孫悟空(1959年、東宝)

8月4日(日)晴れたり曇ったり

 暑いのに、というよりも暑さで頭がおかしくなったためであろうか、蔵書の整理に取り組み、ひどく疲れる(あたり前だ)。なかなか頭が働かないが、とにかく、一昨日見た『孫悟空』について書くことにする。

 1940年に『エノケンの孫悟空』を監督した山本嘉次郎が、戦後ふたたび手がけた『西遊記』の映画化。今回は三木のり平が孫悟空を演じている。前作同様に原作に大きく手を加えており、物語の展開は異なるとはいうもののミュージカル仕立ての冒険ファンタジー活劇になっているところは共通している。

 徳川夢声扮する紙芝居屋のおやじが語る孫悟空の活躍。2000年ほど昔の中国(これは実際の歴史に照らすと計算が合わない)、時の皇帝は人々が苦しんでいるのを救おうと、インドから三蔵のお経を取り寄せようとする。その使命をだれに託すべきか、中国の山奥に住む玄奘という少年が母親に孝行を尽くしていると、仙人に知らされた皇帝はこの少年を選ぶ。大勢の従者とともに出かけた玄奘=三蔵法師であるが、途中山賊に襲われてひとりぼっちになり、観音菩薩の使いだというポンに教えられて山の中の洞窟に閉じ込められている孫悟空を助けだす。暴力を禁じる三蔵と暴れ者の孫悟空は反目することもあるが、次第に強いきずなで結ばれるようになる。二人はある村で美しい娘翆蘭に婿入りしようとした豚の化け物である猪八戒を退治して三蔵の弟子に加え、さらに流沙河で沙悟浄が弟子入りする。三蔵の母の死という悲しい知らせを受けた一行ではあるが、ひたすらインドを目指して前進を続ける。

 中国の人々を苦しめてきた悪魔大王は一行がやってくるのを知り、部下の金角、銀角、銅角(原作には登場していない)と言った子分たちを使って三蔵をとらえ、食べてしまおうとする。あわやという場面に料理の先生が出てきたりするのがおかしい。なお、『エノケンの孫悟空』にも金角・銀角が登場しているが、原作とは全く違った登場の仕方であり、この作品では原作とも、エノケン版ともまた違った設定になっている。エノケン版で銀角を演じていた中村是好が、この作品で沙悟浄になっているのも面白いし、この作品では銀角を中田康子が演じているのも一つの趣向である。もう一歩で悪魔の国を出るという国境の町で妖魔の化けた女たちを孫悟空が手荒に扱ったことから三蔵との間に反目が生じ、その結果孫悟空が花果山に戻ってしまい、一行は悪魔大王の手中に落ちてしまう・・・。

 『エノケンの孫悟空』では悟空・八戒・悟浄がロケットに乗ったり、金角・銀角が電気仕掛けの兵器を使ったりする場面があったと記憶する(かなり不確かな記憶である)が、そういう新奇さを狙った趣向が今見てみると古臭く感じられ、そのくせ古いなりに面白いという逆説的な効果が感じられた。この作品でもミュージカル仕立ての当時としては斬新であったらしい演出が、今日の目から見ると懐古的な興味の対象になるという時代の流れを感じてしまう。それはそれでよいと思うのである。

 そういえば、最近ではウィルコムのコマーシャルの佐々木希のように三蔵を女性が演じることが多くなってきているが、この作品では少年であるのは、もともと子ども向けの映画として企画されたからであろうか。それならば、観音の弟子のポンの役で登場する団令子の使い方などもう少し工夫があってもよかったと思う。動きが軽快で猿面のエノケンの方が孫悟空向きであるのは誰もが認めるところで、時代的な制約にもかかわらず結構自由闊達に作られている(意外に欧風だったりする)『エノケンの孫悟空』に比べて、三木のり平は動きが悪い分、損をしているが、これはこれなりに面白い映画である。
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