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ラブレー『ガルガンチュワ物語』(25)

11月15日(金)晴れ

 ガルガンチュワは、フランスの西の方を治めていたグラングゥジェ王とその妃ガルガメルの子で、生まれ落ちてすぐに「のみたーい! のみたーい! のみたーい!」と叫んだことから、この名がついた。もともと大きな体躯の持主であった上に、牛乳と葡萄酒をたくさん飲んでますます大きく成長し、パリに出て、新しい学問と教育方法を身につけたポノクラートという先生について勉強したおかげで、学芸にも武勇にも秀でた若者となった。
 グラングゥジェ王と、隣国のピクロコル王との間に些細なことから戦争がおこり、グラングゥジェ王は平和に事態を解決しようとしたが、うまくいかないので、ガルガンチュワを呼び寄せた。帰郷したガルガンチュワは、ポノクラートや自分の修道院のブドウ畑をピクロコル王の軍隊から守ったジャン修道士たちの助けを借りて、ピクロコル軍を破り、平和を取り戻す。
 この戦争で手柄を立てた部下たちに、ガルガンチュワは恩賞を与え、最後にジャン修道士への褒賞が残ったが、ジャン修道士はこれまでになかったような種類の修道院を建ててほしいという。そこで、ガルガンチュワはロワール川沿いのテレームという場所に大修道院を建設することにする。

第53章 テレミートたちの僧院はどのように建てられ、いかなる財源を与えられたか(テレーム修道院は、どのように建築され、どのような財源があてられたか)
 この章の章題はComment feust bastie et dotée la abbaye des Thelemitesであるので、渡辺のように「テレミート(テレームの僧院人々)たちの僧院」と訳すのが、字義通りということになるだろうが、宮下訳の方がわかりやすいことも否定できない。

 ガルガンチュワはこの大修道院に莫大な額の寄進をしたうえに、近くの川の航行税や土地の地代によって、その維持を容易にした。
 修道院の建物は6角形をしていて、その隅に当るところに円塔が築かれていた。〔『旧約聖書』「創世記」には神が6日間で世界を創造したとあり、また、6は完全数の一つである(完全数とは、それ自身を除く約数の和に等しくなる自然数のことを言い、6のほかに28、496、8108、33550336…などがそうである)。いま、思い出したのだが、フランス本土のことをhexagone(六角形)という。〕
 またそれぞれの塔は、地下の酒蔵(cave)も含めて6層であった。

 「この建物は、ボニヴェ城、シャンボール城、シャンチイー城よりも、はるかに壮麗だった…」(渡辺訳、234ページ)、「それはボニヴェ城、シャンボール城、シャンティー城よりもはるかに壮麗な建物だった」(宮下訳、378ページ)。宮下訳における訳注によると、「テレームの修道院」は当時のフランス王フランソワⅠ世が建造させたシャンボール城と、ブーローニュの森にあった通称マドリッド城であるという。シャンボール城は現在でもロワール川の流域の城巡りの中心地となっており、読者の皆様の中には、あぁあの城かと思われる方もいらっしゃると思う。

 建物の北側には大図書館が設置され、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、フランス語、イタリア語、イスパニヤ語の書籍を収めていた。宮下さんは、ここでも収蔵されている書籍が6言語で書かれており、6の原理が貫かれていることに注目している。なお、渡辺訳、宮下訳共に「イタリア語」としているが、原文はTuscanであって、「トスカーナ語」という方が、より正確である。イタリア語の「標準語」の歴史に即していえば、イタリア語がダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョの言語であるトスカーナ方言を中心に発展してきたことは確かだが、ここで、ラブレーがイタリア語という言い方をしていないことは気にしておいてよい。それをいえば、イスパニヤ語(渡辺訳、宮下訳では「スペイン語」)というのも同じような事情があり、日本ではふつうスペイン語というが、上智大学の外国語学部では「イスパニア語」学科といっているくらいで、スペインの言語事情も複雑である(スペイン語といわずに、カスティーリャ語といえばいいのだが、そういうと、なんのことだかわからないという人が多い・・・私も多少はスペイン語をかじったので、イスパニアではなくてエスパーニャという方が性格ではないかなどと言い出すときりがなくなる…)。

 そして大修道院の東の塔から南の塔にかけての間の廊殿には「古代の武勲の数々、様々の物語、山川の有様などが、あらゆるところに描かれていた」(渡辺訳、235ページ)。これはカンパネッラの「太陽の都」の神殿の壁や、城壁に書かれた万物の絵に先行する例といえるのかもしれない。そして正門には、次章に記すような銘文が記されていた。

第54章 テレームの僧院の正門に記された銘文(テレーム修道院の大きな扉に記された碑文)
 銘文(あるいは碑文)には、まず、この修道院の門内に入ってほしくない人々が列挙されている:
 入ってほしくないといわれているのは、偽善的な僧侶、法律家、高利貸し、詭弁学者たちであり、
 次に歓迎する人々が列挙されているが、それは:
 高貴な騎士たち、福音を説く人々、高貴な家柄の女性たちであって、
 「聖なる福音」と「深い信仰」が好ましい属性として強調されているところが印象的であると宮下さんは注記している。

 さて、テレームの大修道院の様子がこれから第55章、56章と続いて描き出されて、57章で大団円となる。『ユートピアの思想史』の著者であるベルネリは、テレームの大修道院を一種の「ユートピア」として、彼女の著書の中に加えたが、これまで見てきたように、グラングゥジェ王とその王子ガルガンチュワによって統治されているフランス西部地方こそがラブレーにとって「ユートピア」なのであり(この時代のフランス王であったフランソワⅠ世がシャンボール城を築いたことでもわかるように、ロワール川流域地方はフランスの中心的な地方であった)、それはモアがイングランドとウェールズとを彼の『ユートピア』のモデルとした以上に確かなことである。だから、テレームの修道院は、ユートピアという理想空間(モアにおける「ユートピア」は必ずしも理想空間ではない)では、修道院もどのような姿をとるかという思考実験として読むべきであると思う。テレームの大修道院の現実化、あるいはその後継者となるような施設があるのか、ないのかを、探ってみることも、必要なことではないかと思うのである。
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