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ラブレー『ガルガンチュワ物語』(24)

11月7日(木)曇り

 ガルガンチュワはフランスの西の方を治めていたグラングゥジェ王とその妃ガルガメルとの間に生まれ、誕生後すぐに「のみたーい! のみたーい! のみたーい!」と叫んだことから、この名前が付いた。もともと巨大な体躯の持主であった上に、牛乳と葡萄酒を飲んですくすくと育ち、一時、詭弁学者を家庭教師として勉強したために勉学が停滞したとはいうものの、新しい学問と教育法を身につけたポノクラートという学者を師としてパリで勉強するようになってからは、学芸にも武勇にも秀でた若者となった。
 グラングゥジェの領民たちが、隣国のピクロコル王の領民たちといざこざを起こし、かんしゃくもちのピクロコル王が事態を確かめもせずにグラングゥジェの領内に攻め入って来て、略奪をほしいままにするという事件が起きた。それで、グラングゥジェは平和裏に解決しようとするが、ピクロコルは耳を貸さなかったので、やむなくパリからガルガンチュワを呼び寄せて、ピクロコルの軍隊と対決させる。ガルガンチュワはポノクラートやその他の近臣たち、ピクロコルの侵略から自分の修道院の葡萄園を守ったジャン修道士らの助けを得て、ピクロコルの軍隊を打ち破り、平和を回復する。そして、グラングゥジェとガルガンチュワは、平和の回復に功績のあった部下の者たちに恩賞を与える。

第52章 ガルガンチュワが修道士ジャン・デ・ザントムールのためにテレームの僧院を建立させたこと(ガルガンチュア、ジャン修道士のために、テレームの修道院を建立させる)
 気になるので、もとのフランス語と、英訳とで章題を記しておく:
Comment Gargantua feist bastir pour le moyne l'abbaye de Theleme.
How Gargantua caused to be built for the Monk the Abbey of Theleme
 渡辺訳でも宮下訳でもジャン(・デ・ザンドムール)という名前を入れているが、フランス語原文、英訳共に名前はない。
 ジャンの身分であるが、修道士(仏moine, 上にmoyneとあるのは古い表記、英monk)である。
 渡辺訳は「僧院」、宮下訳は「修道院」と訳しているが、フランス語原文のabbaye,英語のabbeyは正しくは「大修道院」である。〔余計なことを付け加えると、スタンダールの”Chartreuse de Parme"は「パルムの僧院」と普通訳されているが、chartreuseはカトリックの修道会の一つであるシャルトル―会の修道院を指す語だそうである。〕

 功績のあった人々には褒賞が与えられ、残ったのはジャン修道士だけになった。そこで、彼をもともと彼が所属していたスイイーの修道院長にしようと思った。ところが、彼はそれを拒絶した。そこで、ガルガンチュワはスイイーの修道院よりも大きい、ブゥルグイの修道院、あるいはサン・フロランの修道院、本人が希望するならばその両方の修道院長にしようと提案した。しかし、ジャン修道士は修道士たちの世話をしたり、取り締まったりするのはまっぴらだと、きっぱり拒絶したのであった。

「――なぜかと申しますに、(と彼は言った、)己が身のことすら取り締まれませぬ拙者に、どうして他人様を取り締まれましょうかい?」(渡辺訳、230ページ) 宮下訳では
「と申しますのも」と、彼は述べた。「自分自身もまともに管理できないこのわたし、他人さまを管理できるはずもありません。」(宮下訳、371ページ)となっている。原文を示すと:
Car comment (disoit il ) pourroy je gouvener aultruy, qui mois mesmes gouvener ne sçaurois?
英訳では
For how shall I be able (said he) to rule over others, that have not full power and command of my self:...
 まったくだ!と思い、組合の委員長のような仕事を押し付けられそうになった時など、この言葉を思い出し、断ろうとしたことがよくあるが、うまくいったことはあまりない。なお、渡辺訳で、ジャン修道士は「拙者」と自称しているが、修道士であることを考えると「拙僧」とか「愚僧」あるいは「貧道」などという訳語も考えられる。ただ、ジャン修道士のこれまでの描かれ方からいうと、「拙者」というのがふさわしいという気もする。

 ジャン修道士は、それでも自分に多少の功績があってそれに報いようと考えるのであれば、自分の考えているとおりの(第)修道院(abbaye)を建ててほしいという。この願いが気に入ったので、ガルガンチュワはロワール川の河岸にあるテレームという国の全土を提供した。渡辺一夫は、場所に注目して「大体、アンドル川、シェール川、ロワール河に灌漑されて、良種の牝牛を産する豊かな牧場地帯(ラ・シャペルとブレエモンとの間)を指すもののようである」(渡辺訳、369ページ)と注記し、宮下志朗は名称に注目して、ギリシア語の「意志(テレーメ)」という語、またこの作品に影響を与えたとされる『ポリフィルスの夢』で主人公の案内役を務める2人の女性のうちの1人:テレミアという存在(これも意志を象徴する存在である)との関連に読者の注意を向けようとしている(宮下訳、373ページ参照)。人間の行為における善と悪を考える際に、当事者の自由意思を強調するのが、エラスムスの立場であったことを想起すべきであるのかもしれない。

 ジャン修道士はガルガンチュワのこの申し出に対して、「他の一切の僧院とは裏腹な修道院を設立してもらいたい」と請願した(渡辺訳、231ページ、宮下訳、372ページ、「ほかの修道院とは正反対の修道院」)。
 ジャンの言い分はガルガンチュワを大いに喜ばせた。と、すると、まず修道院には塀をめぐらさないことになるのだなという。それから女性が修道院に入ってきたら、あとを掃き清めるというのもおかしい習慣なので、むしろ修道士や修道女が入ってきたら後を掃き清めることにしたいという〔この辺りで、この修道院の構想が現実の裏返し、夢想であることがわかってくるはずである〕。
 それから一般の修道院では総てのことが自国どおりにおこなわれる仕来りになっているので、修道院には日時計の類は一切設けず、何事も、その時その時の潮時に従って行うこととした。
 「何が無駄になると申して、時刻を数えることくらい、ほんとうの時間の浪費になるものはない」(渡辺訳、232ページ)とガルガンチュワもこの方針には乗り気である。

 さらにまた、この修道院に入ることができるのは、外見も心の中身も優れている男女であると決めれらた。またこの修道院では一般の修道院とは違って、男女の区別を設けず、両者が一緒にいなければならないと決めることにした。さらにこの時代の修道院では、1年間の修練期間を減ると、あとは一生涯その修道院にとどまらなければならないことになっていたが、それもやめることにした。加えて、世の修道士(女)たちは、純潔、清貧、服従の3つの誓約をしなければならないのに対し、この修道院では結婚もできるし、各自が財産を蓄え、自由に生活ができるものとした。それから女子は10歳から15歳まで、男子は12歳から18歳までがこの修道院に入ることのできる年齢とされた。

 こうして、ガルガンチュワとジャン修道士によって、新しい種類の修道院を建てることが構想された。さて、この構想はどのように展開していくのであろうか。それはまた次回。
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No title

  「人を笑わず人と笑う」のスキップです。初めて、コメントさせていただきます。というか、「訪問者リスト」長きに渡り、まったく見ておりませんでしたので、たんめん老人さんがご訪問いただいているとは今日まで、気づきませんでした。大変失礼いたしました。
 今回の間違いのご指摘を御縁に訪問させていただきます。

Re: No title

 コメントを有難うございました。返事が遅れてすみません。
>   「人を笑わず人と笑う」のスキップです。初めて、コメントさせていただきます。というか、「訪問者リスト」長きに渡り、まったく見ておりませんでしたので、たんめん老人さんがご訪問いただいているとは今日まで、気づきませんでした。大変失礼いたしました。
 貴兄のブログは、ときどき拝見しておりました。舌鋒鋭いのは結構ですが、言葉遣いの間違いは困ります(もっとも、小生も同じような間違いは始終しているのですが…)。
>  今回の間違いのご指摘を御縁に訪問させていただきます。
 こちらこそよろしくお願いします。また、小生がなにかまちがった表現をしたり、意見を述べたと思われた時は、遠慮なくご指摘ください。
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