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細川重男『執権』(8)

2月13日(木)朝のうちは雨が降っていたが、昼頃から晴れ間が広がる。

 鎌倉幕府の歴史は、(主として東国の)武士たちが自分たちの支配機構を作り出し、維持しようと悪戦苦闘した歴史であり、著者の言葉を借りると「ムダな流血の連続」(14ページ)であった。この書物は、その苦闘の中心的な存在であった北条氏の代々の得宗は、いかに生き、戦い、何を築き上げたのかを、承久の乱に勝利した北条義時と、元寇を退けた北条時宗という2人に注目しながら解き明かそうとするものである。
 第1章「北条氏という家」では、鎌倉幕府の成立以前における北条氏が伊豆の小土豪に過ぎなかったことを明らかにしている。
 第2章「江間小四郎義時の軌跡」では、義時が頼朝死後の幕府の権力闘争にどのようにかかわりながら、その力を増大させていったか、またそのような権力の獲得と継承の中で、彼が武内宿禰の生まれ変わりであるという伝説が広がり、信じられていたことなどが語られている。
 第3章「相模太郎時宗の自画像」のこれまで読んだ部分では、文永9年(1272)に「二月騒動」で殺害されたはずの時宗の庶兄・時輔の手配書が、時宗の死の直後である弘安7年(1284)に出回っていたという奇怪な事件を取り上げている。時輔は時宗の兄であったが、母親の身分が低かったために冷遇されたのを恨みに思って、時宗を取り除こうとして「二月騒動」が起きたというのが通説であるが、時輔は父親である時頼から嫡出の時宗・宗政に次ぐ地位を与えられており、元服の際の烏帽子親を足利利氏(頼氏)が務めていることから見ても、軽んじられているわけではなかったと、細川さんは考えている。

第3章 相模太郎時宗の自画像(続き)
  北条時輔の政治的位置――③外戚
 庶子の姻戚関係に見える政治的意図
 時頼には成人した4人の子=時輔・時宗・宗政・宗頼がいて、時宗・宗政が嫡出、時輔・宗頼は庶子である。それぞれの結婚相手を見ていくと、時輔が下野守護小山長村の娘、時宗が安達義景の娘(義景の兄・泰盛の養女)、宗政が北条政村の娘、宗頼が豊後守護大友頼泰の娘である。
 嫡子である時宗と、そのスペアである宗政が北条一族や幕府の重臣の娘と結婚しているのに対し、庶子の時輔と宗頼が守護クラスの武士の娘と結婚していることに、著者は、父親である時頼の配慮がうかがわれるという。

 自立志向の小山・結城一族
 小山一族は、平将門の乱の平定に功績のあった藤原秀郷の後裔であり、以後一貫して下野を支配してきたと自称していた。この時代にあっても、幕府からの自立性は強く、それだけに時頼はその一族との北条家の結びつきの改善を図ったのではないか、新興の守護である大友氏から、宗頼の妻を迎えたことにも同じような意図があるのではないかと推測している。

  北条時輔の政治的位置④――叙爵年齢
 鎌倉武家社会における時輔の位置
 叙爵とは従五位下の位階に叙すことである。貴族のランキングを簡単に説明すると従三位以上を公卿、正四位から従五位下まで(4位・5位)が諸大夫(しょだいぶ)、正六位上以下が侍(さむらい)である。だから、叙爵は貴族への登竜門である。 
 時輔の叙爵は文永2年(1265)で18歳、同時に式部丞に任官した。これは弟である時宗が11歳、宗政が13歳で叙爵したのに比べれば遅いが、時輔の甥(宗頼の子)兼時は19歳、その弟宗方は17歳、その他の北条一門の子弟が10代後半で叙爵していることを考えると不当に遅いとは言えない。むしろ、時輔は得宗家の連枝(貴人の兄弟)として相応の、鎌倉幕府にあっては高い待遇を受けていたと考えてよいと著者は論じている。

  北条時輔の政治的位置⑤――南方探題就任
 西国統治機関としての六波羅探題
 時輔は文永元年(1254)に17歳で六波羅南方探題に任じられて京都に赴く。通説ではこれは鎌倉からの追放とされるが、大いに疑問がある。
 六波羅探題は承久の乱ののち、幕府方の大将であった北条時房・泰時がそのまま南方探題・北方探題としてもともと清盛流平氏一門が集住していた六波羅に屋敷を構えたというのが起こりで、当初は占領軍司令部の色彩が濃厚であった。
 ところが、承久の乱以後、朝廷の統治能力が急速に衰え、京都の治安維持すらおぼつかなくなった結果、京都市中はもちろん、西国(西日本)の治安・警察業務は六波羅探題が行うことになった。
 さらに、本来朝廷の職務権限であった本所間訴訟(幕府や御家人と無関係の荘園領主同士の紛争)まで、幕府に持ち込まれるようになって、六波羅探題は占領軍司令部から、朝廷の統治能力の不備を補う鎌倉幕府の西国統治機関として姿を変えていくのである。こうして南北両探題のもとに、鎌倉幕府と同様に六波羅引付頭人、六波羅評定衆、六波羅引付衆のような役職が置かれ、その整備が進められることになる。
 時輔の南方探題在任は9年余りにわたり、その間2年間は北方探題が不在で1人でこの職務にあたったことを考えても、その職責は大きく、追放説は否定されるのではないかと著者は論じている。

 得宗一門の地方派遣
 時輔が父・時頼によって六波羅南方探題に任じられたのは、南方探題府の再建のためであったと著者は考えている。就任に先立つ20年間ほどは、六波羅探題は1人というのが常態であり、時輔が派遣された時期には六波羅探題の機構の整備・拡充、特に訴訟機関としての整備が勧められていたという事実が重要ではないかという。
 しかも時輔の六波羅探題就任は、彼の弟である時宗が執権である父・時頼の連署に就任して3か月後のことであり、むしろ来たるべき時宗体制のための有力な布石として期待されての人事であったと考えられる。また時宗と、その子である貞時の時代には得宗一門を地方に派遣する例が多くなっていた(例外は時宗の同母弟である宗政と、その子師時だけで、この2人は鎌倉に留まって、職を得ている)こともこのことを裏付けるのではないかという。

 「以上のことから、時輔の側には文永9年2月に討たれるべき要因は、きわめて薄弱であったと言わざるを得ない。では、なぜ、二月騒動は起こったのか、この要因は時輔・名越兄弟よりも、討伐を決行した時宗の側にあると考えるべきではないか。」(137ページ)
 次回はいよいよ「二月騒動」の経過をたどり、その再評価と、それらを通じての時宗の人物像の掘り起こしに取り組むことになる。
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No title

こんにちは。。。

北条義時・・・
2022年大河ドラマの主役となりましたが
私は源平の時代に大変興味がございます。。。
その中で北条義時は数々の事象の黒幕ではないかと
注目しているのですが、大河ドラマでどう描かれるのか
今から楽しみにしています。。。

お邪魔いたしました。。。

Re: No title

コメントを有難うございました。

> 北条義時・・・
 わたしが子どものころに、義理の伯父の1人が源実朝暗殺事件の話をしてくれて、北条義時が黒幕だったと言ったと記憶しておりますが、別の義理の伯父(昭和天皇にご進講したという歴史学者の伯父)はそんな話は一切しませんでした。推測は自由ですが、確実な証拠がない限り歴史的な事実とは認められません。北条義時は、そういう意味ではまだまだ謎の多い人物ではないかと思います。細川さんの著書は、そういう謎を謎として提示することで、従来悪人視されてきた義時について、改めてその実像を考えさせようとしている書物のように思われます。
> 2022年大河ドラマの主役となりましたが
> 私は源平の時代に大変興味がございます。。。
 個人的なことを言いますと、頼朝と政子の子どもの頼家と実朝よりも、足利尊氏と赤橋登子のあいだの子どもの義詮と基氏の方が、出来がいいと思っています。そういうことから歴史を再評価すべきではないかと思ったことが、私の『太平記』への興味の起点になっております。文学としてみると、源平の争乱を描いた『平家物語』の方が優れていますが、歴史や政治哲学まで含めて読みこんでみると、『太平記』の方が面白い。そんなことを考えております。学生時代に、先生からたんめん君は、『太平記』に出て来る重要人物の〇〇の子孫ではないかと言われたことがありまして、もちろん、そうではないのですが、△△県の生まれなので、まったく縁がないわけではないと思っている次第です。源平合戦の時代に話を戻しますと、人生の半分以上を神奈川県で過ごしておりますので、北条氏よりも、三浦氏の方に肩入れしたい気持ちがあることも確かです。横浜市に縁が深い武士ということになると、三浦一族の和田義盛と縁戚関係を結んでいた武蔵七党の一つ横山党ですね。

> その中で北条義時は数々の事象の黒幕ではないかと注目しているのですが、大河ドラマでどう描かれるのか今から楽しみにしています。。。
 義時は『平家物語』(『源平盛衰記』)では彼が後に政敵として葬ることになる和田義盛ほどにも活躍していないのですが、自分の身に降りかかる火の粉を振り払っているうちに、いつの間にか、大きな存在になったのだというのが、細川さんの論旨のようです。大河ドラマでどのように描かれるかというのは、作者の想像力の問題ですが、歴史的な事実と考えられることがらからあまりにも離れてしまうと、視聴者の評判はともかく、歴史学者からは不評を買うことになるでしょう。
> お邪魔いたしました。。。
 また、お寄りください。お待ちしております。
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