大津雄一『『平家物語』の再誕』 つくられた国民叙事詩』(5)

8月22日(木)曇り後晴れ、今後の空模様については不安定だと予報されている。

 藤圭子さんの急死が報じられている。藤さんが大ヒットを飛ばされていた時代は、私がまだ20代の半ばだったころであったが、その時代が決定的に過去になってしまったという印象が残る。ご冥福を祈るという言葉を書き記すのがひどくつらい。

 第二次世界大戦後、この戦争への参加・協力の責任を問われる人々がいたが、国文学者でそのようなことになる人々はほとんどおらず(逆に言えば、占領軍によって小物だと思われていたということである)、その一方で彼らの戦争への加担・協力への罪悪感も希薄であった。そのような気分を「国文学一家」、「国文教職者たちの同業組合」が支えていたのである。

 戦争中、「武士道」や「日本精神」と結びつけて『平家』を論じ、青少年を戦争へと駆り立てていた国文学者たちも武士道を普遍的妥当性のある倫理として現代に強要すべきものではないなどと前言を翻していた。彼らの多くはその戦時下の業績について頬かむりをしていたのである。

 一方、永積安明は戦時下でも維持した社会経済的な見方を続けて、『平家』が封建社会の文学であることを認め、そのために戦時中に日本主義・伝統主義者によって利用した経緯があるとしながらも、現代の社会の中にある封建的なものを知るためにその研究が必要であると説き、また『平家』の中の矛盾を読み取ることが文学者の課題であるとも論じていた。しかし彼のその後の研究は『平家』のこのような性格を掘り下げる方向には進まなかった。

 この点で影響力があったのが歴史学者である石母田正の『中世的世界の形成』(1946)をはじめとする一連の研究である。中世を通じて、武士集団(領主層)は古代的な社会構造を克服して力を伸ばし、彼らに率いられた広範な庶民・国民層が成長したというのが石母田の主張の骨子である。『平家』は農村的民衆的な古い「語り」の精神と都市的散文的精神の結合として現れたと指摘する石母田の議論はそれが唯物史観という理論と荘園史の実証的研究の裏付けをもっていたことから、永積を力づけるものであった。

 「『平家物語』を叙事詩、国民文学ととらえる石母田の理解は、やはり古風でロマンティックである」(192ページ)と大津さんは論じている。石母田自身が認めるように、それは山路愛山の影響を強く受けたものであった。石母田に先んじて英雄時代を考えていた国文学者が高木市之助である。マルクス主義史学は、原始共同体から階級社会への過渡的段階として英雄時代を規定していたが、石母田はは高木の英雄時代論をこの考えによって解釈しなおそうとしたのである。それは戦後の日本が進むべき進路をめぐってアメリカによる占領の永続化、植民地化に危機感を抱く左翼知識人たちの民族意識と結びつく議論であった。ここで大津さんは歴史学者の北山茂夫が英雄時代論の裏付けの希薄さを指摘しながら、戦前の日本浪漫派の議論の延長を見ていたことも紹介している。いずれにしても、古代英雄時代論争の余波で中世の英雄時代も脚光を浴び、英雄叙事詩として『平家物語』が復活する環境が整えられる。

 この一方で文学の世界でも民族の危機の中から国民文学運動が提唱され、展開される。そこでは日本民族の文学的な遺産をどのように継承するかが問題とされた、その中のブルジョワ的な要素や、それについてのブルジョワ的な解釈は破棄されるべきであるが、新しく創りだされるべきものがあるという。

 この動きに対して、大津さんは「古典を日本民族のアイデンティファイのために必要なものとして規定すると、国文学は外国の文化に対する日本文化の特殊性を語るための教材になってしまう。・・・より普遍的なレヴェルにおいても日本の古典を活用する道を探ることが大事だと思っている」(207ページ)との論評を加えている。

 『平家』に描かれた平安時代末期の変革が、新しい時代の到来をもたらす革命として、武士たちがあたかも民衆革命のリーダーのように受け取られているのは、「革命的ロマンチシズム」であろう。この物語が古代末期の変革期を描いていることは確かであるが、物語の政治的関心は天皇王権の絶対性の保持にある。「物語がしきりに嘆くのは王の政治が尽きようとしていることであって、新たな時代の到来を喜ぶことはない。物語の思想はきわめて「保守的」である」(210ページ)。永積は彼自身の信念に沿うようにこの物語を読んでいる。しかし、『平家』を変革期の民族叙事詩ととらえる見方は、明治の評論の焼き直しに過ぎなかったにもかかわらず、作品の評価に大きな影響をもったのであった。

 現在の中・高等学校の国語教科書において、『平家物語』は必ず取り上げられる古典の安定教材となっており、その解釈の基調をなしているのは時代の変革期を描いた国民叙事詩という受け止め方である。民族の危機が高度経済成長と経済の安定によって遠ざかったかに見えたとき、『平家』をめぐる議論は低調になる。吉川英治の『新・平家物語』は明治以来の清盛の再評価を踏まえつつも、人々に『平家』の世界を再認識させることに貢献し、最近ではサブカルチャーの中で『平家』の新しい解釈が生まれようとしている。あるきまった読み方だけが『平家』の正しい解釈というわけではないのである。

 『平家物語』は型にはまった物語の連鎖によって構成されており、それゆえに個々の物語は懐かしく、分かりやすい。それで人々の記憶になじむものである。しかしそれらの物語は時に矛盾し、それをそのままに残している。結果としてその矛盾が、この物語に奥行きを与えているのである。だから、この物語をどのように解釈し、そこから新たにどのような創造を行おうとも自由だが、「武士道」だの「日本精神」だのという枠組みにはめなければならないと強調し、それを正解として他を斥けるような考えが出てきてくれては困るというのが大津さんの結びの言葉になっている。

 ついでに言えば、社会の変革期には文学の最高の形式である叙事詩が現れるという議論をめぐり、大津さんはヘーゲルの議論をもちだしているが、おそらく日本のマルクス主義的な歴史家、文学者はハンガリーのマルクス主義の理論家であったルカーチのこの問題についての議論を手掛かりにしているはずである。ルカーチの議論は、社会の変革と文学の関係についてきわめて公式的にしかとらえておらず、叙事詩が最高の文学形式であるという議論は独断的で、また叙事詩は国民的でなくて、個人的なものであってもよいし、英雄を歌わなくても一向に構わないはずである。これらの点については、私なりにいいたいことがあって、何とか掘り下げてみようと思っているのだが、なかなか勉強が進まないでいる。

 この書物は、明治以後の『平家物語』の受容の一側面を見事にまとめたものであるが、『平家物語』の解釈を求めて読んだ読者は肩透かしを食ったような気分になるだろう。読む前に、予備知識が必要であり、初心者には勧められない書物である。 
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