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日記抄(11月5日~11日)

11月11日(月)朝のうちは雨が降った後が残っていたが、次第に晴れ間が広がる。と、思ったら、午後になってまた雲が多くなってきた。16:30ごろからまた雨が降り出した。

 11月5日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:

10月30日
 中島義道『ウソの構造』(角川新書)について触れたなかで、書き落としたことがあるのを付け加えておく。ある発言や行動について、あとになってそのつじつまを合わせるようなことがなされた場合、それは当事者が嘘をついている可能性が高いという意味のことが書かれているが、鋭い観察ではないかと思う。

11月5日
 『NHK高校講座 現代文』は、宮沢賢治が妹との死別の悲しみを歌った「永訣の朝」を取り上げた。この放送は昨年も聴いた記憶がある。番組を聴いていて2つの(あるいは正反対のことかもしれない)事柄を考えた。
 「現代文」あるいは「国語総合」の中で取り上げる<現代詩>は、俳句や短歌に比べると、少し古い作品が多いのではないか(これは印象なので、実際に調べてみたら、違う結果が出るかもしれない)ということである。もっと前衛的な作品を取り上げてもいいのではないか…という気もする。〔私は中学・高校時代に(ずっとではないが)境野勝悟先生に国語を習ったが、先生は俳句をよくされていたので、その部分は(特に)生き生きとした授業をされていたという記憶がある。飯田蛇笏の俳句がいいという話をされたのを覚えているくらいである。蛇笏は井伏鱒二と仲が良かったと後で知って、もう少し熱心に蛇笏のことを調べておけばよかったと思っている。〕
 もう一つは、新しい高校国語の学習指導要領の中での文学の後退が憂慮されているが、文学作品を取り上げないことによって、実は明治から昭和戦前(あるいは戦後のある時期)までの日本語の文章が読めない日本人が多くなるのではないか。それによって、日本の歴史や伝統を誤解する人々が多くなるのではないかということである。かくいう私も、幕末維新期の文章などはすらすらとは読めない。幕末維新期の日本について、現代の研究者や小説家の書いたものを読んでも、本当の幕末維新期の日本の姿はわからないのであって、自分でその時代の文献を読んだり、生活誌を掘り起こしたりする必要がある。そういうことがますます困難になることが心配である。

11月6日
 『朝日』朝刊の「天声人語」に英国でベトナムからの密入国者の大量死の事件が起きたことが取り上げられていたが、日本にやって来る技能実習生もベトナム人が多いことが想起される。先進国に移住して成功する人もいるが、成功できなかった人の方が多いようである。よく言われることだが、成功例は大いに宣伝されるけれども、失敗例はあまり多くの人に知られない。しかし、実は失敗例の方が多いという事例は少なくないのである。

 同じく『朝日』朝刊の「耕論」のコーナーで、萩生田文部科学相の「身の丈」発言をめぐり、松岡亮二さんの「『教育格差』のデータを無視」、竹内洋さんの「近代日本の建前が崩れた」、斎藤孝さんの「受験にはそぐわない言葉」という3つの意見が掲載されていた。この件については前回の「日記抄」の10月29日の項に私の意見を書き、それについてのコメントもいただいた。私の意見は斎藤さんの見解に近く、それに対するコメントは竹内さんの意見に近いのではないのかと思う。松岡さんの意見は2つのこと、1つは文部科学相の発言が教育格差を指摘するいくつかの研究結果を無視してなされていることと、もっと大きな文脈でいえば、安倍政権の教育政策が実証に基づいて(evident-based)設計されたものとはいいがたいものであることを述べているのではないかと思う。これら2つのことについては、また論じる機会があるだろう。

 前回の「日記抄」の10月31日の項で、『日経』の記事に基づいて、コーヒー豆には主としてレギュラー・コーヒーに使われるアラビカ種と、インスタント・コーヒーに使われるロブスタ種の2種類があるということに触れて、缶コーヒーに使われるのはどっちだろうと書いたのだが、この日の『朝日』に「缶コーヒー 甘くて苦い 50年」という記事が出ていたので、その答えが書いてあるかと思って読んだのだが、書かれていなかった。この辺りに、『朝日』と『日経』の記者の興味のもち方の違いが出ているように思う。

11月7日
 NHKラジオ『実践ビジネス英語』の”Quote...Unquote"のコーナーで紹介されたことば:
After crosses and losses, men grow humbler and wiser.
    ―― Benjamin Franklin
( U.S. statesman, diplomat, inventor and scientist, 1706 - 90)
(数々の試練と喪失の後で、人はより謙虚により賢くなる。)

11月8日
 デフォー『ロビンソン・クルーソー(下)』(平井正穂訳、岩波文庫)を読み終える。一般によく知られている、ロビンソンが孤島で暮らす物語を上巻として、英国に帰ったロビンソンがまた島を訪問し、その後、彼が一時農場を経営していたブラジルを経て、喜望峰まわりでアジアの各地を歴訪、中国からヨーロッパへと戻るという続編を下巻としている〔だから世界一周はしていないのである〕。続編を読むのはこれが初めてだが、宗教や道徳の問題、特に宗教的寛容の問題が盛んに取り上げられているのは前編と同様である。デフォーはピューリタン(清教徒)であり、その意味で、『ロビンソン』はジョン・ミルトン(John Milton, 1608-74)の『失楽園』(Paradise Lost, 1667, 74)やジョン・バニヤン(John Bunyan, 1628-88)の『天路歴程』(The Pilgrim's Progress, 1678)の系譜につながるのだが、デフォーはこの2人に比べると新しい時代に生きたこともあって、作品の中の世俗的な傾向がより強くなっているといわれる。そのことと、宗教的な寛容の問題は関係するのではないかと思う。 

11月9日
 『朝日』の朝刊に、新しい大学入学共通テストで導入される、記述式問題にもいろいろな懸念が寄せられていることが報じられていた。採点者を1万人確保しなければならないというのが不安材料の一つであり、さらにその仕事ぶりがどのようなものかも問題になりそうである。

 松下貢『統計分布を知れば世界がわかる』(中公新書)を読み終える。
 一見、バラバラに見えるデータでも、それらをたくさん集めてグラフにしてみると、ある傾向や規則性、特徴が見えてくる。このような作業を統計分析という。特に著者はデータの分布に注目する。分布には、身長のように正規分布をするもの、体重のように対数正規分布をするもの、地震の大きさのようにべき乗分布をするものなどがある。著者は物理学者であるが、社会現象を含めて、われわれが日常出会う事柄の総てに物理学は取り組まなければならないという寺田寅彦の考えを継承して、さまざまな社会の問題、特に最近問題視されている「格差」の問題に、統計分布の分析から迫ろうとしている。
 先日、亡くなった八千草薫さんが里見美禰子役で出演していた『夏目漱石の三四郎』(1955、新東宝、中川信夫監督)では、土屋嘉男が寺田寅彦をモデルにしているといわれる野々宮宗八を演じていたが、日常出会う事柄の総てと物理学は取り組まなければならないという寺田の考えが述べられていて、そこのところだけいやに感心した記憶がある。

11月10日
 来年度からの大学入学共通テストにおける英語の民間試験活用が中止されたことをめぐり、『朝日』は大学側の対応、『日経』は民間団体側の対応を取り上げているのが、両紙の特徴をよく表していると思った。

 横浜FCはアウェーで徳島ヴォルティスを1‐0で破り、2位に浮上した。あと2試合、なんとか勝ち抜いて自動昇格を果たしてほしい。
 第1135回のミニトト‐Aが当たった。

11月11日
 NHKラジオ『まいにちスペイン語』を聴いていて、ポップコーンのことをスペイン語ではpalomitas (複数形、1粒のポップコーンはpalomitaだが、1粒だけ買う人はいないから、複数だけ覚えればいいのである)という。
 気になったので調べてみたが、フランス語ではpop-cornをそのまま使うようである。あるいは、別の言い方の方が一般的かもしれないので、ご存知の方はご教示ください。
 などと書いたが、私はまず、ポップ・コーンを買って食べることはないだろうから、覚えなくてもいいのではないか――とも思う。 
 
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