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ルーカーヌス『内乱――パルサリア――(上)』(15)

2月22日(土)晴れのち曇り、夕方になって一時雨

 紀元1世紀のローマの詩人ルーカーヌスの未完に終わったこの叙事詩は、紀元前1世紀の半ばにローマの覇権をめぐり、閥族派のポンペイウスと民衆派のカエサルのあいだで戦われた内乱を題材とするものである。今日に残されているのは第10巻までであるが、これまで第3巻までを紹介してきた。今回から第4巻に入る。
 元老院とポンペイウスにより、ガリア総督の地位を解任され、軍隊の解散を命じられたカエサルは、その命令に従わず、ガリアとイタリアの境界であるルビコン川を渡り、大軍を率いてローマに迫る。内乱の始まりである。この知らせを聞いてローマは大混乱に陥り、ポンペイウスをはじめ、ローマの要人たちの多くがローマを去る。(第1巻)
 ポンペイウスはカプアを拠点として反撃を試みるが、カエサル派は各地でポンペイウス派の軍隊をやぶり、ポンペイウスはイタリア半島南東部のブルンディシウムの港から、ギリシアのエペイロスを目指して逃亡する。(第2巻)
 カエサルはローマに入城するが、彼を支持する者は少ない。一方、東方に逃れたポンペイウスは各地から大軍を集めて反撃を準備する。カエサルはスペインのポンペイウス軍と戦うべき西にむかい、その途中で両派の和睦を主張して抵抗したマッシリアの攻囲を部下たちに委ねて、スペインに向かう。マッシリアは、海戦によって陥落する。(第3巻)

 一方カエサルは、遠く世界の果ての地で獰猛に
戦を遂行していた。死者の数ではさほど罪深くはないが、
二人の将の命運を決する重大な契機となる戦であった。
(第4巻1‐3行、169ページ)
 ポンペイウス派の将軍はアフラニウスと、ペトレイウスであった。ローマから派遣された兵士たちに加えて、イベリア半島の各地からの兵士たちが彼の麾下に加わった。イベリア半島の東南部(後のアラゴン→カタルーニャ)にイレルダ(現在ではカタルーニャ語でリェイダと呼ばれている、スペイン=カスティーリャ語ではレリダである)という丘の上の町があり、その近くをシコリス川(現在ではセグレ川)が流れている。シコリス川と、その支流であるキンガ川(シンカ川)が合流するあたりを望む、もう一つの丘の上にカエサルの軍勢が陣営を構えた。〔シコリス川は、キンガ川と合流した後、今度はヒベルス川(エベル川)にそそぐ。〕

 両軍はしばらくにらみ合いを続けた。
 戦いの初日、流血の戦闘は控えられ、将の率いる
軍勢と数知れぬ軍旗を誇示するだけで終わった。
罪を恥じたのだ。恥の心が狂乱の将たちの兵戈を押しとどめ、
祖国と踏みにじられた法に一日の猶予を与えたのである。
(第4巻、24‐27行、170‐171ページ) このあたりの表現にルーカーヌスの戦争一般を否定する心情が込められているのではないかと思う。

 しかし、カエサル軍が動き出し、両陣営のあいだにある丘を占拠しようとするが、ポンペイウス派の軍の方が先に丘を自分のものとする。しかし、戦闘はどちらが勝利することもなく終わり、両軍はそれぞれの陣営に引き上げる。
 冬のあいだ、戦いは停滞していたが、春になると雨の日が多くなり、しかもピュレネ(ピレネー山脈)の山の雪が解けて、シコリス川が増水しはじめた。平原に陣地を張っていたカエサル軍は、「水難に見舞われて水没し、/陣営は押し寄せる洪水で壊滅した。」(第4巻、86‐87行、174‐175ページ)
 カエサル軍は苦境に陥ったが、運命は彼を見放さなかった。水害は長くつづかず、カエサル軍に挽回の余裕を与えた。彼らは柳の枝を編んで牛の皮を張った船を造って交通手段とし、さらに橋を架け、水路を掘って、水の勢いを押さえた。

 このようにカエサル軍が態勢を立て直しているのを見たペトレイウスは、イレルダの町の味方たちだけでは対抗できないと考えて、半島のさらに内陸部に同盟者を求めて去っていこうとした。
 それを見たカエサルは、兵士たちにすぐ、彼らの後を追うように命じた。ポンペイウス軍のしんがりに、カエサル軍の先頭の騎兵たちが追いつき、脅かし始めたとき、ポンペイウス軍は闘争を続けるか、踏みとどまって戦うかで迷っていた。
 カエサルは、ポンペイウス軍が内陸部に逃げ込むと戦闘が長期化することを懸念した、自分の軍隊の一部をポンペイウス軍に先回りさせて、正面から戦おうとした。
 両者は土塁を築いて先頭に備えた。しかし、そこで予期しない出来事が起きた。

・・・距離の遠さに霞むことなく、互いの目が
互いの顔をはっきりと見分けた時、兵士らは骨肉相食む
内乱の非道を覚悟した。皆は、軍律への恐れでしばし
声を呑み、ただ頷きと剣の動きで縁辺と会釈を交わしていた。
やがて、一層強い衝動に駆られて、熱い愛の心が軍律を破り、
思い余って土塁を乗り越え、両手を広げて腕を差しのべつつ
互いを抱擁した。知己の名を呼ぶ者もいれば、縁者の名を呼ぶ者もいる。
遊びや学びに共に熱中して過ごした子供時代が心に蘇った者もいた。
敵の中に知己、縁者を一人も認めなかったローマ人はいなかった。
(第4巻、168‐176行、180ページ)
 両軍の兵士たちは、相手の陣営に自分の知人や友人の姿を認めて、指揮官の命令や軍律を無視して戦闘を停止し、お互いに交歓しあったのである。この思いがけない平和は果たしてどのような結果をもたらすのであろうか、それはまた次回に。 
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