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ラブレー『ガルガンチュワ物語』(27)

11月29日(金)晴れ、やっと青い空を見ることができたかという感じである。

 ガルガンチュワはフランスの西の方を治めていたグラングゥジェ王とその妃ガルガメルの間に生まれ、誕生後すぐに「のみたーい! のみたーい! のみたーい!」と叫んだので、このように名づけられた。もともと巨大な体躯の持主であった上に、牛乳と葡萄酒を飲んですくすくと育ち、新しい学問と教育法を身につけたポノクラートという先生のもとでパリで勉強して、学芸と武勇の両方に秀でた若者となった。
 グラングゥジェ王の領地の住民たちが、隣の国のピクロコル王の領地の住民たちと些細な衝突を起こしたことから、激怒したピクロコル王がグラングゥジェ王の領地を侵略するという出来事が起きた。グラングゥジェ王は事態を平和に解決しようとしたが、これを機会に世界征服に乗出そうと思っているピクロコル王は交渉に応じず、やむなく、グラングゥジェはガルガンチュワを呼び寄せて、侵略軍を排除することにする。故郷に戻ったガルガンチュワはポノクラートや、自分と父王の家臣たち、侵略軍から修道院のブドウ畑を守ったジャン修道士らの助けを借りて、ピクロコル軍を撃破する。
 戦いに勝ったガルガンチュワは、功績のあった家臣たちにそれぞれ莫大な褒賞を与えるが、そのなかでジャン修道士は、これまでになかったような新しい修道院を建てたいと願い出る。この申し出はガルガンチュワの気に入り、ロワール川沿いのテレームという場所に大修道院が建設されることになる。六角形をしたその建物は男女の寮舎に割り当てられる区画のほかに、図書館が設けられ、建物の外にはスポーツや武術を鍛錬する場所や劇場が設けられていた。女性は貴婦人らしい、男性は貴公子らしい服装が定められていた。

第57章 テレミートたちの生活はどのように定められていたか
 「彼らの生活はすべて、法令や定款あるいは規則に従って送られたのではなく、皆の希望と自由意志とによって行なわれた。起きるのがよかろうおと思われた時に、起床したし、そうしたいと思ったときに、飲み、喰い、働き、眠った。誰に眼を醒まされるということもなく、飲むにせよ食べるにせよ、またその他何事を行なうにつけても、誰かに強いられるということはなかった。そのように、ガルガンチュワが決めたのである。一同の規則は、ただ次の一項目だけだった。
欲することをなせ。
FAY CE QUE VOUDRAS,

 
(渡辺訳、248ページ) そのように定められたのは、正しい血統に生まれ、十分な教養を身につけ、よい友人たちと付き合ってきた自由な人間にはもともと良知(honneur)というものが備わっているので、外から余計な干渉や圧迫を加えるべきではないと考えられたからである。〔すべての人間ではなくて、恵まれた環境に生まれ育った人間に限定された<性善説>が唱えられているのが特徴的である。〕 外から押さえつけたり、禁じたりしようとする人々は、人間には禁じられたことをしてみたい、拒否されたことを求めてみたいという性向があることを忘れてはならないのである。

 修道院の雰囲気は自由だったから、各個人の意志と集団の意志とが食い違うことはなかった〔実際にそんなことが実現するかどうかは疑問である〕。「彼らは、高貴な教養を受けていたから、読むこと、書くこと、歌うこと、楽器を奏でること、5つ6つの国語を操ること、またそれらの言葉で詩歌や散文を綴ることのできない者は一人としていなかった。」(渡辺訳、249ページ) 〔修道院に入る前から、このような教養を身につけていたのか、入ってから身につけたのかがはっきり書いていないところが問題である。〕 また修道院の男子たちは騎士としてふさわしい勇敢さと武芸の腕を持っていたし、女性たちは貞潔で、手仕事に秀でていた。
 このようなことから、修道院の男子が自分の意志で、あるいは親の意向に沿って、修道院を去る際に修道院の女性と結婚することはよくあることであったという。

 ところで、この修道院を建てている際に、その土台下から一枚の銅板が発見され、そこには一篇の謎歌が記されていた。物語の最後に、この謎歌を紹介することを忘れてはならないだろう。

第58章 後世(のちのよ)照らす謎歌
 幸(さち)待ち侘ぶる哀れなる人々よ、
 勇を鼓して、我が言葉を聞き給え。
(渡辺訳、250ページ)で始まるこの詩は、やがて冬を迎えようとする季節に、一群の人々が現れ、世間を惑わそうとする。その結果、争いが起きて世の中は乱れる。この戦いの中で力を得るのは、真理を奉ずる人々ではなく、信仰をもたない人々である。そして大きな洪水が起きて、人々は苦しむ。騒ぎの中で球体はどのような安息を得るというのか。しかし、やがては平和と安息の日々が訪れるだろうというような内容である。

 これを読んだガルガンチュワは溜息をもらす。「福音書の御教えを信ずるに至った人々が迫害を蒙るということは、何も今の世だけとは限らぬものと見えるな。」(渡辺訳、257ページ)
 ジャン修道士は、これに対して、殿のお考えではこの詩はどのようなものかと質問する。
 ガルガンチュワは「神の真理の進みゆく姿と、その有様(ありよう)に外ならぬではないか。」(渡辺訳、257ページ)というが、ジャン修道士は、これは打球戯(ジュ・ド・ポーム)の様子をわかりにくい言葉で表現しただけのものだという。洪水は流れる汗のこと、球体は打球戯のボールのことだという。試合が終われば勝ったものにとって楽しい時間が待っているだろう。「されば、これより大盤振る舞い!」(Et grand chere!、渡辺訳、258ページ)

 こうして、『ガルガンチュワ物語』は終わる。多少の謎を残して終わるというのが正直な感想であろう。謎歌の本当の意味は、ガルガンチュワの解釈したようなものかも知れず、それは、この物語が書かれたのがフランス国内でカトリックと新教徒との戦いが次第に激しさを増している時期であり、しかも、ラブレーは、彼がその師と仰ぐエラスムスと同様に、カトリック教会の腐敗に対しては批判的であったが、宗教改革の排他的・狂信的な傾向にもついていけず、理想と現実とをどのように釣り合わせていくかに腐心していたところだったからである。最近、講談社の文芸文庫から出版された渡辺一夫『ヒューマニズム考』は、このあたりの事情をより深く理解するのによい書物だと思うので、ぜひご一読ください。しばらくお休みを頂いて、次は『第二之書 パンタグリュエル物語』の内容を紹介していきたいと考えている。それではまた。


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