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ベーコン『ニュー・アトランティス』

11月6日(水)晴れ、温暖

 トマス・モア『ユートピア』、トンマーゾ・カンパネッラ『太陽の都』に引き続き、近世ヨーロッパにおける代表的なユートピア文献の一つであるフランシス・ベーコン(Francis Bacon, 1st Baron Verulam, Viscount St. Albans, 1561 - 1626)の『ニュー・アトランティス』(New Atlantis,1627)を取り上げる。岩波文庫所収の川西進訳に基づいて紹介し、不審箇所はOxford World's Classics所収のSusan Bruce の編集した英語版を参照するつもりである。

 多くの方々が、モアやカンパネッラの名は知らなくても、ベーコンについては近世の哲学の流れの中で、<演繹法>を唱えた大陸のデカルトに対し、<帰納法>を唱えた英国の哲学者としてその名をご記憶なのではないかと思う。ベーコンの職業は(モアと同様に)弁護士であったし、(これもモアと同じく)大法官という地位にまで昇進した官僚でもあったから、哲学者としてその名を記憶されることは、ご本人の本意ではないのかもしれない。

 実際に読んでいけばわかることであるが、この『ニュー・アトランティス』はモアやカンパネッラの作品とはかなり違ったところがある。相違点はいくつもあるが、一番大きいのは『ユートピア』と『太陽の都』が著者の直面している社会に対する批判、関心を出発点としているのに対し、『ニュー・アトランティス』ではそのような社会的関心が希薄だということである。これはどういうことであろうか。
 岩波文庫版には、ベーコンの専属司祭兼文筆助手であり、ベーコンの死後遺稿として残された『ニュー・アトランティス』を出版したウィリアム・ローリー(William Rawley, 1588? - 1667)によるベーコンの伝記が掲載されているが、それによると、彼はケンブリッジ大学在学中にアリストテレス哲学に触れたが、それが人間の生活に利益となるものを生み出さないという理由で否定的に評価したという。しかし、『ニュー・アトランティス』には彼の時代のイングランドの社会や人々の生活に対する彼の意見はあまり記されていない。これは、この書物が未完に終わったことによるのかもしれないが、ベーコンが科学技術の発展によって社会の問題点や困難は解決できると思っていたからではないかと考えられる。そんなことを前置きにして、紹介をすすめて行きたいと思う。

 『ユートピア』は書き手であるモアがアントワープに滞在した折に知り合った、ラファエル・ヒュトロダエウスという人物から、ユートピア島の様子についての話を聞くという演劇的な形式、『太陽の都』はマルタ騎士団の団員が世界を一周して戻ってきたジェノヴァ人の船乗りから太陽の都の様子についての話を聞くという対話形式をとっている。これに対して、『ニュー・アトランティス』は正体不明の語り手が、自分の経験≂ニュー・アトランティスへの漂流と滞在中の見聞を語るという一人称の形式をとっている。そして、どのようにして語り手が、ニュー・アトランティスにたどりついたのかをかなり詳しく語っているのも、前二者には見られない特色である。

 「ペルー(そこには丸一年滞在した)を発った私たちは、南海〔太平洋の旧称〕経由で、中国と日本をめざして出帆した。」(川西訳、7ページ)
 マガリャンイス(マゼラン)の世界一周航海が1519年から1522年にかけてのことであり(途中、1521年にマゼランはフィリピンで死亡している)、その後、アンドレス・デ・ウルダネータという人物がモルッカ諸島への探検隊の生き残りとして単独で1525年から1528年にかけて世界一周をとげ、次いでドレイクが1577年から1580年にかけて世界を一周している。さらにその後、マルティン・イグナシオ・デ・ロヨラという人物が1580‐84年、1585‐89年にかけて東回りと西回りで世界一周を達成、モアの時代に比べると、100年以上たっているベーコンの時代には、世界の様子はかなりよくわかっていた。

 12か月分の食料を準備して出発し、最初の5か月余は順風に恵まれていたが、その後、風向きが変わって北の方に漂流し、食糧も底をついてきた。危機に陥った乗組員たちは神に祈り、助けを求める。どうやら陸地らしいものが見え、太平洋のこの辺りは未探検の領域なので不安はあったが、前進を続けた。「次の日の夜明けには、それが陸地であることは明らかになった。」(川西訳、8ページ) 港は立派な外見をもっているので安心して上陸しようとすると、数人の人々が棒を持って現れ、一行の上陸を阻止しようとした。「といっても大声を挙げるわけでも、荒々しい態度を見せるわけでもなく、ただ近づかぬよう何か警告の合図をしていた。」(川西訳、同上)

 語り手の一行は、上陸を阻止されそうであるが、この土地の人々はなぜ、一行の上陸を阻止しようとしているのか、また、一行は無事に上陸できるのであろうか、物語は最初から波乱含みである。これから後の展開はまた次回に。
 難破しかかった語り手の一行が神に祈りをささげて救いを求めるということに示されるように、この作品はキリスト教が前面に出ている。『ユートピア』と『太陽の都』がカトリック的な自然法の支配する、異教の国であり、住民たちがキリスト教について聞くと、興味を抱くと描写されているのに対し、(この後読んでいけばわかることであるが)ニュー・アトランティスの住民たちはキリスト教徒である。キリスト教について書いたついでに触れておくと、川西さんがローリーを専属司祭と訳しているのは、イングランド国教会と同じ系列に属する日本聖公会では牧師という言葉と司祭という言葉とを併用していることによると思われる。ベーコンはイングランド国教会の信者であったことは言うまでもない。

 マゼランが太平洋を発見したのが1520年11月の下旬で、1521年の3月の中旬にフィリピンに到着していることを考えると、5か月あれば、太平洋は渡れるはずである。物語の船は、かなりぐずぐずしている。ところで、今回紹介した箇所でも触れられているが、太平洋の北の方はあまり探検が進んでおらず、例えばハワイ諸島は1778年にクックが訪問するまで、ヨーロッパ人には未知の島であった。
 世界一周の話のついでに書いておくと、現在『ロビンソン・クルーソー(下)』(平井正穂訳)を読んでいるのだが、これはロビンソンが彼の島を再訪し、その後世界を一周して英国に戻って来るまでの話である。そこでロビンソンは1695年に英国を出発して、1705年に戻ってくることになっている。彼がもといた島で、そうとうな時間を過ごしていることを考えても、かなり手間をかけた旅行である(まだ詳しくは読んでいない)。
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