柳田国男『火の昔』

8月8日(木)晴れ

 柳田国男『火の昔』(角川ソフィア文庫)を読み終える。1943(昭和18)年に執筆され、翌年実業之日本社から刊行され、その後「少年少女のための文化の話」と言った添え書きつきで版を改めた。一般向きには1962(昭和37)年に角川文庫として公刊されて広く読まれうようになったという。

 火は人間の生活になくてはならないものの1つであるが、管理の難しいものでもある。それでも人間は知恵を働かせ、経験を積み重ねて人の付き合い方を工夫しながら生活を改善してきた。この書物は燈火や暖房、炊事などにおける火と人間のかかわりの変遷を柳田自身の研究に基づいて分かりやすく記述したものである。いろいろな問題について広く論じていて手引きとして役立つ一方で、太平洋戦争中に執筆されたことによる記述の制約も感じられる。

 1875(明治8)年に生まれて、1962(昭和37)年に没した柳田は、文明開化により人々の生活が急速に変わるのを身近に体験した人であった。さらに巻末の解説で池内紀さんが書かれているように、地方から都会へ出てきた経験も彼の問題意識に大きくかかわっているはずである。「…東京から遠くない山麓の村で実験したことですが、24,5年の前、そこにしばらく私の滞在していたころには、もう村のたいていの家へは電燈が来ていました。それで私などよりは年の若い土地の人に聞いてみると、その人が覚えてから、農家の燈火は石油燈の小さな変化をひとつと勘定しても、既に四たびの変遷があったということが分かりました」(60ページ)と書いているのは変化を示す一例である。

 柳田の民俗学は日本人の生活の研究を通じて、その精神の原像を明らかにしようとするもので、精神の原像を求めるという点では国学の系譜につながるが、単なる尚古主義に陥らず、生活はどんどん便利になっていく方がよいのだ、そのためには学問の裏付けが必要なのだと主張している点に見るべき特徴がある。菜種油が普及し、各地で菜の花が栽培されるようになると、「もとは日本はどちらかというと、畑作のあまり進まぬ国でありました。それがちょうどなたねの花を咲かせるようになったころから、麦類も盛んに畑にまくことになり、また、一方には、田んぼの緑肥用として、れんげそうを作りだしまして、麦の緑と菜の花の黄色と、れんげ草の紅の色とで、みごとに春の平野をいろどることになりました。すなわち家々の夜を明るくしようとした私たちの願いが、偶然ながらも、一国の風景までを明るくしたのであります。世の中の進みというものは、まことにうれしいものでありました」(38ページ)という文章は美しく、力強い。

 このような生活の改良に役立ってきたのが学問の力である。「…以前の民間の学者の著述の、少なくとも半分くらいは、ほたるの光窓の雪ではないまでも、ほとんどそれに近いわずかなあかりの下で、顔もまっ黒にしようし、目も悪くしようし、ひとかたならぬ苦労をしながら、人のために働いたのだったということを・・・認めなければならぬのであります」(64ページ)。

 今ひとつ注目すべきは、この著述には国内に留まらず、海外における暮らしぶりについての観察と言及が見られることである。「西ヨーロッパの諸国では、町で炭屋という商売を見かけたことは少なくとも私はありません」(183ページ)。さらに西欧における炭についての考察が続けられるが、ここには比較文化論の端緒となりうるものがある。

 柳田が「現代」の暮らしぶりとして記述しているものの大半は今日探し当てることが困難な過去の遺物となってしまっている。産業と火のかかわりについての記述が十分ではないのはこの書物の欠点であろう。それでも、自分たちの暮らしぶりの変化と現在の様子を見つめることによって、さまざまな思索の手がかりと、改善の糸口を見つけることができることをこの書物は教えてくれている。
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