫で摂関家藤原氏(九条家)出身の藤原頼経とその息子頼嗣の2代の2人。親王将軍は宗尊親王・惟康親王父子2代と、久明親王・守邦親王の父子2代の4人である。

 承久元年(1219)正月に実朝が暗殺されると、鎌倉幕府はかねてからの約束どおり皇子の1人を将軍として鎌倉に派遣するように願い出る。しかし、幕府嫌いの後鳥羽上皇の拒絶にあって、やむなく頼朝の妹が京都の貴族と結婚して生まれた2人の娘の両方の血を引いている三寅(後の藤原頼経)という幼児を鎌倉に連れていき、将軍候補とする。そして嘉禄元年(1225)に三寅が8歳で元服すると、征夷大将軍に就任した。
 寛元2年(1244)に27歳となった頼経は息子の頼嗣(6歳で元服したばかりだった)に将軍職を譲って出家するが、将軍の父としてなお権勢をふるい、幕府の執権ともめ、寛元4年に京都に送還されるに至る。さらに建長4年(1252)には頼嗣も鎌倉を追われ、入れ替わりに第88代後嵯峨天皇の皇子で、第89代後深草天皇(持明院統初代)と第90代亀山天皇(大覚寺統初代)の兄である宗尊親王が鎌倉に入って、将軍となる。親王将軍3代、鎌倉将軍としては8代目の久明親王は後深草天皇の皇子、第92代伏見天皇の弟であり、宗尊親王から見ると甥、7代目の惟康親王の従弟ということになる〔惟康親王についてはこの後詳述されることになる〕。

血統を繋ごうという努力
 三寅(→頼経)が頼朝の血統を継いでいるといっても、かなりその縁は薄い。そのことは幕府も承知していたようで、寛喜2年(1230)に頼経は頼家の娘・竹御所と結婚している。この時頼経は13歳、竹御所は28歳。幕府が頼朝の血筋を絶やさぬようになりふり構わず努力していることはわかる。しかし、頼経と竹御所の間には子どもは生まれなかった〔厳密にいうと、難産で母子ともに死んだのである〕。また、7代目の維康親王の王女は久明親王に嫁ぎ、彼女が生んだ守邦親王が鎌倉最後の将軍となる。つまり、鎌倉幕府としても将軍の血統を何とか繋ごうと努力していたということであり、将軍交代も、時々の政治問題の結果であり、北条氏も気まぐれで気楽に将軍の首を挿げ替えていたわけではないと細川さんは論じる。
 「将軍家がコロコロ替わったことに、当時の人々が何の問題も感じていなかったわけではないのである。大いに問題だと思ったから、何とか血統を繋ごうと努力(ツジツマ合わせ)をしたのである。しかし、現実としては将軍家はコロコロ替わってしまい、ツジツマ合わせも、うまくいかなかったというのが、史実である。そしてその原因を遡れば、結局、実朝暗殺によって頼朝の血統が絶えてしまったことに辿り着く。/ところが、鎌倉幕府には、実は4人目の源氏将軍がいたのである。7代将軍維康である。」(153-154ページ)
 ということで、細川さんは新しい問題に読者を連れて行こうとしているが、その前に多少の前置きとなる議論をしている。「源氏」ということに関連して、「氏・姓・苗字」について説明しておこうというのである。

  氏・姓・苗字
 苗字の成り立ち
 第7代鎌倉将軍維康は、今日、一般には「維康親王」の故障で知られている。〔このブログでもそう書いてきた。〕
 「親王は皇族男子の中でも皇位継承有資格者の称号であり、親王となるためには天皇から親王宣下というものを受けなければならない。親王宣下を受けない皇族は、ただの王である。」(154ページ) ここで、細川さんは長屋王とか塩焼王とかいう奈良時代の「変な名前」の皇族を持ち出すが、それよりも、治承寿永の争乱の時代の以仁王が後白河法皇の子でありながら、親王宣下を受けなかったこととか、逆に宗尊親王が皇位継承の可能性は低いのに、後嵯峨天皇にかわいがられたために親王宣下を受けていたこととか、身近な例はあるはずである。〔なお、現行の皇室典範での規定はまた違うはずである。〕
 また、皇族がその身分を離れることを「臣籍降下」といい、このためには「賜姓」と言って、天皇から氏を与えられなければならない。〔細川さんも書いているが、氏を与えられるのであれば、「賜氏」になるはずだが、うるさいことは言わないことにしようということらしい。〕

 それで、簡単にまとめると、氏は一族の名、姓(かばね)は天皇が与える一族の称号、苗字は氏の中に自然成立した家の名と思えば一応説明がつく。例えば中臣連(むらじ)鎌足は中臣が氏、連が姓、鎌足が個人名である。ところがその息子の不比等になると藤原朝臣不比等ということになった。中臣、藤原以外にも、紀、清原、菅原、大伴、源、平など氏はかなり多くあった。ところが氏の中で同族が増えて来て区別するのが難しくなると、住所や役職で区別するようになる。そうしてできたのが苗字だという。
 少し遠回りをしたが、桓武天皇の曽孫である高望王は、平の氏と朝臣の姓を与えられて平高望となり、清和天皇の孫経基王は源の氏と朝臣の姓を与えられて源経基となった。ところが、平にしても、源にしても、複数の天皇の子孫に与えられたので、区別するためにご先祖の天皇の名前を付けて、嵯峨源氏、清和源氏などというようになった。さらに、そのまた嵯峨源氏の中で住む場所とか、その他の理由により、渡辺、瓜生、松浦などという苗字が出来上っていったのは、よく知られているところである。

 このような使い分けの例として、武家の大族である佐々木氏は宇多天皇の子孫である宇多源氏の一族であり、源が氏で佐々木が苗字であるが、さらにその佐々木氏の中には多くの家が成立した。〔いちばん有力なのは、南近江を支配していた六角氏であり、北近江を支配していた京極氏がそれに次いでいたが、京極の方が佐々木(京極)道誉以来次第に有力になった。このほか、戦国時代に活躍した尼子氏、如水の活躍によって大名の地位に躍り出た黒田氏などは宇多源氏佐々木流に属するとされる。旧民社党の委員長であった佐々木良作は六角氏の子孫ということであり、新を捨てて旧に復した例と言えよう。〕 桓武平氏に属するとされる北条氏の中で、名越氏、金沢氏、赤橋氏などが分かれていったのも同じような例である。

 さて、ここから話は鎌倉幕府第7代将軍維康の複雑な履歴に移っていく。複雑だというのは履歴だけであって、彼がどのような性格で、どのような業績を残したのか、ほとんどわからない。なぜならば、彼はお飾りの将軍であって、何をしようとほとんど記録されなかったからであるというようなことについては、また次回に。
 
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