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ラブレー『ガルガンチュワ物語』(23)

11月1日(金)晴れ、気温上昇

 ガルガンチュワはフランスの西の方を治めていたグラングゥジェ王とその妃ガルガメルの王子として生まれ、生まれ落ちてすぐに「のみたーい! のみたーい! のみたーい!」と叫んだためにこの名がついた。生まれつき巨大な体躯の持主であった上に、葡萄酒と牛乳を飲んですくすくと育ち、新しい学問と教育法を身につけたポノクラートという先生のもとで勉強した結果、学芸と武勇の両方に秀でた若者になった。
 グラングゥジェの領民たちが、ピクロコル王の治めている隣国の領民たちと些細な衝突を起こし、それをきっかけにピクロコル王が軍隊を率いてグラングゥジェの領内に侵入し、略奪をほしいままにするという事件が起きた。グラングゥジェは平和的に問題を解決しようとしたが、ピクロコルが一行に応じないので、やむなく、パリで勉学中のガルガンチュワを呼び戻して事態の解決にあたらせることになる。急いでパリから故郷に戻ったガルガンチュワは、先生のポノクラートや、武芸の師匠であるジムナスト、それにピクロコル王の侵略から自分の修道院のブドウ畑を守ったジャン修道士らの協力を得て、ピクロコル王の軍隊を戦闘の末に壊滅させる。

第49章 逃走したピクロコルが不運に襲われたこと、ならびに戦後ガルガンチュワがしたこと(闘争したピクロコル、不運におそわれる。そしてガルガンチュアが戦後におこなったこと)
 戦いに敗れたピクロコル王はシノンの町の東の方にあるリール=ブーシャール方面に逃げていったが、途中で馬が躓いたので怒って馬を切り殺してしまい、そうなると自分の乗馬が無くなったので、近くの水車小屋から驢馬を拝借に及ぼうとして、粉屋たちから袋叩きにされた上にみぐるみはがれて、代わりにこれでも着ろとぼろぼろの仕事着を渡されたのであった。
 宮下訳の476ページにピクロコル戦争関係の地図が掲載されているのを見るとわかるが、彼の居城は戦争中立てこもっていたラ・ロッシュ=クレルモーの城の西側にあり、逃げるのであれば、西の方に逃げるのが普通だと思うが、東の方に逃げていったのは頭の中が混乱していたためと解釈しておこう。

 こうしてあわれなかんしゃくもちの落人は逃れていった。そして(ヴィエンヌ川と同じくロワール川の支流である)アンドル川を、ポール・ユオーの村で渡る時に、自分の身の不運を語ったところ、年取った魔法使いの女に飛んでくるはずはないが、ニワトリヅル(コクシグリュcocquecigrues、英訳ではCocklicranes)がもしも飛んできたら、彼の王国は戻って来るだろうと告げられた。その後、彼の消息は途絶えている。
 しかしながら、作者が聞いたところでは、ピクロコルはリヨンの町で日雇い人足かなにかになっていて、外国人とみると、ニワトリヅルが飛んできたという噂を聞いたことはないかなどとたずねまわっているとのことである。

 さて、ガルガンチュワの方は自分たちの部隊の人数を調べたが、戦死者はごく少数であることが分かった。そして兵士たちに食費を支給して食事をとらせ、ラ・ロッシュ=クレルモーにおける一切の略奪行為を禁止するとともに、食後、城の前の広場に集まれば、半年分の給与を支払うと伝えさせた。
 以上の手はずを整えたガルガンチュワは、ピクロコル軍の敗残の兵士たちをすべて広場に集合させて、演説を行うこととした。

第50章 敗残軍の兵士に向ってなされたガルガンチュワの告諭(ガルガンチュア、敗軍の兵に演説する)
 原文ではLa contion que feist Gargantua es vaincus で古いフランス語なので、辞書に載っていない単語があったりして、わかりにくい。英訳ではGargantua's speech to the vanquishedとなっている。
 ガルガンチュワは、ピクロコル軍の兵士たちに向って、敗残の兵たちに寛仁を施すことが、自分たちの父祖のやり方であったし、自分もその方針を踏襲するという。そしてピクロコル軍の兵士たちは、ガルガンチュワ軍の兵士たちの護送のもとに、郷里に戻ることとし、その費用として各自に3か月分の手当を支給するという(自軍の兵士たちには半年分で、ピクロコル軍の兵士たちには3か月分というところが戦争の結果を反映しているように思われる)。

 王国はピクロコル王の年少の王子が継承することにするが、国内の王族・貴族の後見が必要であろう。また、行政官が横暴をきわめる恐れもあるので、それらの行政官の監督としてポノクラートをその任に当たらせることにする。そして王子が自分で王国を統治できるところまで成長するまで、この監督は続くものとする。
 今回の戦争に関わった人々にたいしての処罰を望まないが、その端緒となる事件の当事者である小麦煎餅売りたち、特に事件の首謀者であるマルケはガルガンチュワ軍に引き渡すべきである。また、ピクロコル王に世界征服の野望を吹き込んだ側近の人々も引き渡すことを望むという。

第51章 戦終って勝利者たるガルガンチュワ軍の人々の論功行賞が行なわれたこと(戦後、勝利したガルガンチュア軍の論功行賞がおこなわれる)
 こうしてガルガンチュワの演説が終わると、要求通りに謀反人たちseditieuxが引き渡されたが、第33章でピクロコル王に世界征服の野心を吹き込んだ弥久座(ムニュアイ)公爵、刺客(スパダン)伯爵、雲子弥郎(メルダイユ)隊長の3人は戦闘開始前に逃亡しており〔悪いだけではなく、要領のいい奴らである〕、小麦煎餅売りたちの中でも2人が戦死していたので、この中には含まれていなかった。
 引き渡された捕虜たちに対して、ガルガンチュワは危害を及ぼすようなことはせず、彼が新たに設けた印刷所で印刷プレスのレバーを引っ張る役割を申しつけたのであった。

 それから戦死者を手厚く葬り、負傷者を病院で療養させた。また戦争の結果生じた町や家屋の損害を然るべき手続きを経て補償した。さらに占領地に城塞を建設し、軍隊の一部を駐留させた〔城塞の建設に誰が駆り出されたのかというのが問題であるし、占領地の治安を維持するためと称して、戦勝者側がその軍隊の一部を駐留させるのはよくあることである〕。
 それから自軍の兵士たちはもとの駐屯地に戻したが、特に戦功のあった隊長たちは、グラングゥジェのもとへ自ら伴っていった。戦勝を喜んだグラングウジェ王は大宴会を開き、多大な褒賞を与えた。そしてポノクラート以下の特に功績のあった面々にはそれぞれの領地をあたえた。

 さて、論功行賞がまだ行われていないのが、ジャン修道士で、彼に対してはどのような褒賞が与えられるのかは、また次回。
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