FC2ブログ

日記抄(10月29日~11月4日)

11月4日(月・振替休日)晴れ、温暖

 10月29日から本日までの間に経験したこと、考えたこと、これまでの記事の補遺・訂正等:
 
10月29日
 来年度から大学入試で使われる英語の民間試験をめぐる萩生田文部科学大臣の「身の丈に合わせて」頑張ればよいという発言が格差を是認するものだと批判を浴びていると報じられている。受験生を励ますつもりで言ったのかもしれないが、大学受験を他人事のように考えているのも批判を浴びた理由であろう。このブログで再三、述べているように現在の日本の高等教育の問題は、受験のシステムを変えることによっては解決せず、教育の内容と方法を一新して、大学生がもっと勉強するようにすることだと思っているから、入試改革にはあまり関心がないのだが、この発言で気になったことがもう一つあるので書いておきたい。
 それは一般的な議論として、目標というのは少し高めに設定するものではないかということである。現在、piglet11さんのブログ『日本百名城の旅』で取り上げられている毛利元就について、子どものころのこんな逸話が語られている。ある家臣が厳島神社に参拝したというので、何を祈願したのかと元就が聞くと、若様が安芸の殿様になるように祈りましたと答えた。そこで元就が、なぜ、天下の主になるように祈らなかったのだ、この戦国の世では天下の主になることを望んで、やっと一方の主になることができ、一方の主になることを望んで一国の主となるのがようやくというのが実際の姿である。まして、一国の主となることを目指しても、なんになるのかといったので、家臣は感心して、今の発言を忘れないようにといったという。文部科学大臣がいうように「身の丈に合わせて」努力していたら、どんな結果が出るかわかったものではないのである。

 『朝日』朝刊の「耕論」では秋が短くなったのではないかという問題をめぐって3人の論者が意見を述べているが、気象予報士の森田正光さんの「秋の始まりは遅くなっていますが、むしろ短くなっているのは冬です」という意見だけが傾聴に値するものだと思った。地球温暖化がどのような気象の変化をもたらしているのか、少し立ち入って調べてみようと思ったのである。

 『NHK高校講座 現代文』では昨日、本日と長谷川眞理子さん(行動生態学者、自然人類学者で総合研究大学院大学の学長)の「ヒトはなぜ人になったのか」という文章を読んだ。国語というよりも理科の授業のような感じではあったが、人類の進化についての研究が、我々が中学・高校生だったころに比べると急速に発展してきたことがわかり、教えられるところが多かった。

10月30日
 『朝日』朝刊の「折々のことば」で佐高信さんの近著『いま、なぜ魯迅か』(集英社新書)の著者インタビュー(『青春と読書』11月号掲載)が取り上げられていたので、この本を買って読んでみた。魯迅の著作と思想についても論じられているが、魯迅とかかわりがあったり、その影響を受けた日本人の軌跡が多くたどられている。
 一番印象に残ったのは、この本の第2章で、佐高さんが中学を卒業する間際に担任が希望を調査したことがあって、集団就職するはずの女生徒が「進学」の方に手を挙げたという逸話である。そして、教師に向かって「だって希望でしょ」といったという。
 魯迅の短編小説「希望」は(現在はどうか知らないが、かつて)中学校3年生の国語教科書に掲載されることが多く、また中国でも教科書に掲載されている作品で、そのため、日中での授業を比較した本も書かれたし、読んだことがある。そういうことよりも、私の印象に残っているのは、大学の2回生の時に、尾崎雄二郎先生の中国語初級の授業を受けていて、その終わりの方でこの作品を中国語で読んだことである。私は高校時代から大学時代の初めにかけて竹内好の翻訳で魯迅を読みふけり、大いに影響を受けたのだが、その竹内の翻訳にいろいろと問題があることをこの授業を通じて学び取ることができた。もっとも、翻訳に細かい間違いがあるからといって、竹内の業績が否定されるものではないし、(その後、大学院時代に彼の講演を聞いたこともあって)竹内は私の尊敬する人物の1人であり続けている(尾崎先生も私の尊敬する大学の先生の1人であり続けている)。
 魯迅を通じた日中のかかわりを論じた本であるから、この書物には当然、竹内好のことも取り上げられている。「竹内さんは、『対立物』というか、『敵対者』『対峙者』をつねに頭の中におき、それへの目くばりを忘れなかった人である。例えば『毛沢東を知るためには国民党史をやらなければならない』といっていたそうだし、日常的には、左翼のニュースを反共的立場で速報するからという理由で『読売新聞』を講読していた」(122ページ)という。この態度が後継世代に引き継がれなかったことを佐高さんは問題視している(継承されなかったから、改めて掘り起こそうということである)。

 さらに中島義道『ウソの構造』(角川新書)を読む。日本の社会全体でも学校教育の中でも、子どもや若者に嘘をつくなと教えているが、実際には、むしろ嘘をつくことを強要しているようなところがあるという問題を哲学者の目からカントの「根本悪」といった概念を持ち出して論じている。著者の意見にかならずしも賛成はしないが、教えられるところの多い書物ではある。

10月31日
 『日経』の朝刊に「コーヒー豆9年ぶり安値」という記事が出ていた。コーヒーには大別して、主としてレギュラー・コーヒーに使われるアラビカ種と、インスタント・コーヒー向けのロブスタ種の2種類がある。アラビカ種の主産地はブラジル、コロンビアなど、ロブスタ種の主産地はベトナム、インドネシアなどであるが、ブラジルでもロブスタ種の生産量が急増しているという。それで「ロブスタ種の上値はしばらく重そうだ」というのだが、私はインスタント・コーヒーは飲まないからあまり関係のない話である。さて、缶コーヒーの原料になるのはどちらなのであろうか。

 沖縄の首里城で火災が発生し、正殿や北殿などの主要な建造物が全焼した。パリのノートルダム大聖堂の火災といい、今回の火災といい、言葉を失う事件である。

11月1日
 来年度始まる大学入学共通テストで、英語民間試験の活用を見送ることを、萩生田文部科学大臣が言明した。2月に民間試験の活用について日本財団が行った世論調査では、活用を支持する意見が多かったようであるが、現場や英語教育の専門家の反対意見が次第に強くなって、世論に浸透したものと思われる。グローバル社会に向けての外国語教育が果たして本当に英語教育の改革だけでよいのか、英語といっても多様な英語がある中で、どのような英語を学校教育の中で重視していくのか、4技能を等しくということが本当に適切な目標なのか、個性化とどのようにバランスをとるのかなど、問題点を議論していたらきりがないかもしれないが、英語教育の問題はこの際徹底的に議論しておくことも必要であろう。

11月2日
 『東京新聞』の「民間試験強硬路線の背景」は今回問題になった民間試験活用の方針の背景には、安倍政権のもとで推進されてきた教育の民営化路線があると論じている。ただ単に英語教育の問題、あるいは大学入試改革の問題としてでなく、より根本的な教育政策の問題として論じていて、読む価値がある。

 同紙の連載漫画『ねえ ぴよちゃん』(青柳貴子)には、単純な面白さがあって、各紙の連載漫画の中では一番好感が持てる作品である。本日掲載の917回では主人公の少女が友人におじいちゃんの家で最高においしい柿を食べさせてあげると友人を連れ出し、その柿の木にのぼって枝に座り、ここで食べる柿が最高というと、木にのぼれない友人が木の下で「むり」というというもので、まことに単純。しかし、元気が感じられて面白い。 

 NHKラジオ『朗読の時間』で山本周五郎短編集として「人情裏長屋」の第2回~第6回を聴く。短いながら、周五郎の特色がよく出ていると思った。横浜のシネマ・ジャック&ベティの近くに周五郎が一時期よく通ったという蕎麦屋があって、そこでソバを食べたことがあるが、あまりうまいとは思わなかった。周五郎は、食通ではなかったのだと、思う(別にそれは重要なことではない)。

11月3日
 『日経』朝刊の「文化時評」は「思春期を揺さぶる「文学」が危ない」(宮川匡司)という論説が掲載されている。私が詩を書くようになったのは、中学校の教科書に掲載されていた金子光晴の「かっこう」という詩を読んだのがきっかけといってよいから、国語の授業が文学への興味をかきたてるという事実は否定しないけれども、学校の授業の影響力を過大視しすぎるのもどうかとは思う。
 ただ「論理国語」という新設科目にはうさん臭さが付きまとう。最近、ほぼ2年がかりで吉田夏彦『論理と哲学の世界』を読み終えた一方で、飯田隆『日本語と論理』(NHK新書)は2か月ほど置いたままになっている。論理は、「国語」を通してよりもむしろ、「数学」を通して教えるほうが有効だと思うのである。これはもっと論拠を整えてから論じるつもりなのだが、日本語の「文法」をめぐる教育の在り方に、諸悪の根源があると思うのである。

 ニッパツ三ツ沢球技場でJ2第39節横浜FC対Vファーレン長崎の対戦を観戦した。この試合を含めて残り4試合、全勝でJ1への2度目の昇格を勝ち取りたい横浜にとっては負けられない試合である。中村俊輔選手がボランチで先発、MFで齋藤功佑選手、FWで斉藤光毅選手というWサイトウの先発、斉藤光毅選手と皆川選手の2トップは初めての試みで、そのあたりに必勝の意気込みが感じられた。なかなか得点できなかった横浜ではあるが、前半40分にゴール前での攻防から齋藤功佑選手がゴールを挙げ先制、後半には長崎のCKからカウンター攻撃で斉藤光毅選手がゴールを決めて得点差を開き、そのまま2‐0で試合を終了した。これで暫定2位に浮上。最後までこの調子で頑張ってほしい。

11月4日
 『朝日』の「折々のことば」で鷲田清一さんが「空間の中に静止する一点の位置を決定するだけでも3つの数字が必要である」という寺田寅彦の言葉を引用して、「人に無理やり共通の軸をあてがうより、その差異やコントラストに着目するほうが、人は生きやすいに決まっている」と書いているが、この文章を読んで、むかし林竹二の講演を聞いたことを思い出した。林が現場の先生方に向かって、どの子どももそれぞれの価値をもっているのだという話をしたところ、先生方から、「でも、できることできない子がいるでしょう」と反論されたという。その「できる子」と「できない子」というのが、単一のはかりで子どもをはかる(鷲田さんの言葉を借りれば、「共通の軸をあてがう」)ことであり、いろいろな秤を使うこと、それによって、どの子どもにも長所があるのだから、その長所を見つけてやろうというようなことを林は言いたかったのだろうと思う。で、反論した先生方の方としては、現場の教師は忙しいから、そんな悠長に子どもの長所を見つけてはいられません、それに子どもの長所だと思ってほめたことが、見当はずれな賞賛であって、不幸な結果を招くことだって少なくありませんというようなことを言いたかったのではないかと思う。
 11月2日の記事で山本周五郎のことを書いたが、彼は小学校の時に担任の先生から小説家になりなさいと言われて、小僧として奉公しながらも勉強を重ね、作家として成功したのだそうである。しかし、先生から励まされて努力した結果、成功したという話を書く人はいるが、成功しなかったという話を書く人はあまりいない。問題はそこにあるのではないかと思う。

 『太陽がいっぱい』でアラン・ドロン、モーリス・ロネと共演した女優(・歌手)のマリー・ラフォレさんの訃報が届いた。彼女の代表作の1つが『国境は燃えている』(1965、ヴァレリオ・ズルリーニ監督)で、これはトマス・ミリアン扮するイタリア軍の(下級)将校が、慰安婦たちをそれぞれの配属先に送り届けようとするが、戦局の推移に影響されてうまくいかない・・・という話である。この映画に出演しているラフォレさんをはじめ、アンナ・カリーナさん、レア・マッサリさんという女優陣がすごい(こんな美人ぞろいだったら、戦争に行きたくなる⁉) それから、この映画のラスト・シーンがいろいろと考えさせられる(男の方は、女が何度も自分の方を振り返ることを期待しているのだが、女の方は振り返らずにまっすぐに前に進んでいる)。
 
スポンサーサイト



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

H大臣発言に

10月29日の日記等にある民間英語試験の導入に関わる記事の中で、H大臣が「大学受験を他人事のように考えている」とまさに同じことを朝日新聞「声」に投稿したので、ここに再録しよう。

     貧富が進学に影響しないように

 貧富が進学に影響しないようにするのはなかなか大変なことだが、教育無償化の流れに無神経な文科大臣の英語民間試験に関わる発言にがっかりさせられる。
 私の祖父は、明治時代のことであるが、学業に非常に優れていたため、これを知った隣村の資産家が学資金を用立てしてくれたため、九州久留米の旧制中学から旧制高校(熊本の五高)、そして東京帝国大学へと進学できた。(福岡県のその郡では最初の東京帝国大学進学者であった。)内務省の官僚(土木関係の技官として、岡山県高梁川の堤防建設等を手掛けた。)となり、学資金の借金を返し続けた。無利息の申し出だったが、それを断ったため利息を払うのがたいへんだったと、「思い出の記」に記されている。
 無神経発言のH大臣は、もし祖父と同じ時代に生まれていたなら、特別学業に優れたわけでもないだろうから、家庭が貧しかったなら、きっと誰も学資金を出してくれず、進学できなかったことだろう。そして多分文科大臣への道もなかっただろう。我が身の境遇を思い知って、教育への経済的ハードルを下げることの大切さを思い知ってほしい。

Re: H大臣発言に

> 10月29日の日記等にある民間英語試験の導入に関わる記事の中で、H大臣が「大学受験を他人事のように考えている」とまさに同じことを朝日新聞「声」に投稿したので、ここに再録しよう。
>
>      貧富が進学に影響しないように
>
>  貧富が進学に影響しないようにするのはなかなか大変なことだが、教育無償化の流れに無神経な文科大臣の英語民間試験に関わる発言にがっかりさせられる。
 コメントを有難うございました。
 H文部科学大臣の発言が教育基本法に規定されている(第1次安倍政権時のこの法律の改正でも修正されなかった)「教育の機会均等」の原則に照らして、問題があるというご指摘であったと思います。

「無神経発言のH大臣は、もし祖父と同じ時代に生まれていたなら、特別学業に優れたわけでもないだろうから、家庭が貧しかったなら、きっと誰も学資金を出してくれず、進学できなかったことだろう。」と貴兄が書かれているので、調べてみたところ、H大臣は早稲田実業高校から明治大学商学部という学校歴であることがわかりました。だから学業成績の点では(かなり微妙ではありますが)平均以上ということです。それよりも問題なのは、彼が高校在学中に2回停学処分を受けていることであり、そのことをいまだに自慢していると報じられていることです。

 わたしは、若いころ学生運動に参加したし、カミュの『シジフォスの神話』の「不条理と反抗」というような主張に大いに感銘したこともあったので、高校時代に停学処分を2度受けたという、大臣の経歴が、その職責に相応しくないなどというつもりはありません。むしろ、どんな大胆な改革をするのか、楽しみにしています(校則全廃などという方針を打ち出せば、面白いと思っています)。しかし、就任後の大臣の姿勢はあまりにも小心であります。S県知事選挙の際に、高校生から民間試験活用問題についてのヤジが飛んだことを押さえつけようとしたのは、その一例で、むしろその高校生と徹底的に語り合うべきではなかったのではないでしょうか。(あるいは、語り合うべき内容を自分がもっていないから、押さえつけようとしたのかもしれませんが…) 俺も若いころは、若気の至りで危なく退学になりかかったが…などと腹を割って語る大臣の姿勢こそ、現在や未来の受験生に受け入れられるものではないかと思います。
プロフィール

tangmianlaoren

Author:tangmianlaoren
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR