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富田武『歴史としての東大闘争――ぼくたちが闘ったわけ』

8月14日(水)雨が降ったり、晴れ間が広がったり、変りやすい空模様が続いている。しかし、暑いことに変わりはない。などと書いていたら、15:30ごろから激しい雨が降り出した。と思ったら、15:50ごろからまた晴れ間が広がった。

 この本を読み終えたのは2月18日のことであったが、その後、このブログとは別の場所にこの書物の批評を書こうとして悪戦苦闘を続けてきた。うっかりした批評が書けないと思う理由は、著者とは長年の付き合いがあるから――中学・高校を通じて6年間一緒に学んだ仲だからである。昨年、あるところで出身校の同期会があり、その際に、著者が自分は1年浪人して東大に入ったが、おかげで東大闘争に巻き込まれたと話していた。どうも、この本の出版を間近に控えての宣伝の意味もあったらしい。実際問題として、一年浪人して東大に入学した同期生はほかにも大勢いたのだが、その大部分は闘争とは無関係に卒業した(ように思われる)。「巻き込まれた」というのは煙幕で、本当のところ、自ら進んで渦中に身を乗り入れたというのが真相に近い(ように思われる)。この書物は、その間の事情も含めて、個人史的、あるいは個人の思想形成史的な色合いの強い内容を持っており、東大闘争の客観的な記録というようなものではない。『歴史としての東大闘争』という表題には、著者なりの東大闘争の歴史的な意義についてのこだわりがあることをあらかじめ認識しておく必要があるだろう。

 標題に関わっては、この書物のなかの「ぼく」は何者であるか、はっきりしているのは当然のことかもしれない。曖昧さを許さない形で著者がそれを語っている。しかし、「ぼくたち」ということになると、どうもはっきりしないものを感じる。それがどういうことかを、この書物の内容を追いながら、書いていくことにしよう。

 この書物は5章からなり、第1章「東大闘争の経過と思想的意味――『たった一人の反乱』まで」は著者が『季刊 現代の理論』2009年新春号に掲載した論文を再録したもので、東大闘争の経緯とその思想的な意義を問う内容である。ここでは医学部における卒業後研修をめぐる学生と当局の対立を発端として、当時の(現在も本質的にはあまり変わっていない)大学の内包する様々な問題をめぐっての対立の激化、闘争の広がり、政府の強硬姿勢と学生の動揺、「正常化」とその後の事態の推移が概観されている。特徴的なのは、著者がそのなかでの自分の立場と行動を詳しく語っていること、とくに1969年5月に立て看板という形で公表した「現時点での受験=進学を拒否する」といういちばんが再録されていることである。当時、東大の助手をしていた友人の一人が、この立て看板の話をしていたから、その反響の大きさはかなりのものだったと思われる。

 第2章「反戦運動と生き方の模索――闘争前の東大キャンパス」は、大学闘争以前の東大における学生運動、特にベトナム反戦運動の高揚を追いながら、そのなかでの著者自身の「反戦キリスト者」からマルクス主義への思想の歩みを振り返っている。
 この章では1967年2月11日の「建国記念日」反対の<同盟登校>について語っている部分が強い印象を残す。同じ日に、わたしは京都大学で反対闘争に参加したのであるが、その参加者は東大に比べて2桁は少なかったという記憶がある。両大学の学生及び教官の政治意識のありようのちがいを示すものとして記憶されるべきだと思う。

 第3章「ノンセクト・ラディカリズム論――共感と批判をこめて」は東大闘争終焉後に、著者が東大の大学院に入学した際に、それまでの思想的な軌跡を総括して、当時の仲間に配布した文書を書き直したものであるという。著者は学生運動、また大学闘争のなかで比較的存在感の薄かった党派≂フロントに属していたことが語られている。だから、ノンセクト・ラディカリズムに対する「共感と批判」に即して、自分の立場が語られているのである。また、この時期、アカデミズムのなかで生きていくことをいったんは選択しながら、大学闘争を経て別の道を選ぶことになったものは少なくない。私自身もそのなかで右顧左眄した一人であるが、あまりそのことについて回顧したいとも思わない。しかし著者は律義に、自分の選択について記そうとしている。

 第4章「その後の運動とソ連崩壊――『新しい社会運動』か」では1970~1990年代に著者がかかわった社会運動と、そのなかでの著者自身の経験が概観されている。東大闘争への著者のかかわりが、その後の人生にどのような意味を持ったかという著者の総括として読むことができる。

 最後に著者は第5章で「大学闘争はいかに研究されたか」と問い(ここではなぜか、「東大闘争」ではなく「大学闘争」が問題にされている)、社会学と歴史研究という2つの立場からのこの問題への取り組みについて論評しているが、大学の大衆化というより大きな状況も無視すべきではないのではないかと思う。大学の管理・運営をめぐる政権側の施策をめぐっての言及はされているが、大学の規模の拡大に伴う財政の問題や、大学入学者の増大に伴う大学の教育内容の不適切性の顕在化などの問題については詳しく取り上げられているとはいいがたい。しかし、これらの問題も決しておろそかにされてはならないものである。

 「ぼくたち」が具体的にだれを指す言葉なのかはっきりしないというのは、「東大闘争」と「大学闘争」とが同一視できない(「東大闘争」は「大学闘争」に内包されるが、「大学闘争」の典型例として、「東大闘争」を持ち出すことは危険であるかもしれない)からである。同世代のすべての人間が大学に進学したわけではないし、そのなかで東大に入学できた人間はごく限られた少数である。また「東大闘争」に参加した人間は、そのなかでまた少数である。とすると、著者の言う「ぼくたち」は極めて少数の例外的な存在ということになる。

 1969年の東大の入試が実施されなかったことの当事者(受験生)であった池上彰さんが、1968年に世界各地で広がった青年たちの闘争について、その政治的な背景を視野に入れながら論じている中で、闘争の求めたものも、その具体的な内容も多様であったことを指摘している。問題を政治的な背景から論じる(この点は、この書物の著者と一致している)だけでいいのかという問題はあるが、闘争の見せた多様性について着目しているのはさすがだと思うのである。わたしの知る限りで、各大学における様々な利害関係者の要求や闘争形態は多様であり、統一性を求めるのは困難であるように思われる。そのようななかで、自己の経験にこだわり続ける著者の態度はそれなりの見識を示すものであり、敬意を表すべきではあろうが、自分の経験を単純に一般化し、「ぼく」を「ぼくたち」に拡大することをもくろんでいるのだとすれば、それはすこし見通しが甘いのではないかと思う。

 そうはいっても、この書物全体を通じて、もう一つの「ぼくたち」の結束の強さというものを感じないわけにはいかなかった。それは著者と母堂を核とする家族の結びつきの強さであって、それについては本文に即して実感していただきたいのだが、かなり羨ましい気分にさせられたことを書き加えておこう。
 
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